(日本・カザフスタン)チョモランマ1992 


遠征隊名:

日本・カザフスタン友好チョモランマ登山隊1992

山域:

ヒマラヤ

国地域:

中国 

対象の山:

チョモランマ

高度:

8848m

ルート:

北東稜

キャンプサイト:

BC−5100m,C1−5500m,C2−6000m,C3(ABC)−6500m,C4−7050m,C5−7990m,C6−8360m

酸素補給:

高所アタック用チタン合金製の新型(超小型)酸素ボンベ使用。睡眠用も使用。

固定ロープ:

使用。

難易度:

 

期間:

1992年3月から5月まで

成功の場合の登頂者数:

 

登頂者名、日時:

 

失敗の場合;最高到達と日時:

C6-8360m。5月16日-18日。5月24日-25日。

事故:

日本人1名滑落事故にて行方不明

犠牲者が出た場合; 名前・原因・高度・日時:

5月24日、C5−C6間のトラバース・ルートの終点付近から星学隊員が行方不明。

目的:

チョモランマ(8848m)の北東稜よりの初完登

隊の国籍:

日本,カザフスタン

隊員数:

日本人5名。 カザフスタン4名。 

リーダー:

総隊長=斉藤一男(66)、隊長=大宮求(44)

隊員:

隊員=星学(28)・谷口洋一郎(35)・小久保壮(22)

カザフスタン隊員=ワレリー・フリシチャーティ(40)、ウラジミール・スヴィガ(38)、ユーリ・モイセーエフ(38)、ヴィクトル・デディ(32)

支援(シェルパ等):

サポート隊員=d木康之(24)・加藤隆次(30)・土屋一廣(59) ベースキャンプキーパー=森井寿美子(38)・大宮敏彦(36)
カメラマン=市原基(43)
高所ポーター=ナワン・サキャ(44)、ナワン・プルバ(24)、ダワ・チリン(21)

連絡官=劉大義

参考文献:

山岳88 P133-P140、日本山岳会刊、1993

刊行書籍:

日本・カザフスタン友好チョモランマ登山隊(1992)報告書

“Everest's Northeast Ridge”, The American Alpine Journal 1993, pp.15−18.

連絡先:

 

名前:

 

住所:

 

電話:

 

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e-mail:

 

web site:

 

行動概要:

3月26日、全員そろって成田より出発。北京経由で、成都にてカザフスタン4名と合流。ラサ経由、シガールにてシェルパ3名と合流後、
4月3日ロンブクBC入り。4月6日、5500m地点にC1建設。4月7日、6000m地点にC2建設。4月8日、6500m地点にABC(C3)を建設。4月15日、7050m地点に(C4)建設。4月18日(北東稜上)7990m地点に(C5)建設。
5月16日、8360m地点に(最終キャンプ)C6建設。カザフスタンとシェルパに10日遅れて日本隊も8360m地点に達するが、強風と星隊員の事故により、5月25日、登頂断念、登山活動中止を決定。
5月28日ベースキャンプ撤収。

[註]

チョモランマ北東稜の課題

1,チョモランマ本峰頂上までの完登を目ざすためには、高所(8000m以上)においてルート工作、それに荷上げの能力がある隊員を、五人から六人そろえないと頂上までは届かないと考えられる。

2,ノース・コルごしの強烈な北風の対策が必要である。

更新 98/10/25


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