【山名】中道往還
(御坂山塊を阿難坂峠で越える古道・ 山岳古道120選の75 鎌倉街道御坂みちのコラムに入れる調査)
【日程】2023年5月20日(土)曇りのち晴れ
【集合】9時15分 富士急行河口湖駅改札口外
【行程】河口湖駅でジャンボタクシーに乗り9時50分に精進湖北側の精進諏訪神社で下車。
参拝、精進の大杉など見学して、10時3分登山開始。
北へと初めは沢沿いに、続いてゆるやかに尾根へと登り、10時50分に阿難坂峠着。
石碑、山口素堂の句碑の撮影後、本来の古道がある北方の尾根をのぞき込むも、道型は見つけられず、東へのトラバース道に入る。
途中でトラバースし過ぎていることに気づき、本来の道がある下方へ。
一旦は石碑に出会うも、現在の国土地理院地図にある女坂の道ではなく、女坂トンネル出口の東側に12時25分に出る。
昼食休憩後、12時50分に出発し、国道358号線を歩いて徐々に下り、「拓道栄郷」の石碑を見てすぐ左へ分かれて集落の中に下っていく道に入り田畑間の舗装道路を西へまっすぐに進むと14時25分諏訪神社に着く。
道なりに北へ進むと、「古関関所跡」の看板が右手にあり、その先の左手に丸石を置いた道祖神があり、左手奥の吉詳寺に寄る。
北へ道を取り、宮川橋で宮川を渡り、国道358号線を西へ。しばらく行くと、右手の斜面の上に神社があり、左手へ橋を渡ってさらに川沿いに進むと、迦葉坂への山道に入る。
15時15分に山道を登り始め16時16分に迦葉坂峠到着。
石祠が左右にあり写真に収めたのち、16時29分出発。
東へトラバース気味に5分ほど行くと、右左口峠との分岐の道標が立っており、右左口宿の方へと下っていく。
くねくねと曲がりながら下る曲がり角に観音様の石仏が置いてある。
昔の石畳を掘り起こした箇所に作業用のスコップや一輪車が置いてあり、感動しましたとのメモと中村真由美さんデザインの手ぬぐいとをビニール袋に入れて残していく。
17時20分に甲府精進湖道路右左口トンネル出口の東側に出て、国道を渡ってから細い山道を北へと道なりに進むと舗装道路に出る。
17時45分に「中道往還右左口入口」道標を通過し、右左口宿の下り坂を北へとおりていくと、下宿道祖神にたのんでおいたタクシーに17時55分に乗車でき、18時20分甲府駅到着。
【参加者】(順不同、敬称略)永田、高橋、堀地、三井、泉谷、田中(記録)、松本(CL)
【感想】
若彦路の踏査に参加した時も思ったことです。
現代とは何もかも違いますが、これらの道が運搬・生活道路として使われていたことに驚きます。
廃れて悪路になった道もあるでしょうが、私は趣味で「登山する」意識でなければ歩こうと思わず。
古道を歩くことや資料を読むことで、少しでも古の人々の世界に触れ追体験できること、おもしろいです。
また、読図など、良い山歩きのトレーニングにもなっているように思います。ありがとうございました。(泉谷)
傍に静かにたたずむ、あまたの観音様に見守られ踏み跡を探す山行は楽しかった。
地図上は波線があっても、踏み跡も見つからないところが女坂には多数箇所あり。
精進湖から暑ーい国道歩きも経て峠越えし 夕方に差し掛かる頃に甲府盆地を見下ろした時、古の人々の気持ちがちょっとだけわかったような気がした。日の長い時期に行って良かった道でしたね。永田さん松本さん参加の皆さま、楽しい1日をありがとうございました。(田中)
リーダーとしてもっとマメにGPSを確認しつつ進めば・・と反省しています。
峠には石仏は残るも他にはあまり見られず、でも、石畳を掘り起こし、まだ石の表面も乾いていない箇所を発見したときには、地元の方々の労苦に感動し、いろいろな意味で古道調査を体感できました。(松本)
今回歩いた道のどこが中道往還であったのか、そうでなかったのか、いまひとつ確実ではない。
沢添いの道がそうだとする資料もあるが、上から下に向かうにはリスクが多くて実行に至らなかった。
幸い、地元の人とコンタクトが可能になり、そちらの情報に期待したい。(永田)
【特記事項】阿難坂峠から女坂を下る途中で腰の筋肉が不調となった一名が上九の湯にタクシーを呼べて甲府到着の連絡を受け、無事に帰れて良かった。
17時に右左口宿下宿道祖神前にタクシーを予約しておいたが、迦葉坂に入る前の電波状況が安定している時にタクシー会社に電話して17時45分に変更しておいた。
少し遅刻したので18時にしておいた方がよかった。
晴れていて日が長い時期だったため、ヘッドランプを使うことなく無事に下れたのはよかった。
精進湖から登る途中で三方分山から下ってくる登山者に出会った他は、人にも動物にも出会わなかった。
【反省会】甲府駅前の奥藤本店
【ヒヤリハット】特になし
【記録】松本