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公益社団法人日本山岳会

11月山行■屋久島古道調査

【山名】宮之浦岳・永田岳(屋久島古道調査)
【日程】2024年11月3~5日(日祝~火) ※全体を通して霧多し
【集合】2日(土)18:30(予定)民宿屋久島
     *
全員集合まで長い一日だった。
天候不良で鹿児島→屋久島の2日午前便がすべて欠航。8:50発の朝一便に搭乗予定だった4人が鹿児島空港で空席待ちするはめに。
連休とあって席の確保が危ぶまれたが、夕刻になって2人が最終の一便前、残り2人が最終便に乗ることができた(「奇跡だ」とタクシー運転手)。
とっぷり日の暮れた20時ごろ、民宿にて感動の7人全員集合。
待機中、島へ前乗りしていたメンバーからの情報にも大いに助けられた。
なお、空席待ち組は合間の4時間でレンタカーを借り、鹿児島の鹿児島神宮と石體神社、霧島市立隼人歴史民俗資料館を訪ねた。
屋久島
【行程】 ※荒川登山口~宮之浦岳・永田岳のピストン(避難小屋2泊)
◎3日 曇り時々雨
5:10ジャンボタクシーで民宿を出発。
6:10荒川登山口着。朝食、トイレを済ませ6:35トロッコ道を歩きだす。
まもなく現れた岩のトンネルに花崗岩の島であることを実感する。
手すりに寄りかからないで、とある橋は踏板の隙間から水量豊かな沢が覗き、なかなかの高度感。欄干のない橋も多い。
スタートから1時間で傘をさす。以降、小雨ながら降ったりやんだりの天気。
7:30小杉谷集落の橋の手前、トロッコ道のカーブ脇に木の鳥居。大山祇神をまつる社で、急な石段の下、鳥居の足元にもお賽銭が置かれていた。
7:43橋を渡り小杉谷集落跡。1970年まで屋久杉伐採の前線基地として存在した林業集落で、森林軌道が敷設され小中学校が置かれていた旨の説明板がある。
8:14楠川分れ。白谷雲水峡からの楠川歩道が合流する。
8:33三代杉を右手に見て9:38大株歩道入口。トイレ・補給・スパッツ装着など足拵えをして急登の森に入る。
10:34ウィルソン株。ハートをさがして、しばし撮影タイム。
11:30水場で給水。やわらかい甘露の味。
11:45大王杉、11:55夫婦杉を過ぎ12:30縄文杉へ。このときだけ青空がのぞき、縄文杉を明るく照らしていた。
12:53高塚小屋に到着、昼食。ふたたび曇天に。
13:28出発、荷物の重さと最後の急登に喘ぎながら14:40新高塚小屋に到着。
湯を沸かしお茶とお酒で暖をとる。ゆっくり飲み、語り、山行中に誕生日を迎えるメンバーを祝うサプライズも。
19時頃には小屋全体が眠りに就いたが、夜中、走り回るネズミに驚く声が何度か上がっていた(かじられないよう食料は吊るして保管)。
◎4日 曇り一時晴れ→雨
4時過ぎ起床。朝食のあと不要な荷物を小屋にデポして6:00出発。宮之浦岳、永田岳をめざす。
まだ暗く道を探るのも一苦労だが、ヒメシャラの森を抜け明るくなった7:20ごろ、霧が流れて山頂が姿をあらわし歓声が上がる。
7:57平石岩屋。このあたりから巨岩の展望が増える。中にはモアイ像のように見える岩も。
8:54焼野三叉路。小休止のあと9:05宮之浦岳山頂に向かい急斜面を登る。
9:35宮之浦岳登頂(1936m、一等三角点あり)。岳参りの祠を探すも、なかなか見つからない。
やがて巨岩の隙間を覗き込んだ一人が、奥まった場所に守られるように建つのを発見。差し込む光が祠を包む。
10:17焼野三叉路に戻り、永田岳に向かう組と高塚小屋へ先行する組、二手に分かれる。
永田岳組はシャクナゲのトンネルを抜け、先を急ぐ。永田岳に近づくにつれ足元に水が増え、霧が濃くなっていく。
ロープのある急峻な岩場を登りきり、12:00永田岳登頂(1886m)。
事前情報ではわかりやすいとの話だった祠だが、こちらも見つけるまで15分ほどかかった。
巨石を屋根のように戴く岩陰にひっそりと建つが、宮之浦岳のそれより側まで近づける。
苔むした祠は堅固で、お供えの湯呑なども美しく保たれ、大切にされていることが窺える。
傍らには学校登山の記念と思われる古いプレートも見られた。撮影後、速やかに下山にかかる。
行きよりも濡れた岩は滑りやすく、登山道にかぶさるヤクシマダケの笹の露でズボンがびしょ濡れに。
13:30焼野三叉路に戻る。雨具着用、着替えなど各自対処して新高塚小屋へ向かう。
15:55新高塚小屋着。デポした荷物をパッキングし直し、トイレを済ませて16:25出発。
途中からはヘッドランプを点け17:50高塚小屋に到着。先行組が場所を確保してくれていたため無事宿泊できた。
濡れたものの始末をして夕食をとり20時就寝。
◎5日 晴れ 
3時過ぎ起床。最低限の補給と身拵えをして4:10下山開始。
真っ暗な中、ヘッドランプを最大照度にして慎重に足を運ぶ。階段と木道の多い行程で緊張が続く。
5:10大王杉で小休止。6時半ごろ遠くの空が赤く染まりはじめ、6:48大株歩道入口で補給・トイレ休憩。
日が昇り、急勾配を過ぎてトロッコ道に入ったためスピードを上げる。
が、濡れた木道は来たときよりも滑りやすい。日帰りの対向者とのすれ違い時に転倒が続出する。
速度をやや緩め8:30小杉谷集落跡を通過。
作業員を乗せたトロッコ列車に行き合いながら、出発からちょうど5時間で9:10荒川登山口に下山完了。
予約していたタクシーの運転手氏が「時間どおりですねー」と迎えてくれた。
     *
午前便で帰京する1人を空港で降ろし、他6人は宮之浦の益救(やく)神社を参拝。
タクシーで楠川温泉に向かう午後早い便の3人を見送り、最終便組は下調べ等でお世話になったナカガワスポーツ店に挨拶に立ち寄る。
昼食後、徒歩で日増上人開山の久本寺と、近隣の山口神社を回る。山口神社は祠へ続く金属階段が朽ちかけ、祠の扉も閉じられていた。
13:50「登上」停留所からバスに乗り永田の集落へ。
終点「永田」で下りると永田岳には雲がかかっていて撮影は叶わず。
徒歩5分ほどの永田嶽神社と道すがらの大山祇神社を訪ねる。
どちらの社も白い海砂が敷かれ、永田浜らしさが足元からも感じられた。
滞在40分で15:06発のバスに乗り空港付近へ戻る。
「縄文の宿まんてん」で汗を流し、鹿児島経由で帰京、解散。
屋久島
【ヒヤリハット】
・途中、頭痛と吐き気に見舞われたメンバーがいたが服薬で回復。無事、全行程を踏破した。 
・張り出した大木の枝への衝突が複数あり。
【特記事項】
・岳参り道の調査予定当初は、発祥の地といわれる永田集落からの永田歩道を考えていたが、2024年の台風10号で崩落部ありとの情報が入り、また、鹿之沢小屋付近の渡渉が万一、不可能の場合のリカバリーが難しいことを考慮して通過を見合わせた。
さらに、宮之浦集落の最近の岳参り道であるヤクスギランドから淀川登山口までの車道も通行禁止、白谷雲水峡からの迂回路にも渡渉があり、通過できるか不明、との情報も入り、今回は、山頂の祠の写真記録を目的とした。
安全性、確実性を優先して荒川登山口からの往復となった。
宮之浦岳は全員で登頂したが、祠の記録と、その日の宿泊場所確保とを両立させるため、永田岳は7人中5人が登頂した。
実際に、先発隊が高塚小屋に到着してほどなく、複数のパーティーがやってきたので、リスクを予測して行動できた結果となった。
・鹿児島ー屋久島はプロペラ機での運航で席数が限られる。欠航した場合、いかに早く変更手続きをするかがカギと思われる。
並行して船便も押さえるなど、複数手段で確保を図りたい。
・ひと月に35日雨が降る、と言われる屋久島。湿度が高く濡れたものは乾きにくいため、衣類の替えは多めに持つとよい。
・5日、最終便組が昼食をとった宮之浦の「お食事処 潮騒」はタクシー運転手氏おすすめの店。お造り定食、美味でした。
【参加者】
松本(CL)、永田(SL)、高橋(装備)、泉谷(在京連絡)、中村(会計)、成田(気象)、兵頭(記録)
(在京担当)城田
屋久島
【感想】
国会図書館でもなかなか資料に出会えず、全く先が見えなかったところ、太田五雄さんの分厚い寄贈本に出合えて小諸までお話を伺いに出向いて、ようやく一歩を出せたのでした。
台風シーズン、雨シーズンを過ぎた11月の連休と決まって6月に飛行機と宿とタクシーを予約。
ところが、夏の台風であちこちの道が使えなくなり、コース取りを計画するのに難儀しました。
集落からの岳参りも、時代と状況に合わせて変化させているので、ログを取るよりも、祠などのスポットの写真記録を主目的へと柔軟に変更。
参加者それぞれが役割を果たして協力し合って、目的も果たせて、無事に帰って来られたことが何よりだと思っています。
最終日、青空のもとで海沿いの町から山々を仰ぎ見て、すべてを歩いて奥にある峰まで目指した行程の大変さを推し量れるために、強い信仰心がわかるような気がしました。(松本)

屋久島は縄文杉、宮之浦岳は最南端の日本百名山として知られているが、この山を古くから「岳参り」が行われる信仰の山と見ている人はほとんどいないだろう。
山頂傍の巨大な岩の隙間の祠を設け、祠越しの岩の隙間からは光が差し込む。
傾斜のある岩のため人は天を仰ぎ伏し拝む形になる絶妙な配置。
この山まで現代の我々でも往復3日は要する。
道も不確かな過去においては大変な行動であることは言うまでもない。
屋久島にはそれぞれの集落毎に最寄りの山へ登る岳参りが行われていたという。
農地に乏しく台風など天候に左右されやすい島では天上に不動にそびえる山が信仰の対象になった事は当然の成り行きだったかもしれない。
屋久島の人々の信仰の深さを知った山行であった。(高橋)

合流する前日に白谷雲水峡へ行った。小雨でも渡渉箇所がすぐ増水して戻れなくなると聞き早めに折り返したが、苔むす森まで行った人たちは膝まで浸水して大変だったとか。ギリ間に合ったが登山道は川になっていていきなりの屋久島の洗礼だった。
帰りに牛床詣所に寄るとそこはまるでジブリ映画のワンシーンで、鳥居をくぐると自然界と人間界の境界という雰囲気。光る緑の衣を纏ったように苔で覆われた祠、仁王像、石塔郡が原生林のなかに密やかにあった。
翌日は上空の風が強く鹿児島からの飛行機が欠航、合流できないかもと厳しい島の自然をまたも痛感。
そんな状況で集結でき、ぶじ宮之浦岳と永田岳の頂にある祠を探索できたのはまさに奇跡。
岳詣り調査への強い信念が通じたからか。
車酔いからの胃腸の不調でみなさんにはご心配おかけしました。松本さんからカロナール、兵頭さんから太田胃酸をいただいて驚くほど快調になったのもびっくり。これから必須アイテムにします。ありがとうございました。(中村)

今回の山行は天気に左右された。初日屋久島への移動は天候不良で困難を極めるも当日中に島に到着し、翌日荒川登口からの新高塚小屋まで登れた事。
3日目宮之浦岳と永田岳に登頂出来た事は、振り返ると結果的に運がよく。今回のメンバーは、屋久島に呼ばれたんだ。と感じた。
飛行機の欠航初体験、初屋久島&屋久杉、初山小屋、初暗闇歩行と初めての体験が多く思い出に残る貴重な山行の一つとなった。
今回は岳参りの古道調査という事でしたが、おそらく宮之浦や永田岳は、距離の長さや高さから見ても中上級レベルのコース。
近くの集落の住民がそれぞれの山に岳参りを行っていることに驚きました。
ちなみに岳参りとは山岳信仰の一つで、屋久島では約500年前から伝わる集落行事で宮之浦集落では、宮之浦岳参り伝承会が2005年に復活させ、春と秋の年2回、屋久島最高峰の宮之浦岳に登り、集落の安寧を祈願しているようです。(山頂付近の大きな岩の間にポツンと立つ祠がありました。)
そしてここまでの山道は、まあまあ急登で大変だと思いました。
今回宮之浦岳登頂後下山した所で、班を二つに分け永田岳を目指すチームと高塚小屋に移動し、本日の寝床を確保する2班に分かれ行動。
永田岳を登頂した後に、徐々に天気が崩れ、17時40分頃高塚小屋に到着した時、雨は本降りで、遅い到着で高塚小屋で待っていたメンバーは本当に心配したと思う。
小屋は満員で、もし場所を確保してなければどうなっていた事か、本当に感謝しました。
3日の朝、宿から見た空は綺麗な星空でした。
荒川登山口すぐインディージョーンズのようなトロッコトンネル。
木の真ん中に穴が開いた杉や厳しく聳え立つ様々な形の杉、行きは大きくて古い杉に驚いたが、慣れた帰りは、感動は半減。
すっかり薄れてしまいましたが、大杉を守るように立っている赤い木(姫シャラ)にも驚きました。
この木も大きくツルっとしてて存在感大。大杉と合体してる姫シャラや蜘蛛の巣のように広がる姫シャラにも感動しました。
偶然動いているトロッコにも遭遇。
トロッコは大正12年開通 現在は、山の整備や屎尿回収に利用されてるとの事。
まさか出会えると思わなかったのでテンション上がりました。
個性的な岩山、湧き出る水は柔らかく美味しい、永田岳の山肌は、綺麗な緑の絨毯に摩訶不思議な岩、そして鳥居を想像させる手摺り付きの橋。
古杉や大岩信仰、人と動物の共存、現地の方々の人の良さなど、過去と現在を感じられた。
今回は、天候や日程の関係で主な古道を見ることは出来なかったが、いつか見てみたいと思いました。(成田)

後光がさしているような祠を宮之浦岳山頂に見たとき、自然とひざまずいて祈るような格好になっていた。
古来、里から岳参りでたどり着いた人々の思いの一端を垣間見たような気がした。
トロッコ道の木道歩き、岩場登り、ヒメシャラ、シャクナゲ、屋久杉の森に豊富な湧き水。
多彩な自然に、緊張しない空気とでもいえそうなものが共通しているように思えた。
装備面では寒暖の幅の広い島の気候と山の気候をどう判断してよいか迷った。
結果的に防寒着を過剰に持つ一方、靴下の替えは不足するという事態になってしまったのが反省点。今後に生かしたい。
ただでさえ荷物の多い山行でサプライズの準備までしてくださった皆様のお心遣いに感謝です。
避難小屋での、ろうそく立てたケーキとコーヒーはとても贅沢な思い出になりました。(兵頭)

初日8時間半、2日目12時間、3日目5時間の行動は、雨とヘッデンが加わり、予定していたとはいえ、久しぶりの運動になった。
高校の友人に藤村君というのがいて、屋久島出身。
屋久島の姓は「ほとんどが藤村か永田」と聞いていて、永田岳と永田集落に行くのが念願だった。

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