【山名】鹿角街道古道調査
【日時】2025年10月11-12日(土日)曇り時々雨
【集合】JR盛岡駅改札口に9時20分
【行程】予約していたレンタカーに乗り、鹿角街道が通る夕顔瀬橋を通り、岩手山神社柳沢道との追分を経て大更・田頭・平館・寺田の集落で追分碑や一里塚を調査して七時雨鉱泉・憩の家で七時雨ロマンの会の方々、八幡平市担当者、岩手日報記者と合流して10人で11時15分頃に調査開始。
ログを取りつつ途上のスポットの写真を撮りつつ、12時43分留ノ沢一里塚到着。
昼食休憩後にマンダ並木道を通り、13時50分車之走峠到着。
峠らしい地形ではないが最高地点でゆるやかに下り始め、小川を渡渉する箇所の手前で、車を先に回した成田さんが登ってきて合流する。
見晴らしのきく牧野を横切り、マダ並木道説明板のすぐ右を入ってなおもゆるやかに下り、15時8分七時雨一里塚到着。
車で迎えに来ていたロマンの会の工藤会長と挨拶し、集合写真を撮る。2台の車で轍の深い林道を下り、追分碑・地蔵前で地元の方々と15時40分頃に別れた。
岩手日報記者が他の取材を終えて待っていたため、再び取材を受けた。
そのあと更に、白山神社・荒屋一里塚まで鹿角街道をたどり調査した後に、宿舎に入った。
翌日は同じ地点から車で、スポット周辺は歩いて鹿角街道をたどり、曲田一里塚を8時54分、梨ノ木峠を9時28分、苗代沢一里塚を10時20分に通過、調査し、田山・口留番所跡、湯瀬温泉を通過して八幡平駅の東500mの地点から東へと戻る形で湯瀬渓谷へ、11時52分車で進入開始。
天狗橋近くの公園に車を停めて車内で昼食をとったのちに、12時35分から遊歩道を東へ歩き始める。
蓬莱岩・獅子淵・長命の泉・剣ケ岩の説明板を写真に収め、13時10分に国道に出た。
車で東へ戻り、七時雨山荘に立ち寄り14時15分頃に出て、西根寺田の聖福寺・山崎一里塚の調査を経て16時半盛岡駅到着。
(以下は、運転担当者の記録)
街道名称はこれまで耳にしたことがなかったが、今回の調査を通じてその歴史的価値と広がりを実感する事が出来た。盛岡駅付近を散策する中で、古くから道路や河川が整備され、地域が栄えていたことがうかがえた。特に盛岡城付近には、歴史的スポットが点在しており驚きだった。鹿角街道の出発起点は、上の橋の近くにある鍛冶町一里塚。現在は、マンションが建っており当時の面影は石碑と説明文に残るのみであった。そこから夕顔瀬橋を分岐とし、物資が運ばれる街道になったようで北は秋田まで続く長大な街道であったらしい。初日は、新舘追分道標や多くの一里塚跡を辿りながら七時雨山を目指し、ロマンの会の人達の待ち合わせ場所に向かう。現地ではロマンの会スタッフさん、八幡平市の職員さん、記者さんと合流し挨拶を済ませ、古道調査開始。と書きたいが、自分は先回りして七時雨一里塚に向かい、ゴール側からメンバーとの合流を目指す行程に。
途中七時雨山裏側(東麓)に回り込むと、目の前に綺麗で広大な牧場と七時雨山山荘が現れ、カルデラ地形特有の景観に感激。写真を撮影。
七時雨一里塚の登山口を探すも、標識が見当たらず、Google mapに載った七時雨一里塚を目指し、新安比温泉「静流閣」から車1台通れる位のとても荒れた山道へ進入。途中でスマホが圏外になり道が表示されず入り口まで戻る。当然車のナビも表示されるはずもなく、ジオグラフィカを開くも圏外!!仕方なくGoogle mapの位置情報を目安に一里塚を感覚で目指し、なんとかそれらしい道が見つかり一里塚に到着。
次の課題はメンバーとの合流。多少の不安を感じながら位置を確認しながら移動開始(この頃はジオグラフィカが動いてくれた)行き先には、牧場がありゲートが所々に設置されており、そのせいなのか、他に登山者は全然見当たらなかった。マダの並木道のところに作業小屋があり、少しホッとしつつ歩いていると前からスーパーカブに乗った管理人さんらしき人と出会う。ルートは先の牧場の中を通った所にあると教えられ、牧場の中で少し迷いながら、なんとか古道らしき道を発見。丘の上から降りてくるメンバーと無事合流。下山後は白山神社、荒屋一里塚を調査し初日の行程を終える。
【参加者】(敬称略)永田・高橋・成田・黒沼・松本

【感想】
■古道調査に参加して以来、これほど長大な古道を辿るのは初めてで、非常に貴重な経験となった。
特に一里塚は、現存するもの、半壊、跡地と様々な状態で残っており歴史の重みを感じた。
七時雨山付近は「ロマンの会」の方々によって整備されているが、七時雨山一里塚方面は少し道が分かりにくかった。道迷いのリスク、牧場の中を一般の人が歩くことのリスクがある為、きちんとルール化した方が良いと思う。鹿角街道が古道120選にエントリーされたのは、一緒に歩いたメンバーとしてうれしく思う。より深く街道の歴史に触れていきたいと思います。
反省点としては、七時雨山パンフレットを信じすぎてルートをきちんと確認しなかった為、合流に時間を要し、現地の人にちゃんとルートを聞く、道路入り口の特徴や目印など聞くべきだったこと。古道は、目印も少なく、スマホのアンテナも立たないこともあり、地図やスマホに頼りすぎず、事前の情報収集を充分行うことです。(成田)
■何も勉強もせずに古道調査とはどんなものなのかを体験させてもらいたく参加しました。
歴史が特別好きとは言えませんが、昔の人々が何の為に、どんな格好をして何を思って山を越えるために歩いたのかを想像しながら歩くのはとてもドラマチックでわくわくしてきます。
それは今まで歩いた古くからある道を歩いた時もそうでした
ロマンの会の皆様が同行してくださったことで街道の四方山話を聞く事が出来ましたし初心者の私にとってはとても幸運な山行になりました。
今回歩いた道は整備してくださってるところは歩きやすかったですが、それでも1人や少人数で歩くのは熊出没の心配と明確な道標がない為に道迷いの心配もあるように思いました。
人々の往来を想像しながら、それこそロマンを感じながら歩けるように古道の整備がされないと古道歩きを推奨するのは難しいのかな?と思いました。
古道120選が製本されて自治体が関心を寄せ、古道を整備してくれるといいですね。(黒沼)
■初日は10人で歩いていたので熊への緊張は少なかったが、地元の方が私たちが歩いた後ろの方で熊がその道を横切って行ったのを目にしたと言うのを聞いて、さすがは鹿角と思った。翌日は5人だけのため、民家の間を調査している時でさえ、写真撮影などで一人になってしまわないよう、ずっと目配りを続け、車のピックアップに戻る時も二人で大声でおしゃべりするように努め、熊と遭遇しないで調査を終えたことでほっとした。のんびりと牧野でスケッチしたいような街道歩きだが、大勢で行くのが大前提。東北地方の多くの古道調査の最後を飾るにふさわしく、熊を含めた自然とのびやかな景色と深い歴史を味わえた。(松本)
■久しぶりの七時雨山だった。以前はここにある七時雨山荘に毎年のように通っていて陸中の山々を巡っていた。
今回2つのショックを受けた。ひとつは、七時雨山荘の経営者、立花さんが2年前に亡くなっていたこと。女将さんが8年ほど前に亡くなったことは聞いていたが、それまでにメールをやりとりしていたので驚いた。立花さんは当会の会員で、いまは息子さんが継いでいる。わたしがやりとりしたメールは息子さんだった。七時雨山荘にはサウナ設備がつき、ロビーにはジャズが流れていて若者たちが楽しんでいた。ホームページもでき、オシャレに様変わりしていた。料金も上がったようだ。
もうひとつは、七時雨山荘がある場所はカルデラ湖だったということ。七時雨山荘は七時雨山と田代山に挟まれた一面の緑の牧草地、フライパンのなかにぽつんと建つ赤い屋根の山小屋である。いわれてみれば、なるほどである。あまりにも慣れ親しんだ場所だったので考えたこともなかった。考えたことがなかったことにも驚いた。
古道を歩くことは歴史を旅することだ、と常々人に言ってはいるが、今回の旅でそのことを強く実感した。それまではこのあたりを何も考えずに歩いていたのだろう。
車之走峠越えにいまも残る行き倒れた人たちの石碑、これまでの馬頭観音とは違った道である。死を決して歩く、冬の厳しい道を思った。(永田)
【特記事項】七時雨山荘は代替わりして、喫茶の営業は2025年秋時点ではなかった。赤坂田駅近くの民宿木いちご荘は、飲み放題の果実酒、アルコール持ち込みOKとお釜のごはんをおにぎりへOKで、ライダーや家族連れも多く宿泊していて大満足の宿だった。
【反省会】魚処壱や盛岡駅前店
【ヒヤリハット】なし
【記録】松本
