メニュー

公益社団法人日本山岳会

ジョージアトレッキング メモ 2019年6月30日

旅行行程

2019年6月30日(日)成田発22:20 (麗山会ほか計 8名参加)

7月1日(月) ドーハ経由トビリシ着(時差-5時間)、トビリシ市内(メテヒ協会、シオニ教会、ナリカラ要塞跡)、

       Mercure Tbilisi Old Town泊

7月2日(火) 古都ムツヘタ(スヴェティ・ツボヴェリ大聖堂、ジュヴァリ寺院)、ゴリ(スターリン博物館)、

       ツカルツボTskaltubo Plaza泊

7月3日(水) (プロメテウス鍾乳洞、世界遺産ゲラティ修道院)、メスティアSunTower泊

7月4日(木) (チャラアディ氷河トレッキング、メスティア歴史博物館)、メスティアSunTower泊

7月5日(金) ムラクヒ村からコーカサス山脈眺望のトレッキング、ズルルディからリフトで2300mのスキー場上からの

       展望(カズベキなど)メスティアSunTower泊

7月6日(土) ウシュグリへ移動、お花畑トレッキングLaerti’s Guesthouse泊           

7月7日(日) ウシュグリからシハラ山麓氷河往復トレッキング、メスティアSunTower泊

7月8日(月) クタイシの市場、バラクティ大聖堂経由Tskaltubo Plaza泊

7月9日(火) トビリシへ移動、フリータイム、Mercure Tbilisi Old Town泊

7月10日(水) トビリシフリータイム、博物館見学、ドーハ経由帰国へ

7月11日(木) 成田着18:30

初めに:

コーカサス山脈の中にあり、ヨーロッパ一の高山「エルブルース」という山の存在は、かなり前から頭の中にあった(エルブルース山はロシア領)。そのコーカサスの南面に位置するジョージアという国を訪れる計画が麗山会の三尾彰さんから提示された。その山並みを見ることと、行ったことがない旧ソヴィエト連邦であったこの国を訪れる旅行商品は、今のところほとんど出ておらず、この機会を逃すといつ行けるかわからないということがあり、出かける決心をした。事前に阪急交通社が今回の旅行とは関係なく、その国についての情報を提供してくれる勉強会があったので参加してみた。大使館勤務の統計を専門とする学者風の人が色々と情報を提供してくれた。それ以外には冊子「地球の歩き方」ロシア版に数ページあるのみで、地図も手元にあったヨーロッパの道路地図帳の端っこに一部が欠けて入手できるのみだった。6月30日の夜に成田を立ち、カタールのドーハで乗り換えて首都TBILISIへ向かった。乗り換え時間を除いても13~4時間かかる。

人口380万人弱の国の首都TBILISIは若者があふれ、活気がある街。独立後の政府の新しい建物は、イタリア人やジョージア人建築家のデザインなど、一見、結構奇抜なものが古い建物群の中に馴染んでいるのが面白かった。第2の都市KUTAISIも然り。ソヴィエト連邦崩壊によってグルジアとして“独立”はしたものの、ロシアの軍事侵攻によって占領されている地域が国土の20%を占めるなど、未だに圧迫があるようだが、ますます発展してほしい国の一つだ。グルジアという国名はソヴィエト支配時代の印象が深いことも理由でジョージアに変更したとの事だ。

4日間のトレッキングで見た雪を纏った山々と、あきれるほどの花々が溢れるお花畑、そして観光用としてほとんど手を入れていない素朴な村里の風景は忘れられない記憶の一つになった。

植生:

ジョージアは大コーカサス山脈で北風が遮られ、南の黒海から湿った空気が流れ込むとい果物の森かごうところという。西ジョージアと東ジョージアは異なるのだろうが、脚で歩いた西に限って言えることは日本とよく似た植物群が多いように感じた。2000m位のところでは、ヤナギランやハクサンフウロによく似た花々が見られる。急峻な山に生える木々は、奥多摩の山と同じような広葉樹。ガイドのベカ君(24歳、元筑波大留学生)に聞いたら秋には黄色に色づくとの事。歩く山道の石ころや土の色も何時もの奥多摩と変わらない印象だった。

果実:

食事ごとに提供されるデザートは果物。スイカ、メロン、ネクタリン、アンズ、オレンジ、サクランボ(黄色、あずき色の2種)、リンゴ等。これが皆甘くておいしい。メロンは甘みがある瓜だが、25cm*15cm、いやもう少し大きいか、ベージュ色で日本で見るハネデューメロンの枕のようだ。果肉は真っ白。ほんのり甘く美味。ネクタリンは酸味が比較的あるのだが、甘さとのバランスが好みに合う。USHUGLIのゲストハウスの果物盛り籠に、一回だけバナナが1本だけ飾りのように乗せられていたことがあった。地場産のバナナは無さそうなので、多分輸入品だったのだろう。果物ではないが、トマトときゅうりがまた美味。トマトはいわゆる完熟トマト。きゅうりは太さ5cm、長さ15cm程で日本のものとは違うが、皮をむき、1cmほどの厚さにぶつ切りされて出てくる。なんとなく甘さが感じられ、食欲がなくても食べられた。農産物が豊かにが恵まれている。

料理の塩分:

料理全般には野菜料理が多い印象だった。細かく刻んだ何種類かの野菜を日本風に言えばマヨネーズなどであえたものや、ナスやパプリカのようなものを炒めているのか煮ているのか、薄味で整えているものなどがよく出された。牛や豚肉料理もあるが、マスと思われ る魚料理が良く出され、癖がなく、中々おいしい。また、魚種はわからないが青魚のピクルス状に調理された(握りずしのコハダのような)ものが好みに合った。動物系はハムやソーセージ、チーズは色々な種類が提供される。実のところ、3日目あたりから8日目あたりまで腹具合が悪く、西ジョージアではあまり料理を味わう気力がなかった。しかし、気づいたのは、料理の味付けは塩分が少ない文化なのかな、ということ。スープ、特に合計4泊したMESTIAのホテルのスープはほとんど塩分が感じられず、食卓の塩を少し加えるほどだった。でもチーズに限って言えば塩分は結構きつい。一泊のみのUSHUGLIのゲストハウスのスープは、いくらか塩分は感じたが、やはり薄味の地域なのかと感じた。東ジョージアのKUTAISIのレストランでの昼食では、ほどほどの塩分のスープが出て、美味だったが、腹具合が回復したことも関係してそう感じたのかもしれない。因みにスープは全て野菜スープだった。

水:

海外のほとんどの国がそうだが、ヨーロッパでも飲料水は市販のペットボトル入りを飲むことが常識になっている。一般に微炭酸入りとそうでないものが市販されている。今回も毎日ペットボトルが提供された。しかし、この国では水道水が普通に飲めるようで、MESTIAではもっぱら水道水を飲んだにもかかわらず、特に問題はなかった。公園の水飲み場の水は、自然の微炭酸入りの水のようだった。USHUGLIの宿の前の水道からは冷たい水がいくらでも飲め、いつもの海外旅行では経験できない日本国内と同じような水事情を知ることが出来た。コーカサス山脈の恩恵だ。これがこの国の東部や南部でも同じかどうかはわからない。

手つかずの自然:

今回は大コーカサス山脈の南麓を訪ねたが、人が日々生活をすることに最低必要な部分以外にはほとんど手が入れられていない風景が見られた。ヨーロッパトレイルとされているコースの道はそれなりの手が入っている。標高2000mで、ヨーロッパでは人が常住する最も高い地域と言われるUSHUGLIでは、花が咲き乱れるトレッキングコースは幅が30~50cm程で両側からの草や花で覆われていて、足元が良く見えないほどの踏み分け道だ。まさに昔の山村の作業道そのものであった。日本ならば、ロープや杭で仕切られ、立ち入り禁止の札が立つようなところは一切ない。踏むことが躊躇されるお花畑も自由自在に入り込めるし、ガイドはお構いなしに踏み込んでいた。牧草地の感覚なのか。今は入り込めることが出来ても、数年先に観光客が増えるとこの景色はきっと変わってくることだろう。我々がトレッキング中の数時間に出会った人は馬を連れた地元のおじさん以外皆無で、花に囲まれた風景を独占することが出来た。“あの世”とはこんなところかもしれない。この天国は、花の時期が終わると牛などの放牧に使われるということだが、これがお花畑の維持に役立っているのだそうだ。

ワイン事情:

この国のワインはクヴェヴリという土器のカメに葡萄を入れて土に埋め込み、安定した発酵条件を維持して作るという歴史があるそうだ。8000年前の壺が掘り出されたというから、

クレオパトラも飲んだという話は、それなりの裏付けもあるのだろう。各家庭でそれぞれワインを作り、一人当たりのワイン消費量は25リットルというから普段の生活から切り離せないもののようだ。自家製ワインは2リットル程のペットボトルに入れて道端で売っている。値段は5~6ラリ(約40円)で、なかなかうまいのだそうだ。壺は西ジョージアの道すがら、あちこちで大小、ゴロゴロと地べたに並べて売られていて、中には人が入れるほどの大きさのものもあった。民宿に泊れば、その家の自家製ワインが飲めたのだろうが、今回はその機会がなかった。今では登録されたワイン会社は500程もあり、年間8000万から1億2000万リットルの生産量があって5000万本(0.75リットル換算)が輸出されているという(その割には日本では見かけたことがないが、見識不足か)。これだけのワインを歴史に則って全て壺で作っているとすれば、大変な労力が必要だろうが、今は事情が異なるようだ。1950~70年代にソ連式工業化が行われた時期があり、文化的価値を損なうという点では大きな「損害」を受けたことになるという。しかし1993~99年にはジョージアワインの新しい歴史が始まったとのこと。これは1991年12月ソ連邦の「支配」から離れて以降ということになるが、工業化した生産方法に併せて歴史があるクヴェブリ製法を復活させてきたということなのだろう。TBILISIの専門店では星の数ほどのボトルが並んでいても、クヴェブリ製なのかそうでないかは聞いてみないとわからない。安いものは15~20ラリ(600~800円)、大半は30~50ラリ(1200~2000円)の値札が表示されている。ドライ、セミスイートとラベルに表示されているものが多く、セミスイートは飲みやすすぎる。絞った皮をともに発酵させる独特な製法の白ワインは琥珀色を帯び、何とも言えない豊潤さを感じさせる。(数値はジョージア国家ワイン庁の資料から)

警察:

日本の警察のイメージと海外のそれは少し違うように感じた。バスでMESTIAの街へ着入り、捜しながらホテル(運転手も、ガイドも初めてのホテルだとの事)へ向かったところ、中型バスにとっては狭い道や不安な橋を渡らなければならないハメに陥り、運転手(ミホさん)がムクレ出したので、ガイドのベカ君がバスを降りて何やら電話をかけ始めた。間もなくPOLICEと書いた小型トラックのような車が来たではないか。POLICEについて走り出したのだが、ちょっとした渋滞にはまった折、それを見逃してしまった。手前で左折したことに気づかなかったらしく、しばらく走って気づいたらしい。躊躇して止まっていたところ、POLICEは切り返して戻ってきてくれ、改めて先導に従って無事にホテルへ辿り着いた。カイロの時もそうだったが、警察がかなり民衆に溶け込んでいる印象だった。街の中心部にあるガラス張りで3,4階建ての警察の建物は、モダンでなかなか立派だっ た。以前の警察は汚職が頻発していたというが、ガラス張りにしたところ、それが激減したというから笑ってしまう。素直で善良な民族ということだろう。

犬:

TBILISIではそれほど感じなかったが、いわゆる放し飼いの犬の数には驚く。予防注射をした犬の耳にはメタルが取り付けられている。そうでない犬の方が圧倒的に多いのだが、噛まれて狂犬病ということについてはあまり気にしていないようだ。USHUGLIから氷河末端の茶店までのトレッキング2時間の間、2匹の犬がずっとついてきた。スタート時は6匹ほどいて、足元に纏わりつき、人懐こ過ぎて歩きにくい。そのうち1匹2匹といつの間にかリタイヤしてゆき、最後まで辛抱した彼ら二匹には結局昼食の際、皆が何かを少しずつ与えることになった。それだけを目的に“同行”するわけでもない様だ。誰かがヌガーのような昆布飴を与えたところ、歯にくっついて大慌てという一幕もあった。ジョージアの犬は地域の皆に飼われているという印象。犬の数にもかかわらず、糞がその辺に転がっているのを見かけなかったのは意外だった。

牛:

大都会の町中を除けば、道路であろうが野原であろうが牛が放し飼いになっている。豚もそうだが、とにかく牛だらけ。車の通行にも障害になっている。ゆっくり避けて通り抜けたり、横切るまで待ったりで、クラクションを鳴らす人は意外に少ない。住宅地の家(普通の家の敷地は200~300坪程度のように見えた)の庭にも牛がいるだけではなく、門の外にも“近所の“牛がいるという状態。よその牛がうちの敷地に入らないように門があるという雰囲気でもある。問題は犬と違ってその垂れ流しの糞。車道の真ん中だろうが、脇だろうがどこにでもある。足元を見て歩かないと生々しい被害が待っている。MESTIAの街では、車道の真ん中に落とされている大量の遺物が翌朝はきれいに掃除されていたことに驚いた。毎日ではないようだが、それなりの対応をしているようだ。ホテルの駐車場にも二頭の牛がいた。放たれている牛たちは夕方になると“自宅”へ車道であろうと山道であろうと関係なく、何頭も連れ添って帰ってゆくというのも興味深い光景だった。

車の追い越し:

TBILISIからGORI、KUTAISHIを経由してMESTIAまでの距離は確認していないが、車で渋滞がなく、一部高速道路を使っても10時間以上かかる。一日で走り切る距離ではないらしく、KUTAISHIの北にあるソ連時代のリゾート地TUKALTUBOに一泊した。バスはベンツの32人乗りで、我々8人とベカ君の9人だから、それはゆったりしすぎるほどだった。道路はほとんど2車線でセンターラインはある。一車線は日本でいえば大体1・5車線位の幅がある。そういう事情の道では前の車に追いつくと、普通に反対車線にはみ出して追い越しをかける。強引に割り込んでくることも普通。日本ではきっと喧嘩が絶え ないことになるだろうと思われるが、皆それを当たり前のように受け入れて、争い等見ることはなかった。バスの前方を見ていると恐ろしくて目を背けたくなる場面は時々あった。全般に今まで経験した海外のどこの国でも車での争いは、まず見ることはなかった。日本人は車に乗ると人が変わるといわれるのがうなずける。

自動車事情:

TBIRISIに着いてまず言われたのは、ジョージアでは車の7割が日本製だと。確かに都会地では、ベンツやワーゲン等の欧州車もあるものの、トヨタ、三菱、日産が多く、そのほかの日本車がすべて見られた。我々が訪ねた山岳地帯は、三菱車が多く、特にデリカが圧倒的人気車のようであった。そのうち右ハンドル車の数も多く、日本の中古車がかなり持ち込まれているようだ。床が高い4輪駆動車は悪路に対して十分に対応できるからだ。因みに、USHUGLIヘ向かった時のデリカ2台はいずれも右ハンドルだった。TBILISIでは道端にRENTALという紙を張った車が軒並み並んでいて、個人のレンタル商売が盛んなようだった。この中の日本車のハンドルは、左、右混在していた。

USHUGLIへの道:

USHGLIはMESTIAから東へ2時間ほどの高地にある。前述したように2000mほどの高地で、世界遺産になっている石の塔が住まいの一部として見られるところだ。しばらく車が少ない舗装道路を走った後はとんでもない悪路になる。もちろん舗装はなく、ガードロープなどは無い。山側は鉄平石が縦に重なった片麻岩の壁、水が豊富にしみだしている。反対側は端によれば崩れ落ちるのではないかと思うような路肩で、下は深い谷川。路面は水がたまり、ぬかるんだ悪路。とても自分では走りたくない道。たまに対向車とのすれ違いがあり、いやな道路だった。ロシアからの観光客が乗った車とすれ違う時、にらみつけるように見返してくる客の目つきが気にかかった。

ソ連邦時代の建物とロシアと距離を置きたい感情:

ソヴィエト連邦が1991年12月に崩壊した。その結果、それまでの連邦構成共和国は国家同盟のような結びつきに変わり、それぞれがそれまでとは異なる国家運営を行うことになった。連邦時代に作られた道路や、ダム、アパートのようなインフラはそのまま引き継ぐことになった。最西部の大きなアーチダムはジョージアの電力のかなりの供給源として重要な役割を果たしているというし、一部はロシアに「輸出」されているという。また東部にあるロシアとつながる幹線道路は200年ほど前に帝政ロシアによって軍用道路として作られたという。今は北(ロシア)に抜ける重要な幹線道路になっている。しかし、市街地では使われていない廃墟化した施設の点在や、昔の共産圏でよく見られたアパート群が、外装の整備などがされておらず、薄汚れて立ち並ぶのを見ると、「あの時代」の背景が見えるような気がする。体制が変わって30年近くになる今は、新しい瀟洒な住居が増えている。当時から引き継いだ役に立つ部分も多いとはいうものの、現在でも国家の一部を占領されている(軍事的な目的で)。占領や過去の体制に対する反発などから、帰途のTBILISIではデモが行われていて、国会議事堂の前には小さなドームテントが張られていた。プーチン大統領の訪問に反対するもののようだった。このような反発は、ジョージアの国会でロシアの議員が「上から目線」で演説したということが根源にあるとの事だ。占領されている地域があることによってNATOに入りたいが受け入れてもらえないなど、燻ぶる不満が所々に見えた。日本にいてはなかなかわからない事情を知ることが出来た。

手洗い事情:

日本はありがたいことに、手洗いが有料というところはまずないといってよく、清掃も行き届いているところは多い。それに反して海外ではまず有料と思わなくてはならない。そして下水道の関係から、日本の山小屋のように紙類は流さずに脇に準備された専用の容器に入れるようになっていることが多い。この国の有料手洗い事情は、ほとんどが0.5ラリ(19~20円)で、観光地の仮設では2ラリというところもあった。ただ他国と違うのはこの国では我が国と同じように紙類を便器から流すことが出来るということだ。最初は躊躇したが、これは都会地以外でも変わりはなく、下水道が整備されているのだろう。

下水道と言えば、MESTIAの宿は流した水がサイホンで十分に排水されないので2,3回水をためなおして流す必要があった。それも水がたまるのが遅いので、ロータンクの蓋を開けてシャワーの水を補給するなど、大仕事をさせられた。自分の部屋だけのことかもしれないが、配水管の施工が不適切で、サイホン効果が得られないことが原因のようだった。配管が見えるように施工されていたのは事情を説明するためだったのか。USHGLIの宿はまた別の問題があった。3か所使う機会があったが、すべてロータンクの上蓋が明けてあって、流す時はボールタップにつながっている紐や鎖を引っ張り上げなければならないということ。そのうちの我が部屋のものにあっては、さらに水を補給するには水位検知のフロートを手で押し下げなければ水が補給されないということ。構造がわからないと手洗いも使えないという経験をした。

以上思いつくまま、個人的な感想を忘れないうちにと文字にした。

                             2019年7月30日    今井秀正 記

pagetop