メニュー

公益社団法人日本山岳会

自己紹介 岸 哲生

自己紹介

岸 哲生(会員番号:13841)

 山との出会いは日光の中禅寺湖畔でのキャンプであった。中学2年生の時、同級生の友人と年長の青年達と、キャンプファイヤーを囲み、山の唄を歌った。翌日、戦場ヶ原の木道を湯ノ湖まで歩いた。湯ノ湖からさらさらと落下する湯滝に辿り着いた時、滝の水を全身に浴びてシャワークライムする人を目撃する。登山も沢登りも知らなかった少年は滝を這い上がるその人に目を奪われてしまう。心も震えていたのだと思う。『山』が私のなかに住み着いてしまった瞬間だった。

 中学3年生、登山隊を組織して、箱根の明星ガ岳~明神ガ岳~金時山にトライする。夏休み、台風の雨風に打たれながら歩き通す。同級生だけの登山としては大冒険だった。この頃、実家の近くに住んでいた山男から、天幕の設営方法、ラジウスの焚き方等、山の手ほどきを受ける。山男が雲上の別天地だという雲ノ平の話しは忘れられない。山男は鵬翔山岳会の草創のメンバーで、ホームページを開くと永久会員で名前が紹介されている。元気に登山を続けているようだ。

 高校の入学式の日、山岳部へ入部する。新人歓迎山行は大菩薩嶺、着替えを1枚も持って行かなかったことを先輩から褒められる。この山行から戻って間もなく、ガストン・レビュファの山岳映画『天と地の間に』を虎ノ門ホールで観る。ヨーロッパアルプスの岩と雪を攀じ登るクライマーの姿に魅せられてしまう。体中に熱いものが満ち溢れた。『岩と雪』が私を虜にしてしまった瞬間だった。

 16歳の夏、始めての岩登り・沢登りは丹沢のモミソ沢だった。一ノ倉沢も登ったという先輩から、出会いのモミソ岩でザイルワークの手ほどきを受ける。手のひらに伝わる岩の感触に胸は躍った。それから、2週間に1回の丹沢通いが始まる。東丹沢の沢を登り尽くして、翌年の早春、最後に残していたセドノ沢右俣のF5下段にて、滝の落ち口付近より足を滑らせて墜落、沢の水を赤く染めてしまう。直角までしか曲がらない右腕に今でも後遺症が残る。

 アルピニストへの夢はあえなく頓挫してしまったが、その後も山への思いは消えることなく、四季を通じて、関東周辺の山々、北アルプス、中央アルプス、南アルプスなどへ足跡を残す。10代、20代の登山は記録をほとんど残していないので記憶は曖昧だ。僅かに残るセピア色の写真を見てもどこの山で撮ったものか分からないものもある。登ったけれど、山頂に立っていない山もあると思う。

 学生時代を経て、社会人になってからも3~4年は休日登山が続いていたが、20代半ば、仕事の繁忙も原因し、山から遠ざかってしまう。登山は半年に1回程度であっただろうか…このような状態が10年余り続く。仕事への傾倒にやや疲労も嵩み、紆余曲折の消沈の果てに、少しずつ、また、山への思いが膨らんできて、『よしっ、北アルプスへ行ってみよう!』と登山を再開したのは30代後半。我が家の山の神が山女だったことも再開に勢いをつけた。それ以来、ほとんど二人で、毎月2回の登山を励行してきた。夏期休暇も3日程度しか取れないが、休日と合わせて、以前には足を延ばせなかった関東圏以外の山々にも出掛けている。この取り組みが、日本山岳会への入会に繋がっていく。

 2003年10月18日、山岳会ルームにて開催された新入会員オリエンテーションにおいて、自己紹介を最初に行ったという機縁で感想文を寄せることになった。会報『山』の12月号に載せられた一部を再録したい。

 【平山会長の歓迎の言葉で、山岳会の平均年齢が63歳であることを知りました。新入204名の平均年齢が気になって、総務委員の方にご協力をいただき調べてみました。結果は55.9歳…我らが年度は、多少、山岳会の平均年齢を下げるのに貢献しているようです。63歳という平均年齢は率直に言って意外でしたが、また、日本山岳会の特徴をあらわしているとも言えるのではないでしょうか。その歴史の長さや人脈の豊かさ、そして、登山と登山に関わる広範な活動が、若者を主体としたスポーツと異なる意味合いを持つことのひとつの証であると思います。】

 新入会員を募った山行は、翌年の徳本峠越えに始まる。山研での晩餐の折り、本田榮三郎先輩会員より同期会の結成を促され、9月の上高地・西糸屋山荘での設立集会へと結びついて行く。その後の経緯はここに記すまでもないが、麗山会の活動に参加し、会員の方々との交流を重ねるほどに、上述した自身の思いを更に深くしている。

 社会人になってからは友人との二人登山、30代後半からは山の神との二人登山だったので、団体登山は山岳部以来だ。前夜祭も含めて、賑やかな山行は二人登山とはまた違った楽しさがある。定例会における山の知識の講習も嬉しい。登山の内容を高めるために、技術の習得も改めて考える必要がある。20代半ばで途絶えていた岩登りも、仲間を得て、まだ、ほとんど室内ジムでのトレーニングの段階だが、再開した。9月には小川山のスラブにトライした。16歳の夏、胸に躍った感動が蘇った。〔その時、晝間さんが撮った写真を添付します。〕

pagetop