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公益社団法人日本山岳会

自己紹介 今井 秀正

自己紹介

今井 秀正(会員番号:13787)

麗山会発足の折、副世話人を仰せつかったことから既に自己紹介はさせていただきましたので、今更という気はしますが、とうとう「皆で一筆」の順番が来てしまったので何を書こうかと悩んでいるところです。

考えてみると私は結局いわゆる「山や」ではなく、根っからの「ハイカー」という部類だと思いますから、真のAGC会員適格者でもないと思ったりしています。

生まれは東京都ですが、当時は北多摩郡谷保村(現国立市)という、面積も人口も少ない所でした。小中学校の行事は林間学校や遠足で関東山地の東の縁の山、すなわち多摩・奥多摩の山や谷で行われることがお決まりで、それが山や林に親しむようになった理由のように思います。

もっとも昭和20年代末期から30年代にかけての国立というところは、松林や雑木林が多くその中の細道を抜けて幼稚園や小・中学校へ通っていました。東京とはいっても、まさに田舎で毎日がハイキングのようであり、帰りはその中を遊びながら、という子供時代がハイキング好みの基になったのでしょう。都会でもなく、海や山のある自然溢れる田舎でもないところの育ちが山などへの憧れをさらに強めたのかもしれません。

仲間と山登りが目的で出かけ始めたのは高校からで、その後は遊びが目的というわけでもありませんが、長野県松本市、伊那市の大学へ進みました。しかし2年生のときに椎間板ヘルニアを患い、当時の山行では普通に担ぐ30Kgを超える荷物には大いに苦しんだ思い出があります。そのときの名残か、腰は今でも時々おかしくなる爆弾になっています。そのようなわけで、大学時代の山は消化不良になってしまいました。

社会人になって間もない頃は山行の機会は年に小さい山を二つ三つと激減しますが、それでもポツリポツリと付き合っていたと思います。その頃の記憶はあまりありません。

会社勤めの要領を会得してからは、ちょっと時間があるとふっと多摩の前山へ、もう少し時間があると丹沢辺りへ、少し気合が入ると奥多摩のなるべく人が少ない山へ、そして年に何回かは八ヶ岳やアルプス方面、北関東方面ということで山に親しんできました。ですからそれこそ同じ山へ何回も登ることになりますが、それも四季折々の変化が楽しめて好みに合うわけです。木や草の中が好きなのです。

会社勤めはまだ続いていて、仕事の合間を縫って計画することも負け惜しみととられるかもしれませんが、もうしばらくは張り合いがあっていいようにも思っています。

私が最もよく行くハイキングはAGC会員ならば範疇外であろう高尾山(599m)です。自宅から電車の時間も含めて3時間半少々で往復できますから、前述の「ちょっと」のときは、標高差約400mの上り50分が適度で、時間がある日は2往復、3往復とコースを変えて上り下りすると800m、1200mのアップダウン豊富な5ないし7時間の本格的ハイキングに化け、大変好都合な位置にあることが理由です。

山頂に至るコースは10以上ありますから、上り下りはすべて異なるコースの組み合わせが出来ます。また周囲は1500種もの植物があるといわれ、植物学的にも全国有数の地域で、それらを観察することも楽しみの一つになっています。

東京近辺の方々はご承知でしょうが中腹の高尾山薬王院有喜寺は真言宗智山派の関東にある大本山のひとつで、成田山と川崎大師と並んで由緒のある寺です。

先日(5月連休前)のテレビで報道されていましたが、この高尾山がフランスの観光ガイド誌に京都や日光と並ぶ観光スポットとして紹介されていると聞き、まさかと思いましたが、どうやら事実のようで、外国人を含めて最近では年間250万人が訪れるということです。確かに最近の休日の日中はメインの1号路(表参道にあたる)は浅草の仲見世と間違えるような混雑に出くわすことがあり、白人系の外国人の集団も多くなっていて、少々異常を感じていたところです。

なにやら脱線して本当に雑感の書きなぐりになってしまいました。

そうは言いつつも、高い本当の山へも上らないわけではありません。どうぞ皆さん差し支えない範囲で結構ですので、時々お誘いくださるようお願いをして、乱文を終わります。

以 上

    2008年5月8日

同好会

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