焼岳 山行報告
山 行 日 令和6年9月7日(土)
メンバー CL 三尾 石間 畑島良 畑島冨 計4名
出発地 上高地西糸屋
コース 西糸屋5:45―焼岳登山口6:30-焼岳小屋10:00―中尾峠10:30
焼岳小屋11:10―上高地バス停14:30
早朝、弁当を頂き発った。ウエストン碑で確認、その後西穂登山口の門を過ぎ 焼岳登山口へ。
大正池を整備用道路の分岐である。大きな弁当にビックリ!
ルートは明瞭であり、左側のガレ沢の深みは火山特有な枯れ沢、焼岳が見渡せる。
この付近からヘルメット着用。1700m付近から急傾斜となり短い梯子が連続する。
気が抜けない尾根である。やがて壁に長い梯子が急角度で現れる。70度はあるかも。
急傾斜から緩み小屋に近いと知らされる。
焼岳小屋は鞍部にあり、登山者が多い。岐阜の中尾からや西穂方面の分岐である。
新中尾峠とも言う。ここから中尾峠まで偵察し焼岳を断念し小屋に戻る。
帰路の時間と上高地バス時間を鑑み、下山とした。下山も気を遣う。
上高地到着後、即バスに乗車。沢渡の自家用車を回収。
西穂高は、多くの若者に愛されている
この地を何回も訪れながら、上高地から西穂山荘に直登する登山道を残していた。
思った以上に登り詰めだが、整備されている箇所もあり、小屋までの最後の急登には、濃い紫色の
トリカブトが、標高差1000m近く登ってきたことを感じさせた。
何だかざわついた声が聞こえてきて、時計が12時半になろうとしていた。オーいいじゃない、ぴっ
たりだ。予定時刻通りのゴールに、気持ちが弾んだ。
小屋の広場は、若い登山者達で溢れていた。テン場も隙間なく色とりどりに張られ、名物ラーメンは、
行列だった。私も一息着いてから、生ビールで一人乾杯とした。
しばらくすると、ヘルメットをかぶった登山者たちが、濃いガスの中を続々と下山して来て、広場
はますます活気づいてきた。西穂高岳まで登ったのか、独標までとしたのか、興奮冷めやらぬ面持
ちで、無事下山を喜びあっていた。
久々に一部屋8人の女性たちと、消灯ぎりぎりまで山の話で盛り上がり、賑やかな楽しい夜となった。その時に聞いた話だったが、西穂高岳まで長い渋滞となり思うように動けなかった、そして濃霧が
高度感を感じさせなかった、北アルプス、今日がデビューでしたけど、思い切って登りましたなど、
聞けば聞くほど怖い話しだった。
翌朝、丸山近くまで登ってみたが、相変わらず絶景は濃いガスの中、早々に上高地にピストンとした。
前夜の女性たちの話を思い出して、かつての自分も、人に聞かせられない怖ーい話がいくつもあった
なーと苦笑しながら、静かな樹林の中の下りは、快適で、2時間少しで上高地に戻ってきた。
今の私には、十分な山行だった。
晝間弘子
若者がいっぱい
西穂山荘
美ヶ原・中山道 散策
麗山会総会後の翌日、久しぶりに美ヶ原へ出かけて、その後近々始める予定の中山道歩きの下見をすることができた良い一日でありました。
西糸屋山荘から西穂高方面に向かわれる晝間さんを見送り、我々4名(平野さん、岸さん、石山さんと私)はタクシーで沢渡茶嵐駐車場へ向かった。美ヶ原方面に向かう途中、岸さんと平野さんのご両名は新島々で下車する。松本市街からは県道67号(松本和田線)をひたすら進み、無雪期の美ヶ原に十数年ぶりに着く。雪原の「山本小屋」とは全く異なる佇まいにビックリ。ポニーにニンジンを与え童心に帰った気持ちになった。美しの塔まで散策し、長閑に牧草を食む放牧牛の群れを間近で眺めた。
この後ビーナスラインを進んで、途中旧和田峠(古峠と称す)に登った。江戸時代の諸街道の中で、最も過酷であったと言われている下諏訪宿~和田宿間、標高差840m、水平距離にして22kmの中間点の和田峠へ。峠からさらに1.2kmほど下諏訪宿側へ下って往時の街道筋を歩いてみた。とくに降雪期はさぞや厳しかったことだろうと想った。諏訪インターから高速道路に入り帰路についた。
北原孝浩
美しの塔
ポニーにニンジン 中山道