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公益社団法人日本山岳会

スイスアルプスの山旅 2019年

スイスアルプスの山旅 2019年

序文
団長 石原達夫
山想倶楽部の恒例となっている夏の海外登山も回を重ねるうちに会員も高齢となり、それを考慮すると目的地を決めるにいささか困難を覚えるようになってきた。
それでなくとも目的地の決定には時間がかかるものであり、通常2-3か月の検討を要する。目的地が決まると、どこにどうやって登るかという登山の本質にかかわる検討がある。
ヨセミテをはじめとするアメリカの山であれば登ったこともあるし、全体にある程度の知識があるので、あまり問題はない。しかしピレネー、ギリシャ・オリンポス山、中央アジアの山等はほとんどの予備知識がなく、スクラッチから調査することになる。観光ならいざ知らず、登山にかかわる参考文献とうは海外の山だけに日本では手に入りにくい。従って海外の文献を手に入れたり、インターネットを駆使したりして現地の情報を得る。その次にどうやって目的地に行くかという交通の問題、何処に泊まるかというロジステック課題がある。
このロジステックスに関しては@ワールドの山田功さんに全面的に頼ることになる。ロジステックスとクライミングとは密接な絡みがあるので、最終決定に至るまで山田功さんと何回も打ち合わせをすることになる。
さて、今年のスイスアルプスであるが、過去に何回か登山で来たことがあるので、何とか見当はつくが、今回のような観山的ハイキングはあまり経験がない。幸いなことに山田功さんは、ツエルマットにレジデントとしてガイドをしていたことがあり、シャモニーにも詳しい。
スイスアルプスは本格登山を目指す者にとって第1の海外登山のターッゲトであった筈で、山想倶楽部のメンバーの中には登山でここに訪れた人は多いと思う。それで登山者の終活として、かつて若き血を燃やしたこの地に別れを告げに来るのも意味あることであろう。
今回はグリンデンワルト、ツエルマット。シャモニーを拠点とし、八方に伸びる最先端の登山電車、ゴンドラ、ロープウエイを使えば容易に著名な山々を間近に見ることができる。
こういう経緯で2019年の スイスアルプスの山旅 は山田さんに全面的にお願いすることとなった。

恒例に従い参加者各位に分担して報告書を作成してもらうことになっている。そうすることで参加者1人1人の山に対する見方も窺い知ることが出来て、まとめると面白い文集となることは過去の実績が示している。
以下日を追って報告書を見よう。
 

スイス・グリンデルワルト&ツエルマット、フランス・シャモニー、ハイキング及びイスタンブール観光13日間の旅

期日 令和元年7月23日~8月4日
参加者 石原達夫(隊長)、髙橋 聰、下河辺史郎、菊池武昭、広島孝子、丸山サカエ
寺田正夫、寺田美代子、山田茂則  9名

7月23日(火)         山田茂則
成田空港に19時集合で今回の旅が始まった。全員19:00前には集合して、機内持ち込み以外の荷物を預け、出国手続きを済ませ、先ずは最初の目的地であるグリンデルワルトに向け飛行機と列車の長い移動である。成田発21時40分のトルコ航空でイスタンブールに向かう。

7月24日(水)         山田茂則
イスタンブールに3時20分着(時差-6時間)。空港内でチューリッヒへの乗り継ぎのため4時間を費やす。イスタンブール空港は今年の4月にアタチュルク国際空港から完全移転した空港で、成田空港の6倍の広さがあり、その大きさに驚く。そのためか、全てが広々としていて、休む場所にも困らずのんびりと過ごせる。イスタンブール7時20分発トルコ航空で9時20分にチューリッヒに到着。チューリッヒ発10時18分の列車でベルンとインターラーケンオストで乗り換え、13時36分にグリンデルワルトに到着。駅から歩いて5分弱のホテル・アルピナに向かう。ホテル・アルピナは、急な坂道の上にあり、スーツケースを押しながら登らねばならないので、僅かな距離とはいえ、ホテルに着いた時には殆どの人達が、気息炎々となっていたようだ。部屋からはアイガー北壁やベッターホルンが目の前に見える。だが僅かながら靄がかかっており、はっきりとは見え難い。一休み後市内を散策し、明日の行動の為の飲料や昼食を調達するコープや、モンベル等の店を見物しながら、町はずれの教会までを往復した。なおこのメイン通りにピッケルのベントの工房があり下河邊さんが中に入って話をして、シャフトがヒッコリーのピッケルを見せてもらっていたようだ。ベントの本業は建築用鉄骨加工業とのことでピッケルは冬場の暇なときに注文生産で作っているとのこと。只まだ存在しているのに驚いた。
明日はケーブルを乗り継ぎフィルストからファウルホルンを往復する予定だ。ファウルホルン迄行けば360度の眺望の中アイガーの後ろに隠れているメンヒやユングフラウヨッホも見えるだろう。明日も天気が良いことを祈りながら、同室となった高橋さん共々、早めに床に着いた。

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グリンデルワルドのホテルへ グリンデルワルドの夕食

7月25日(木)     下河辺史郎
昨日は、一日中チューリッヒについてから電車の旅。私は、車窓からの景色を見て、欧州の電車の旅と景色を楽しんだ。
本日も昨日に続き晴天。早朝、目を覚ますと部屋の窓からアイガーとシェルックホルンのとがった山様が見える。
7:30朝食。果物、チーズも有り、意外とクロワッサンが美味しい。
8:45にホテルの玄関に集合。今回の山行の第一歩が始まる。
朝から太陽の日差し強く、想像していたより暑い。ホテル近くのスーパーで本日の昼食、飲み物を各自購入。
ケーブルカーで一気に1,000mを登り2,168mのフィルストに30分程で到着。
ここでアイガーをバックに記念写真。本日は足慣らしと谷を隔ててアイガー、メンヒ、ユングフラウを見ることが目的。しかしながら、既に天気が良すぎて靄が上り、見えることは見えるが眺望は霞んでいる。反対側に目をやると本日の目的地ファウルホルンの小屋が白く小さく見える。バッハアルプゼーの池の近くまで白い道が草原の中に続いて見える。道はよく整備されており沢山のハイカーが歩いている。両サイドには高山の黄色、ブルーの花が咲き乱れている。残念ながら私には花の知識ゼロ。聞いても3歩も歩くと忘れてしまう。
1時間程でバッハアルプゼー池(2,265m)に到着。1時間歩いたのに高度はフィルストとほとんど変わらない。ここからが約400mの登り。バッハアルプゼーで後続を待つがなかなか姿が見えないので頂上を目指して行動開始。
30分ほど歩いて草地の良い場所(2,300m)で、眼下にアルプスの宝石と呼ばれるバッハアルプゼーの池を見下ろし、遠くにアイガー、メンヒ、ユングフラウが望める眺めの良いところで昼食とする。時間は12:00を少し回っている。
昼食後いよいよ頂上に向けての急な登りとなる。途中2か所に今は使われていない昔の山小屋があり、二つ目の2,442mブルギヒュッテの少し先で尾根にたどり着き、ルートは右に曲がり尾根の左側をだらだらと頂上へと伸びている。ファウルホルンの白い小屋が見えるが最後の登りはかなり急な登りだ。ここまでくれば頂上に行かなくてもいいかなと思うが、今日の報告書を書かなければならないので、最後の気力で頂上めがけて15分程、ハーハーゼーゼー。ファウルホルン頂上に到達(13:50)したのは5名のみであった。
360度の眺めは良いが、この時間になると残念ながら遠くの景色は何となく霞がかかり、ぼやけてしまう。残念!
14:10に下りだす。一気にバッハアルプゼーの池まで下ると、何人かの欧米人がこの冷たい池で泳いでいて、我々には理解しがたい。後は来た道を戻るだけだが、登りより長く感じる。2時間ほどでフィルストに着く。
16:20にケーブルの下の駅に全員無事到着。
三々五々、グリンデルワルトの街をホテルに向かって緩やかな道を下っていき、17:00少し前にホテルに帰り、19:00ホテルにて夕食。

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フアールホルン頂上にて フィルストにてアイガーを背にして 日の出のアイガー北壁

7月26日 第2日目     下河辺史郎

本日はゴンドラでメンリッヘェンに上がる筈であったが、ケーブルが修理中の為、登山電車でクライネ・シャウディック(2,61m)まで行き、アイガーグレッチャ(2,320m)経由アイガーの裾野をアルピグレン(1,615m)までのアイガートレック。
9時半の登山電車に乗るのだが乗車券は、当日朝の購入では混むことが予想されるので、前日にガイドの山田さんが購入済みで有るが、それでも発車時間の30分前に駅に集合する。
朝から夏の太陽がまぶしく朝のホームを照らし暑い。グリンデルワルドの駅は、プラットホームの屋根がないので、景色は良く見えるが夏の太陽の日差しが暑い。
電車がホームに入ってくるとホームで待っていた人が、我先に電車のドア―めがけて走り出し、先を争って乗り込む。僕たちは全員席を確保することが出来た。すぐに急な坂をアブト式の登山電車は急勾配を力強く登っていく。特に進行方向の右側の景色は緑の牧歌的なアルプスの景色が楽しい。結構ハイカーが歩いている。冬場は恐らく楽しいスキーのゲレンデになるのだろう。
30分程でクライネ・シャウディッグに到着。乗客の大半はそこからさらに登山電車を乗り換えアイガーの腹の中を通ってユングフラウヨッホに向かう。
我がパーティーは、トレックの準備と早くも土産物を買う人等で30分程時間を費やし、ここからアイガートレイルが始まる。アイガーグレシャーまでユングフラウ、アイガーウオークの広く整備された道を300m程登ると事になるが、ちょうど中間地点に人口の池が有りそこでユングフラウ(4.158m)をバックに記念写真をパチリ。
アイガーグレシャーに11時45分に到着しゆっくりと昼食を頂く。
昼食後、アイガートレイルでアルピゲンまで800m近い下り道、案内書によれば歩行時間は2時間50分。道は整備されているが、かなり起伏に富んだ道で北壁を右手に見ながら歩く。13,45北壁のビューポイント到着。大きな壁であるが今年は気温が高いので、雪が解け岩場が黒く濡れている。登山電車のアイスメイヤ駅のトンネルの窓も見える。左手はメンリッヘンへのロープウエーの工事の資材を上げるヘリコプターがうるさく飛んでいる。
最後の降り路であるアルピゲンに行く30分程の道はかなり急な下り道だ、下りが苦手な私にはつらい道である。アルピゲン駅の周りは牧歌的なところでレストランも有る。16:00アルピゲン駅に到着。16:17に下りの登山電車が到着。電車は結構混んでいたが私は幸いにも席を若者に譲ってもらい座ることが出来た。彼らは何かのイベントに参加したのか、揃いのコスチュームで陽気な若者たちだ。17:00グリンデンワルドの駅で解散。
三々五々翌日の昼食の買い出し。ホテル前の急な坂を上ってホテルに戻る。兎に角アイガーの北壁は大きかった。
今夜がアイガー東南稜登攀のミッテレギ小屋の明かりを見るのが最後。夕食後、ホテルのテラスからアイガーの夜空に黒々と聳えるシルエットとミッテレギ小屋の明かりを眺めてからベットに入る。

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アイガー北壁にて クライネシャウデック駅_ユングフラウへの電車 ユングフラウを背にして
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昔日のグリンデルワルドの家並み 昔日のグリンデルワルド2

7月27日         廣島孝子

今日はハイキング3日目です。
6時30分目覚ましのベルに起こされる。
なんと!少々疲れを感じる。私のようなロートルにはハードな2日間であった。
いやいやそんな事は言っていられない。これから先は長いぞ!
ツエルマットへの移動日であったが、私のたってのお願いで途中であるシーニゲプラッテに寄ってもらえる事になった。
実は、20年位前、一昨日登ったファールホルンからの長いトレイルを経て、この地に着いた時には、見事な花の楽園と目を見張るばかりの素晴らしい景色に感動したのであった。
私は、恋人にでも会えるような嬉しさでワクワクしていたが、今回は重い荷物を持っての移動であり、「なんだ、こんな所に連れて来て!」と皆様をがっかりさせては申し訳ない。いやいや絶対感動してくれる。と自問自答しながらスーパーでそれぞれ昼食を調達し宿を後にする。
グリンデルワルト駅9時49分発の電車に乗りヴィルダースヴィル駅へ、ここで荷物を駅舎に預かってもらい、おもちゃの様な可愛いアプト式登山電車に乗り換え、高低差1400m程のルートを50分掛けて、のろのろと登って行く。
気持ちの良い青空、電車は樹林帯の中を抜けて行く。ほどなくして眼下にはミニチュアの様なインターラーゲンの街と、ツゥーン湖、プリエンツ湖、が見え隠れしている。
開けた場所に出ると、車内からはガシャガシャとシャッターの音が響く。
車窓に雪を頂いたベルナーアルプスの山々の絶景が、突然目の前に現れたのです。なんと美しい景色でしょう!
間もなく、11時37分、目的地シーニゲプラッテ駅(1950m)に到着。
思いがけない3台のアルプホルンの演奏でのお出迎えに感激!
遠く青々と茂った急斜面の牧草地にはカウベルの音を響かせている牛の群れ。
冬がそして雪が降る前に沢山食べておかなくてはね!
アルプスの自然を活かしたアップダウンのあるトレイルを兼ねた8000㎡以上もある広大な高山植物園。
色とりどりのお花が咲き誇る中での山歩きも充分味わう事が出来ます。
ここからのハイキングコースも四方八方に延びています。
スイスに生育する600種以上もの高山植物を観る事が出来る貴重な場所でもあります。
時々雲の合間から顔を覗かせるアイガー、メンヒ、ユングフラワー、の大パノラマを間近に観ながら、丸山さんと草むらに腰掛けての、昼食は最高のおご馳走でした。
山とお花畑――私はこんな景色が大好きです。
いつかある日もう一度・・・と夢見ながら又来る事が出来て本当に良かった。リーダーを始め仲間の皆様に感謝です。有難うございました。
大好きな景色に後ろ髪を引かれながら、シーニゲプラッテ駅13時41分発の電車で下山、麓のヴィルダースヴィル駅に戻る。
預けていた荷物をピックアップ。荷物の重さにこれから先一抹の不安があったが、優しい殿方のお助けのお蔭で3回の乗り換えも無事クリアー!
17時14分目的地ツエルマット駅に到着。宿は歩いて5分の近くで助かった。
部屋の窓からは雲の中に浮かんだマッターホルンの雄姿が微笑んで迎えてくれていた。
日課としていた洗濯婆さんも今日は休業とし、早く床に就くことにする。
充実した長い一日であった。
 

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アプト式レールの見本シーニゲプラッテ駅で グリンデルワルト駅にて

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雲海に浮かぶマーターホルン

7月28日     寺田美代子

昨日到着したツエルマットは雨上りの爽やかな駅でホテルのテラスから、マーターホルンの姿が見られ、到着をとても喜んだ。しかし今朝は白雲一色で日の出もマーターホルンの姿も無く、生憎の小寒い雨模様の朝となった。7:00朝食の後、天候の回復を見ましょうと成る。では!!と昨日買い求めたスイス代表の花、エーデルワイス茶を味わってみる事にする。軽いミント味のすっきりとしたハーブテイで美味しい!お土産になるわねーと隣室の廣島さん、丸山さん、石原さん達と暫し寛ぎ、9:30頃より街の散策に向かう事となり軽い雨支度で出かける。
ホテルや店々で賑わうメイン通りを抜けると、左側に薄ネズミ色の氷河より流れくる川岸となる。少し先の橋を左に渡るとケーブル乗り場であるセネガーステーションに到着。晴れていれば本日はここでリターンチケットを買い、フラワートレッキングに向かう予定だった。記念に山々のパノラマ絵葉書を購入し対岸の道を折り返して戻った。途中教会の橋の上に来ると、ここがマーターホルンの絶景ポイントで現在展望台を建設中との説明で振り返るが、一向にその雄姿を見ることが出来ず、残念に思い乍ら、道を下りホテルに戻った。
昼食をホテルの近くのイタリアンで済ませ、午後からフリータイムとなる。又朝の道を通りマーターホルン博物館に向かった。館内には4,000m級の山々に囲まれた昔のツエルマットの人々の暮らしぶりや、山々を制覇したアルピニスト達の登山用具の展示、中でも下山途中で切れたザイルの展示には心が痛んだ。やはり下山は危険が多く注意が必要と、改めて身が引き締る思いがしたのでした。
天候の回復は捗々しくなく、トレッキングは望めぬ一日となりましたが、前2日は確りと山も花も満喫していたので、本日は中休みとなり、体力の回復になったとの声も有ったようでした。ツエルマットの街の歴史を学び、山岳地帯の街中をゆっくりと味わえた、とても楽しい貴重な日となり、雪の季節にも訪れてみたいツエルマットの一日でした。

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マーターホルン

7月29日     丸山さかえ

昨日は雨。皆、今日に備えて十分休養をとった。当初の予定では、多くの人達が憧れるマッターホルン登山者が泊まる「ヘルンリヒュッテ」を目指すことになっていた。しかし、昨夜、リーダーの石原氏からヘルンリヒュッテ付近に雪が降った可能性があり、安全の為コースの変更が告げられる。私は最近BSで「ヘルンリヒュッテ」の様子をテレビで見ていたので、少々残念な気がしたが、内心は他の皆様と同様ホッとした。
今日はクライン・マッターホルンの展望台へ行き、シュヴァルツゼー駅まで下り、そこからマッターホルン北壁を眺めながらの、ハイキングをすることになった。
8:10ホテルを出発。いつものようにコーポで昼食を購入。駅前はそれぞれの目的地に急ぐハイカーで一杯であったが、騒音がないので気持ちよい。(車が電気自動車のせいか?)ケーブルの始点であるウィンケルマッテン駅に向かう途中、突然、町中に教会の鐘の音が鳴り響き、礼拝の時を告げていた。
8:55ウィンケルマッテン駅に到着。既に登山者であふれている。添乗員の山田氏のリードで「クライン・マッターホルンリターン」「Same」とチケットの購入も皆スムーズになり、6人乗りの高速ケーブルに乗り込む。外はまだガスで真っ白。高度はグングン上がり暫らくすると、見慣れたあの姿が幻想的に浮かび上がる。ケーブル内に歓声が上がり、皆、夢中でシャッターを切る。
9:15シュヴァルツゼー駅(2583m)はすっかり雲の上、晴天が広がった。「どうだ」と言わんばかりのマッターホルンの雄姿。息をのむとはこのこと。
9:25トロッケナーシュテッグ駅(2939m)で最後の乗り換えをし、いよいよヨーロッパ最高地点の展望台クライン・マッターホルン(3818m)に9:40到着。風もなく、思ったより寒くない。
天を突く岩峰。神々しい姿に声も出ない。ブライトホルン(4164m)、リスカム(4527m)、モンテローザ(4634m)4000m級の山に抱かれ、光り輝くゴルナー氷河を望む大パノラマは神の領域のように私には思われた。スイスに初めての私は、今ここにいる実感がつかめずに、シャターを押し続けた。仲間の多くはスキーに、登山に、ハイキングに何回も来ているので、「あのコースを滑ったね。」と、懐かしそうにスキー談義に花が咲いていた。
それにしてもスイスの観光設備は素晴らしい。富士山より高い場所に1時間弱で我々を連れてきてしまうのだから・・・。
10:25トロッケナーシュテッグ展望台迄下り、コーヒーブレイク。マッターホルンに手が届きそうなこの風景は、夢ではないだろうか?と何度も思ってしまう。
11:15シュヴァルツゼー駅で下車。いよいよここからハイキングが始まる。湿原のような苔が生えているふかふかの草原を下っていく。地下は永久凍土だろうか?高山植物が咲き乱れ、何という気持ちよさ。マッターホルンの東壁から北壁を見上げながら・・。
12:15一番格好いい迫力ある雄姿を眺めながらの昼食となった。こんな贅沢な場所での昼食は二度とないだろう。周りはお花畑だ。キンポウゲ属、オトギリソウ属、ホタルブクロ属、リンドウ属、ユキノシタ属が咲き乱れていた。大好きなチョウノスケソウに出合えたのも嬉しかった。
アルプスの厳しい環境を生き抜くために、多様な進化を遂げてきた高山植物は、私の一番興味ある対象だ。地表ギリギリに放射線状に並ぶロゼット状のもの、地面に密着したクッション状の葉、ワックスのように表面がコーティングされた葉、産毛で覆われた葉や茎。何万年もの間、進化と退化を繰り返し、その地に適応する知恵で生き抜いている小さな花に尊敬と感動を覚えた。
12:50牛の放牧小屋が点在している草原を下る。氷河から流れてくる川の流れとカウベルの音が音楽を奏で、自然と歌が出る。谷に沿って立てられている牧舎は、素朴でどれも個性的な彫刻があり可愛い。谷を下り、やがて林道に入る。カラマツが涼やかな木陰をつくっている。
14:40フリー駅に到着。ここから今朝乗ったウィンケルマッテン駅までケーブルに乗り、
14:55ウィンケルマッテン駅着。皆、満足感でいっぱいのようす。ツエルマットの町まで戻り、途中で解散した。明日はシャモニーなので、各々ツエルマットの町で最後の買い物を楽しみホテルへ戻った。

 

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ゴルナグラットにて全員

7月30日     高橋 聰

本日は当初の予定だとフランスのシャモニーへの移動日であるが、28日の天気が悪く何も出来なかったので、少し予定を変更して午前中登山電車でゴルナブラットに行くことになった。
朝6:30のテレビのニュースでは、リフトやゴンドラはまだ動いていないと言っている。
マーターホーン上空は天気が良いようだが、どうやら中空は厚い雲に覆われていて、どうやら下界は雲海の中のようだ。8:40に荷物をホテルに預け、ゴルナグラット迄登山電車で行くことになった。(所要時間40分程度)
此処ツエルマットの標高は1650mで、上空は雲で覆われていたが、ゴルナグラット駅の標高は3089mなので、雲海の上にあり、展望台が、3200m地点にあり、この展望台より眺めるモンテローザ、リスカム、カスター、少し離れて位置するマーターホルン等の4000m級の山々やゴルナ氷河、グレンズ氷河等の眺めが素晴らしく、モンテローザヒュッテより、氷河の上にモンテローザへのトレースがはっきりと望め、数パーテイの姿を望遠することが出来た。いつまでも眺めていたいのだが、シャモニーに行く電車の時間もあるので、名残は尽きないが、10:10に集合して再び電車に乗り、ツエルマットへ下ったのでした。
此のツエルマットよりシャモニーに行くには、電車を3回程乗り替えねばならない。
電車で移動中天気は良く、なんとなくうとうとと昼寝をするも、電車を乗り替える度に、席も変わるので、電車の前後から、何に興奮しているのか不明だが、いつまでも大きな声が響いてくる。2度目に乗換えた、シャモニーまでの電車路は、急峻な山を切り開いて造られており、良くこんな処に電車路を作ったものだと感心するばかりであった。3度程乗り替え16:12にやっとシャモニーに着く。
本日宿泊するホテルはシャモニー駅の横にあり、ホテルに着いて荷物等を部屋に入れたら、街を見物することにする。街の中は夏のバカンスの為か人で溢れている。暫らく散歩した後、明日の昼食等を購入後、散歩の途中で予約しておいた、中華レストランで、各自思い思いの物を個別に注文し(大人数のパーテイ料理的なものが無かったので)皆夫々に満足して、ホテルに20:00に帰る。
その後レストランでは飲み足ら無かった山田茂則君、下河辺君、高橋、山田ガイドの4人で、駅前のバーで少し飲んで22:00頃ホテルに帰ったのでした。深夜12:00頃何だか大きな音で目覚め、火事かと思い外を見るが、何処にも異常は見られず、山田ガイドが玄関外に居るのが認められたので、何か異常かと聞けど、何もないようだ。明朝ホテルに聞くと何かの弾みで火災報知機が誤作動したらしいとの事。まったく迷惑この上なしと思えど、何も無かったので安心したのでした。

7月31日            菊池武昭                

本日は、エギュイ・ドユ・ミディ展望台(3842m)にゴンドラで上がる予定のため、ゴンドラ駅が大混雑する前に駅に到着したいので、ホテルを7時40分に出発する。おかげで、大きく待たされることも無く、8時15分発のゴンドラに乗車でき、8時45分エギュー・ドウ・ミディ展望台に到着した。上空は雲一つ無く、モンブラン(4810)をはじめ、多くの山々の展望が得られ、一番高いところにある展望台でモンブランをバックに記念写真を撮る。廣島さんより、当初予定のコースの「中間駅よりモンタンベール迄歩く」とは別に、「イタリア側のエルブロンネ迄バレー・ブランシュ氷河を横断するゴンドラで往復する」コースの提案があり、石原、下河辺、広島、高橋さんの4人が分かれて行動することになった。後で聞くところによると、高橋さんが何か高山病のような症状が出て(頭痛と吐き気)一人でシャモニーに下りて、11:00頃には、ホテルに帰っていたようだ。私は10年程前に集会委員会の企画に参加して、高橋さんや、下河辺さん等と、エルブロンネ迄バレー・ブランシュ氷河を徒歩で横断したことがあるので、当初予定のコースを歩くことにした。
エギュー・ドウ・ミディ展望台よりブラン・ド・エギュイの中間駅までケーブルで下り、9時30分中間駅出発。 シャモニーの針峰群を右手に眺め、プレチェールやエギュー・レムなどの岩峰群の下の朝露が輝き、草付きの斜面をほぼ水平に歩く。直ぐ下にシャモニーの街並がくっきりと見える。
2時間程歩いた頃、尾根を回り込むように登ると、エギュイ・デュ・ドリュ(3754m)やグランドジョラス北壁(4208m)等が 目の前に広がる快適なビューポイントに到着する。
12時10分~50分この素敵なビューポイントで、眼前に拡がる大迫力のエギュイ・デュ・ドリューを飽かずに眺め乍ら、ゆっくりと昼食とする。昼食後、メール・ドウ・グラス氷河に沿って下り、モンタンヴエール駅に13時40分に着き、レストランのテラスで冷たい物を飲んで休憩後、14時51分発の登山電車にてシャモニーへ下った。
このコースを歩く目的は、花に興味が無い私としては、前回見た幻想的な雲間に見えたグランドジョラス北壁に再会することであったが、天候が良すぎたのか、全く期待外れだった。

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エギーユ・ド・ミデイ展望台よりモンブランを背に エギーユ・ドメミデイへのケーブル シャモニーのホテル

8月1日                         石原達夫
今日は9日間に及ぶスイス・フランスアルプスの最終日である。最後の山に出かける前に全てパッキングを済ませ、チェックアウトをして主要な荷物をホテルに残す。
今日の計画は、ゴンドラを乗り継いでシャモニーの対岸の山、ブレバンに上がり、昨日まで間近に見ていたモンブラン山群とエギュ・デュ・ミディをはじめとする針峰群を遠望し、下山してホテルに戻り、午後一番一でジュネーブ空港に向かい、イスタンブール行きのフライトに乗るという結構慌ただしいものである。
幸いなことに今日は快晴で、対岸の高みからシャモニーの山を眺めるには最高の状況である。短い市街地を抜けて教会の脇を通る。見上げれば色とりどりの多くのパラグライダーが空高く舞っている。結構な坂道をたどること暫しで、ブレバンに上がるゴンドラ乗り場に出る。ゴンドラの終点は朝の赤みを帯びた白色の岩壁の上に見える。この辺りに来る観光客は、ゴンドラに乗るに際し並ぶということはせず、塊になって我先に乗ろうとする。その上パラグライダーの連中は大きな荷を背負って特権階級のごとく割り込んでくる。
多少の不愉快な思いはゴンドラに乗り込み、雄大な景色を見ればすぐ吹き飛んでしまう。モンブランから流れ落ちる巨大なボゾン氷河の全景が見えると中間点プランブラに着く。パラグライダーの連中はここで降りる。この辺は冬季のスキー場になっているようで、スキーリフトのターミナルが幾つか見える。乗り換えた上部上のゴンドラは大型の多人数用ゴンドラで、前面に広がる大パノラマに見とれているうちに終点のプレバン2524mに着く。少し登って展望台に着けば、誠に雄大な景色をほしいままにする贅沢さである。右端は氷河がまとわりつくヨーロッパの屋根白いモンブラン4810mとその眷属達、目を少し左に移せばエギュ・デュ・ミディの尖塔から始まり、グレポンで終わる針の山々のエギュ・デュ・シャモニー山群、メール・ド・グラス氷河(氷海)の谷間を挟んでラ・ヴェルト4122mが左端となる。尖ったドリュー3752mはラ・ヴェルトに抱かれた前景に過ぎない。グランド・ジョラスはシャモニーの山々に隠されていてここからは見えない。
モンブランの右端はエギュ・デュ・グーテで、この後ろ側にTMBモンブラン鉄道の終点のデ・ニーゲル駅がある。この鉄道は1900年代の初めに計画されたもので、当初計画ではモンブランの山頂直下までトンネルを穿ち、山頂にはエレベーターで昇る、という壮大な
ものであったが、第1次世界大戦で中断され、以後事業を継続することなく、線路は中途半端な形でデ・ニーゲルで終わっている。モンブラン山頂に登る容易な登山ルートは、デ・ニーゲル駅まで電車で行き、そこから歩き始めて新・グーテ小屋で泊り、次の日はドーム・デュ・グーテを経てモンブラン山頂に至るものであるが、容易なルートとは言えアルプスの最高峰モンブランは簡単には登らせてくれない。途中にはいくつかの難所があり、まずグラン・クーロアールといういやらしいところを通過しなければならない。ここでは毎年何人かの登山者が落石に当たって死傷している。また4000m以上の標高では常に強風が吹き、全山が雪ではなく氷河の供給源となる氷で覆われている。その為ここでは本物の氷雪の登行技術が要求される。帰路は往路をたどるのが安全であるが、氷雪技術に長けている人ならば、モン・モーディに出て、とてつもなく急ではあるが氷河を下降してエギュ・デュ・ミディに出ることも可能である。
シャモニーの針峰群は登行意欲をそそる岩峰であるがシャモニー側からのアプローチは長く,がれき地帯を相当に登らなければ岩壁にとりつくことが出来ない。メール・ド・グラス氷河から取りつく方が少し楽なようであるが、エギュ・デュ・シャモニーの岩峰に直接は取りつけるものではない。むしろ氷河から取りつける内側の針峰に人気があるようだ。
穂高岳の滝谷にあるグレポンの本家はここに見られるグレポンで、地獄の針の山もかくありなんと思わせる厳しい山容である。
目をシャモニーと反対方向に転じれば、巨大な断層で削られ地層をむき出しにした山が見られる。氷河で削られて出来たシャモニーの山とは違った山である。巨大な断層で削られたこんないい天気で、時間を忘れて思いにふけりながら、いつまでも眺めていたいところだが、現実はそれほど甘くない。出発に備えてホテルに戻らなければならない。ということでシャモニーの山はもう見ることはないだろうと思いつつ帰りのゴンドラに乗った。
あとは帰りの慌ただしい中を専用のバスに乗ってジュネーブの空港に向かったのであった。

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シャモニーの針峰とグレポン ジュネーブ空港 パラグライダー

8月2日                            石原達夫
ジュネーブ発のトルコ航空1920便はイスタンブール着が23時少し前、入国管理とかバッゲッジクレームを終わるころはもう24時、女性の現地ガイド、バシャさんのお出迎えを得て、ペラ・パレス・ホテルに着いたのが深夜の1時、2日の今日になってしまった。
たまたま今回の航空会社がトルコ航空であり、イスタンブール乗り換えなので、@ワールドの山田さんから観光でもされたらいかがという案が出た。これを皆さんに諮った所、全員が参加するということなので、スイスアルプスの続きみたいになってしまった。ただ、この付け足し観光が疲労の溜まった皆さんにさらに疲労を上乗せするということになり、帰国後寝込んだ人も出たということで、もしかしたら申し訳ないことをしたかな、と反省している。付け足し観光なので報告もいらないだろうと思っていたが、「山想倶楽部会報誌」編集者の要望でこれも報告に加えることになった。それはともかく、確かにイスタンブールは面白い都であることは間違いなく、長い今日1日の出来事を簡単にまとめたい。
朝9時にはバシャさんが大型の観光バスと共にホテルにお迎えに来た。以下バシャさんが案内された観光ポイントについて記録したものである。
バスを降りて、最初に向かったのがローマ時代の大競技場跡で、現在は馬の広場と呼ばれ、かつては馬曳戦車の競走が行われたところである。ここには3本の柱が立っている。テオドシウスのオベリスク、蛇の柱、コンスタンティヌス7世のオベリスクあるいは石工のオベリスクである。最後がドイツの泉あるいはウイルヘルム2世帝の泉と呼ばれる多角形の建物である。次の観光ポイントがアヤソフィア博物館の見学、博物館と呼んでいるが、もとはコンスタンティヌス1世が325年に建造したギリシャ正教の総本山となる大聖堂で、その後ジャーミィ(モスク)として使われたものである。大聖堂そのものが博物館と称され見学に供されている。
この後、タルハという名の土産店に連れていかれた。地下では見事な絹製のカーペットを見せられた。とても手の出せるような価格ではない。1階は焼物を展示してあるフロアーで、美しいタイル、ボウル等があり、何人かはお土産として絵タイル、食器等を購入した。
もうそろそろ昼食の時間となった。バシャさんはオープンエアの食堂街を抜けて、ちゃんとした店を構えたレストランに案内してくれた。トルコ飯を食したあとは午後の部が始まった。この時期のイスタンブールは結構高温で、その中を歩くので体力を消耗する。朝にバスを降りたままで、以後バスとは無関係に歩くだけである。次がトプカプ宮殿だがイスタンブールの施設の例にもれず広大である。トプカプ宮殿は15世紀中ごろから20世紀初めまで王の宮殿として使用されていたものでその間、何度も増築されている。この宮殿の外れからはボスポラス海峡が見えるティールームがあるが、そこで寛ぐ時間がない。慌ただしく宮殿の観光の後4世紀ころに建造された地下貯水池、通称地下宮殿イエレバタン・カルヌジュの見学をした。コリント様式の柱が天井を支えている様はまさに宮殿である。奥には2体のメドーサの首の彫刻があった。地下でしかも水があるだけに涼しい。
アヤソフィアさきには、イスタンブールを代表する巨大な4本の尖塔で囲まれたスルタン・アフメッド・ジャーミィ、通称ブルーモスクがある。内部の見学もできないわけではないが、礼拝の時間になると、いろいろ規制が有ったりするので、ここは外から見るだけにしてその先にあるヌール・オスマニエ・モスクに行く。このモスクはバロック様式の建物ですっきりしている。内部はじゅうたんを敷き詰めた広い伽藍で,何人かの信者が座ったり横になったりしている。私たちも見学用領域で座って聖なる休憩をした。天井が高いせいかとても涼しい。最後が巨大な有蓋市場であるグランドバザールに入る。入口は21あるそうだが、私らは1番口、ヌルオスマニエ門から入る。すさまじいまでの数の店がある壮大なバザールではあるが、時間の関係でごく一部きり見られなかった。私はここでスーツケースを買った。
これで今日の観光は終わり、ホテルから出るときに乗っただけのバスに乗り、テオドシウスの城壁を車窓に見ながらホテルに向かった。
 

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イスタンブール市内の電車 トルコでの昼食風景 トルコの街中散策

8月3日(土) 最終日
夜明けを迎え、バルコニーから眺めるイスタンブール市街が奇麗に輝きはじめた。我々が宿泊した「ペラ・パレスホテル」は、当地で大変由緒ある高級ホテルで、かの第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネデイも宿泊したそうだし、アガサ・クリスティーが「オリエント急行殺人事件」を執筆したホテルとしても有名である。また、ヨーロッパで最初にエレベーターが設置されたホテルだという。その、エレベーターは、今なお我々を乗せて上へ下へと活躍中であった。
今日は、午前10時から午後4時まで約6時間のフリータイムだ。
さて、何をしようか・・・・・、市内観光をすることにした。
午前7時30分からゆっくりと朝食を済ませ、午前10時半、ロビーに荷物を預けて出発した。イスタンブールは、ここ数日間蒸し暑い日が続いている。今日も蒸し暑い日になりそうである。
ここシステクラ通りは、イスタンブールの一大ショッピング街で、多くの商店が所狭しと、立ち並び、様々な人種や老若男女が行き交っている。
眼の部分だけ僅かに開いていて、それ以外には露出部が全く無い「ニカーブ」という衣装を身に着けた女性が多く見受けられて、ここがイスラム教の国であることを実感する。
ガラタ塔からタクシム広場までの通りをフラフラと気ままに観光やウィンドーショッピング、ちょっと疲れたらティータイムを楽しんだ。
オリエント情緒に浸りつつ、午後4時頃にホテルのロビーに戻った。
午後6時、送迎バスでシーフードレストランへ向かった。
6時半から今回の旅最後のディナーを楽しむ。
量が多くて完食できなかったが、旅の話で盛り上がりながら美味しくいただいた。午後8時頃、夕食が終わり帰国の途につく。
午後9時、空港着。
手荷物検査など出国手続きを済ませると、搭乗案内まで1時間半もの待ち時間になった。午後11時半、やっとトルコ航空52便の搭乗案内があり、A-7搭乗口から乗機する。乗機したまま日付が変わっても待たされる。

8月4日(日)
午前2時05分、やっと離陸した。成田まで距離10,000㎞、飛行時間10時間40分の気だるいフライトが始まった。
日本時間18時45分、東京成田国際空港着。6時間の時差を勘案すれば、定刻通りの到着である。全員無事に帰国して、13日間の楽しい旅が終了した。
今回の旅で訪れたスイスのグリンデルワルドからツェルマットは、25年前にも訪れた地であったが、街並みが大きく変わっており、4半世紀の時の流れを強く感じさせられた景観であった。
また、フランスのシャモニーは、妻が一度訪れた所で、エギーユ・ドゥ・ミディ展望台に立った時は、思い出がよみがえり感慨深い様子であった。
最終日を過ごしたトルコのイスタンブールは、イスラム色と国際色が妙に融合して印象深い地であった。
ただ、ここでのフリータイムが6時間と少し短い感じがした。
も少し時間が有れば、充実した観光ができただろうと思うと残念と言えば残念であった。
とは言え、今年の旅も例年に劣らず楽しく思い出深い充実した旅であった。
リーダーはじめ貴重な時間を共有できた全てのメンバーに感謝を捧げたい。
次回の海外プランにも参加できるよう、健康に留意して1年間を過ぎして行きたいと思う。
以上
寺田 正夫

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イスタンブールの新市内 イスタンブール旧市街 イスタンブール空港にて
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イスタンブール新市内 トルコにて トルコのマーケート
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最終日の晩餐会 シーニゲプラッテ植物園 花畑を歩く

同好会

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