記:吉永英明
期日 令和2年10月27日(日)~29日(火)
参加者 石原達夫、高橋 聰、菊池武昭、下河邊史郎、吉永英明、森武昭、小笠原辰夫、竹内晴美、杉田和美
前夜祭 (高橋、菊池、吉永、小笠原)
吉永が23日~26日迄JAC千葉支部の行事で佐渡島・金北山縦走に参加した帰路の為、新潟駅から妙高高原に直行。一人にしては可愛想との暖かい思いやりから、高橋、菊池の両君が前夜から駆け付け山想倶楽部の定宿である赤倉ユアーズ・インで待っていてくれた。夜8時からの酒盛りは大いに盛り上がって、12時過ぎまで続き、宿に迷惑をかける結果となってしまった。
10月27日
今回は平成26年からの信越トレイル踏査開始から数えて5回目の踏査行である。
9時頃出発し前夜祭で二日酔い気味の4人と東京からのメンバーが北陸新幹線「飯山駅」で合流の為飯山駅に向かうも、やや時間も早く到着したので時間潰しの為、飯山城址を見学に行くこととする。『ここは現在飯山城址公園として整備されており、往時は上杉謙信と武田信玄が攻防戦を繰り返していた時、上杉謙信が武田信玄に対する前線基地として改修し、「川中島の戦い」の頃には戦略的拠点として使用されていたようだ。現在本丸は葵神社境内となっている。』
此の飯山城址公園をほゞ一周し終わったら、ちよぅど時間となったので飯山駅に向かい、10時30頃、飯山駅で今回の参加者と合流する。早速小笠原氏が運転するユアーズ・インの車で、今まで未踏査で会ったトレイル南西部の万坂峠~赤池間の出発点である万坂峠に向かった。峠から袴岳(1.136m)へはこのトレイル有数とも言われている山毛欅と岳樺の美しい林の中、緩やかな登り・下りを楽しみつつ踏査、平成26年6月の第2回目の踏査の際、訪れたことのある赤池に着いた。4年前に昼食を摂った懐かしい無人小屋がポツンと佇んでいる。寂しい雰囲気で会ったが、このムードが信越トレイルには似合う。予定では高橋君に万坂峠より赤池まで車を回しておいて貰い、宿舎に直行する予定で会ったのだが、万坂峠と赤池間の道路が崩落し工事中で通行不可の為、仕方なく袴岳から赤池への稜線南東側中腹のトラバース路を辿って万坂峠に戻りユアーズ・インに帰った。
夕食は、いつもの心尽くしの料理、今回はコロナ・ウイルスの故か、メンバー構成の故か。心無し静かな夕食風景で有った。
10月28日
この日は昨年10月天候不良の為断念したトレイル北東端の天水山(1.086m)迄の最終部分で、前回トレイル踏査の代わりに雨の中を登った菱ケ岳(1.129m)への起点でもあった伏野峠から、12.8kmの山道である。
伏野峠からは少々の急登をして菱ケ岳への分岐点を横目に須川峠へ。峠からは細かなアップダゥンが連続する踏み固められた山道を辿り、野々海峠に着くと、伏見峠から車を回してくれていた髙橋君と菊池君が待っていてくれ、ここで下河辺君が不調で踏査行を断念してしまった。
いよいよここからがトレイルの最終路、一段と気を引き締め深坂峠へ向かった。この間には窪地様になった湿地が点在し、雪解けの春はさぞ ・・・・と想像した。
ここから三方岳(1.139m)までの間に長野県の最北端が有り、左手の越後側に急斜面が続き、時折木を掴み乍らの登降であった。この後は美しい山毛欅林の路が続き最終の天水山(アマミズヤマ)に着いた。
展望はなかったが、やはり山毛欅林が目立つ。ここまで出会った登山者は一人だけ。やはり信越トレイルは静寂が命と言ったところか。
天水山からは時折ジグザグ道もある大きな山毛欅が一面に林立する斜面を下り、黄葉も良いが、新緑も素晴らしいだろうとの想いを馳せ、車の待つ「大教寺高原キャンプ場」に降りた。
帰りは途中新井の『道の駅』に立ち寄り、いつもの日本海名産の「麹入り烏賊の塩辛」を多めに仕入れ定宿に帰ったのでした。
10月29日(曇り・小雨模様)
当初は、新幹線の「上越妙高駅」より見える篭町南葉山(800m)から南葉山本峰(909m)を経て五日市南葉山(789m)、猪野山南葉山(755m)に至る南葉山縦走を計画していたが、昨日の長丁場の疲労が残る年寄りが多いせいか、天候不順を口実に登山を中止し、GoToトラベルの恩恵を利用した食事を楽しむことになった。
ユアーズ・インから「大田切渓谷」沿いの道を辿って燕温泉へ。燕温泉は6軒ほどの宿と2軒の土産物店がひっそりと佇んでいるといった感じで「隠れ宿」的温泉街と言った風情である。妙高への登山口方面へ渓谷の道を辿り、登山口にある露天の「河原の湯」を見学。帰路温泉街近くにある「黄金の湯」にも立ち寄った。「黄金の湯」の湯加減は丁度いい。
温泉探訪の後は、GoToキャンペーンのおこぼれに預かり、上越市文化会館近くにある名店「富寿司春日亭」で高級寿司を堪能した。各々満足の体で新幹線「上越妙高駅」へ。予定より早く着いた為一列車早い便で帰京した。
信越トレイルは幹事によると若干の未踏査部分が残っている由のようだ。次回は是非これを踏査して完全なものにして、同時に今回の最終部分の「天水山の」山毛欅林の新緑をゆっくりと愛でたいと思うこの頃である。(令和3年3月初旬)