川村光子
期 日:平成3年6月21日~23日
参加者:西村幸雄、石原達夫、高橋 聰、吉永英明、小笠原辰夫、川村光子、石出文子(川村友人)
6月21日
東京発8時48分やまびこ53号に乗車して東北新幹線新花巻駅に11時57分到着。現地で案内して下さる当山想倶楽部会員で岩手支部所属の西村幸男さんと、昨日は早池峰山に登ってこられた小笠原辰夫さんに出迎えて頂き、先ずは新花巻駅構内に展示されている花巻出身の2刀流戦士、大谷翔平選手の数々の記念品等を見学後、昼食を済ませ、西村さんと小笠原さんの2台の車に分乗し岩手の名所を、先ずは遠野ふるさと村、農家のかっての暮らしである南部曲がり屋、江戸末期大型の曲がり民家5棟、千葉家へと向かったのでしたが,生憎と大修理中であり休館で有った。看板によると千葉住宅は南部曲がり家の分布域南縁に位置すると共に遠野地方の典型的な間取りで洗練された座敷意匠が採用されており、江戸末期の大型曲家民家として高い価値がある建物のようです。遠野の名勝・續石はここより小高い杉林の中に有り、幅7m、奥行き5m、厚さ2mの巨石が傘石として乗っており、その昔弁慶が傍の石に笠石を乗せたとか、古代人の墓とか言われているそうです「遠野物語拾遺」第11話。
又民話伝説で伝えられている、カッパも有名な話で、蓮池地区の常堅寺と河童由来、この地は蓮池と呼ばれていたが、その昔寺の火事の時、池の河童が火を消したことから住職が河童狛犬を祀り、感謝を表したとの事で、近くの小川には、竿に河童の餌なのかキューリがぶら下げられていました。「遠野物語58話」
「カッパの小径」を辿り休憩所で一休みを摂り、その後は金精様を拝み本日の宿である釜石の民宿へと向かった。この近辺も被害にあわれ新しい民家が点在している。民宿前川に5時到着。6時には夕食が用意され、この宿のご主人が漁師との事で、海の幸が満載で、磯の品数が沢山あり、供されたウニの殻が動いており、その味は絶品でした。
6月22日
本日は五葉山登山の予定だったのですが、昨夜来の大雨の為山道はぬかるんでおり、滑りやすいので危険との事で中止となり、五葉山の代わりに龍泉洞見学として、その後三陸海岸、浄土ケ浜、三王岩、田老防潮堤を見学。この時期は人もまばらで、私たちだけの静かな時間が流れるようでした。震災の有った海岸を歩き、静かな波音を聞きながら岸壁を見上げると津波の高さが表示されており、昭和8年(1,933年)には津波は10m、明治29年(1,896年)には15m、今回の平成23年(2,011年)17.3mと解り易く表示されており、その海岸には月見草の鮮やかな黄色が目を和ませてくれました。ここ三陸ジオパークは地形、地質的に素晴らしい景観というだけでなく、自然の豊かさ、人々の営み、多様な三陸の大地が織りなすジオサイト、山王岩は長い歳月をかけて寄せ返す波と風が創った奇岩で、岩肌におよそ一億年前の砂岩と暦層群が創る水平な縞模様が見え、一番高い岩には松の樹が生えている。幾度の津波を受けても変わらぬその姿から、自然の強い力を感じられたのでした。
そんななか岩泉の龍泉洞はとても神秘的な鍾乳洞で、ドラゴンブルーの奇跡の地底で、第一地底湖、第二地底湖、第三地底湖と分かれており、今なお調査が続けられているそうです。全長は5,000m以上と推定されており、観光コースは全長700mが一般に公開されており、鍾乳洞の入口よりほゞ直線的に伸びる神秘的な洞窟空間で、透明度の高い水の色は吸い込まれる程のブルーで、洞窟内は常時10℃前後の温度が保たれており、最後に急な階段を上って最上段に行くと、そこより地底湖水面迄およそ35mと書かれていて、水面を覗き込むと、吸い込まれるほどのドラゴンブルーの輝きを持つ神秘的な青が映え、幽玄的な表情に只々感動するばかりでした。階段を降り出口付近に向かうと地元産の山葡萄ワインが天然の貯蔵庫として並べられていて、不埒物が居るといけないので、貯蔵庫には厳重に鍵が施錠されていたようでした。
本日の宿は大船渡温泉ホテル ここは西村さんの地元で有り、奥さんの顔が見たいと西村さんはご自宅へ一晩ご帰還です。
6月23日
8時に西村さんの出迎えを受けて宿を出発。本日の予定は碁石海岸、三面椿、囲碁神社、東日本大震災津波伝承館、奇跡の一本松、復興跡海岸等と説明を受け出発しました。
碁石海岸を代表する穴通磯は海水の浸食により長い時をかけて岩に大きな三つの穴が開いた自然の造形美で大船渡のシンボルでもあり、絶景スポットでもある。三陸海岸の北部は「海のアルプス」とも称される豪壮な大断崖が連なり、南部は典型的なリアス式海岸が続いている。海岸は、ウミネコやオオミズナギドリの繁殖地が繋がり、岸壁にはたくさんの海鳥を間近で観察することも出来ました。
最後に東日本大震災津波伝承館であるいわて陸前高田にあるTSUNAMIメモリアルへ。ここではシアターで当時の災害記録映像を鑑賞し、被災した消防車両や橋梁等実際の物や、現場を捉えた写真、記録を通して事実を見つめ知恵と技術を具備し、又この教訓を共有し、自然災害を乗り越えるべき知恵を常に備えていかなければと感じたのでした。この建物を出ると目前には広大な高田松原津波復興記念公園が有り、震災伝承施設と共に、奇跡の一本松も約7万本の松のなかで唯一残された復興のシンボルモニュメントとして同じような形で保存され、その近くにあった陸前高田のユースホステルも半壊のまま残されており、当時の津波のエネルギ―の凄さを伺い知ることが出来驚嘆するばかりでした。復興作業は今も続いており、海を臨む防潮堤は第一堰堤、第二堰堤と続き、まるで要塞のごとき景観でした。
見学を終えた後はTSUNAMIメモリアルの食堂で昼食を取り、3日間お世話になった西村さんと別れ、小笠原さんに東北新幹線水沢江刺駅まで送って頂き、解散しました。
現地案内をして頂いた西村さん、車で来られた小笠原さんのお二方の車の運転により、おかげさまで有意義な3日間を過ごさせてもらった事感謝申し上げます。
東北新幹線水沢江刺駅で別れた小笠原さんは鳥海山に向かわれ、翌日何事も無く鳥海山に登られて無事帰宅されたようでした。