記:高橋 聰
日時:2022年2月14日(月)~18日(金)
参加者:関口興洋、下河邉史郎、横田昭夫、西村幸雄、大友厚夫(西村友人)小笠原辰夫、高橋 聰(7名)
2月14日
いつものように下河辺君が午前8時に拙宅迄迎えに来てくれて、スキー道具を積み込み妙高に向けて出発し、今回は何時もより早くユアーズ・インに12時30分頃到着する。すぐに部屋に入りスキー用の衣服に着かえて、小笠原君に赤倉観光スキー場迄連れて行って貰い、本年はスキー場より宿まで滑って降りられるようにしているとの事で、そのコースを僕は周知しているのだが、下河邊君は降りたことが無いので、念の為に案内をして貰う。
リフト券を購入しゴンドラに乗らんとすると、今年は新潟県の通達とかでコロナウイルス蔓延防止の為なんとゴンドラは動いていない。仕方無いリフトを乗り継いで上まで行くことにする。
暫く下河辺君と滑っていると関口さんと赤倉観光ホテルの傍で会い、15時30分頃迄一緒にスキーを楽しみ、小笠原君に教えられた下山用のコースを楽しんで、宿まで帰った。
2月15日
朝起きると天気が良い。今日は何処のスキー場に行こうか少し考えるが、全員後期高齢者で有り、無理のない所で、池の平は一枚バーンで横幅も広くてゆっくりと楽しむことが出来るので、一番良いだろうと小笠原君に助言されて、朝食も終わり9時過ぎに池の平迄送ってもらう。
池の平に付いたら横田さんより電話が有り、もうすぐ池の平に着くとの事だ。彼の到着を待つって一緒に滑ることにしよう。
此のスキー場には何回も来ているが、確かに僕たちのような80過ぎの年寄りには安全でゆっくりと楽しめるゲレンデである。又本日は平日の為か他のお客さんは少なく、ゆっくりとスキーを楽しめそうだ。はぐれたら12時に、このスキー場の一番下にある食堂マタギで合流することにして、夫々に楽しむことにする。
12時ちょっと過ぎに全員合流して食堂マタギに入ろうとしたら,丁度今着いたと西村さんたちと偶然にも一緒になり、昨年五葉山登山、民話の里・遠野のふるさと村と三陸海岸の旅でお世話になった時のお礼を言いながら、一緒に食堂に入り、食事をしながら互いの久闊を大いに楽しんだ。
食事も終わり西村さん達は初めてのスキー場であり、このスキー場のコースは全く未知なので、一緒に滑り、最後は西村さんと同行の大友さんのお二人はこのゲレンデの最上部まで迄行き、新雪状態の上級者コースを楽しまれ、15時40分頃には小笠原君が迎えに来てくれて全員宿に帰ったのでした。
宿では本日の宿泊者は僕たちだけだ。関口さんと、西村さんは元々が2002年に山岳会に入会しているのだが、九州と岩手と離れているので、互いに名前だけは知っていたが、会うのは初めてとの事だが年齢もほぼ同じようなので、直ぐに胸襟を開いて話が弾んでいた。西村さんに明日は何処か行きたいスキー場はあるかと聞いたところ、戸隠山には行ったことが無いので、戸隠スキー場に行きたいとの事なので、明日は戸隠に行くことになる。戸隠は標高が高いので、天気が良ければ良いのだが、風が強い時は少し難儀に成り易い。その時はその時だ。天気が良いことを祈って山の神様に本日も大いに献杯しよう。
2月16日
朝起きて外を見たら天気は良さそうだ。これなら戸隠スキー場に行っても大いに楽しめそうだ。朝食後9時過ぎに出発する、戸隠迄小一時間程時間が掛かる。10時前に戸隠に着いてリフト券を贖い全員第三クワッドリフトに乗りドリームコースより第六クワッドリフトの乗り場に向かう。第六クワッドリフトの乗り場で関口さんと下河辺君は第四高速ペアリフトの方に下りていき、他の人達は第六クワッドリフトに乗り瑪瑙コースに向かう。瑪瑙コースのリフトを下りた所で写真を一枚パチリとして、瑪瑙コースを下りたのでした。瑪瑙コースを下り次に第五高速リフトに向かったのですが、高橋は関口さんと下河辺君が気になり、下に下り他の人達は第五高速リフトに乗って又上の方に行ったのでした。髙橋が第四高速ペアリフトの降り口に行くとうまい具合に関口さんと下河辺君と会い、第四高速ペアリフトの横のコースを滑り、再度リフトに乗ったのですが、風も強くなり雪も降り始めて来たので、すっかりズクを無くして休憩所に引き上げてしまったのでした。そうこうするうちに昼食の待ち合わせの時間になったので、待ち合わせ場所で有る蕎麦の旨いクエイ食堂に行くとなんと、横田さんと、小笠原君が既に到着して席を確保していたのでした。暫くすると西村さんと大友さんも合流して共に昼食を楽しんだ。
昼食後は風も強くなり雪の降り方も強くなってきて天気も芳しくないのだが、西村さんと大友さんはまだ頑張ると滑りに行ったのでした。後の人達は天気の悪化と共に滑る意欲を喪失してしまい、この食堂に長くいては迷惑になるといけないので、休憩所であるゲストハウス岩戸に移動して二人の帰ってくるのを待っていたのでした。
15時頃何とか西村さんと大友さんのお二方も満足したようで帰ってきて、全員が揃ったので妙高のユアーズ・インに帰ったのでした。
本来今回の計画では15日から17日であったのだが、関口さんが17日にはどうしても用事があるので明日帰らなければならないとの事で、僕たちも早めてきているので、明日帰るのだが、西村さん達のお二人は18日迄滞在だ。本日は最後の夜となり、又他のお客さんもいないので、遅くまで大宴会が続いていたようだ。
楽しかったスキーも本日で終わり、参加された方達とは暫くの終わりとなってしまう。今回参加された下河邉史郎、横田昭夫、小笠原辰夫、君等とは良く会っているか、関口興洋さん、西村幸雄さん、達とは関口さんは83歳、西村さんは81歳、僕も81歳なので、互いに今後会うことが出来るかどうか不明だが、又来年も互いに元気で此処で会う事を約束して、雪が激しく降りしきる中全員で写真を撮り解散したのでした。
以後西村さんの報告に続きます。
記:西村幸雄
2月15日(火) 出発から合流まで
通常は自宅の大船渡より東北新幹線水沢江刺駅迄1時間10分位を要するのですが、雪道を考慮して30分程度の余裕時間を持ち自宅を04:50に出発し、東北新幹線水沢江刺駅06:38発はやぶさ102号東京行きに乗車する。大宮駅には定刻に到着し30分の待ち時間。そして金沢行き「かがやき505号」乗車、長野駅から「しなの鉄道」普通列車で妙高高原駅まで。2両連結の前方車両に乗車して、車窓の景色を楽しむ。途中の「黒姫駅」で、下り線と上り線の間に車両の窓の高さまでの雪の壁にビックリ。
妙高高原駅に定刻に到着、小笠原さんが迎えに来てくれていました。ホテルへ向かう車中でも、道の両脇に出来た雪の壁に唯々驚くばかり。到着後、早速チェックインし旅行着からスキーウェアに着替える。先着の皆様が楽しんでいる「池ノ平スキー場」へ案内を受け、偶然にも昼食で降りてきた先行の皆さんと合流出来て、食堂「マタギ」で昼食をしながらの挨拶となりました。同行の大友さん、メニューから「熊汁」を見つけ味わう。さすが「マタギ」の食堂。
今朝も10㎝~15㎝位新雪です。小笠原さんはホテル周囲をブルドーザーで除雪作業。お疲れ様です。
朝食時に先行されていた皆さん方は帰ると言うことを聞き、降りしきる雪の中で記念写真撮影。
関口さん、横田さん東京グループの皆様をお見送りする。
関口さんを駅まで送って行った小笠原さんを待ち、岩手グループは妙高赤倉スノーエリアを楽しむことにしました。赤倉観光リゾートスキー場には5分位で到着。帰りの時間15:30分を確認しリフト券販売所を教えていただき、駐車場より高低差4㍍~5㍍位の雪斜面を登るがスキー靴では一寸辛い。
全山共通券、シニア(4,500円)を購入。次のリフトは運休していますと案内を受ける。
リゾートスキー場側では、スカイケーブル、チャンピオン第1クワッド。温泉側はと問うが、営業主体が違うのか情報はありません。
リフト4本を乗り継いで妙高山、前山の懐に、ホテルCコースから女子国体コース経由しホテルBコースを滑る。新雪が15㎝位あり前を滑る大友さんが巻き上げる雪煙をまともに受ける。この頃からお天気は薄日が射し、コースの見通しが良くなって快適にこのコースを2本楽しむ。
斜面の状況は、中斜面、コース幅も適度にあり中回りに縦長ターンを組み合わせて滑走するのに最高のコースでした。岩手では標高1,100㍍位が森林限界に近いが両側には木々が繁茂していて違いを感じる。
ちょっとしたアクシデントが発生。これはもう一度登って女子国体コースからチャンピオンビギナーから連絡路を通って温泉側スキー場のエレガントコースに行くことにしたのだが、コースの入り口にリフト運休の案内を見て、一寸先の左側の連絡路を見落とし、運休中のリフト乗り場に着いてしまったのです。立ち止まって見渡すがスキーヤーは誰もいない。仕方なく車道まで降り辺りを見渡すと、右側に駐在所、正面に郵便局、左前方に観光案内所が有った。大友さんが観光案内所に行ってゲレンデの様子を尋ねると、直ぐ後ろのムービングベルトを降りたところに、ヨーデルゲレンデに繋がるリフト乗り場があると案内を受ける。早速、今滑って降りた斜面を登り返しムービングベルトに乗りヨーデル第1トリプルリフト乗り場へ。歩きながら付近を見たら運休中のルート側リフト乗り場は30㍍位離れたところに在るではないか、先ほども立ち止まって周囲を見たが建物の陰になって見えなかったのだろう?
無事にヨーデルゲレンデに行けるリフトに乗ること出来た。リフトおよびリフトから見えるゲレンデにはスキーヤーの姿は無かった。「何か寂しいスキー場だなぁ」と大友さんと話す。お天気は薄日から小雪になったが苦ではない。そんなこんな話をしている時、右前方からかすかに音楽が聞こえる。
少しして音楽がハッキリ聞こえ、今度はスキーヤーも見えた。学校のスキー教室か全員がゼッケンを付けている。リフトを降り「ピステ」というレストラン脇からスラロームコースを滑り、クマドー第1クワッドにのる。一寸ガスが濃くなった為かライトが点灯された。パノラマコースを滑り降り、登り返しヨーデルロッジにて昼食。結構滑ったので空腹だ「タレかつ丼」1,400円で午後のエネルギー補給。食事しながら午後の滑りを打ち合わせ、リゾートスキー場側に移動して楽しむことにした。
大友さんはチャンピオンゲレンデで非圧雪とコブ斜面を楽しみ、小生は集合時間までホテルC、B、女子国体コースで楽しむことにする。早速、レストラン「ピステ」脇の連絡路を下ってチャンピオン第3クワッドへ、登り切ったところで約束の時間を確認して左右に分かれる。
再度、朝一番に滑ったコースに行き3本滑り、ホテルメインスロープを滑る。ここのコースは赤倉観光ホテルのメインスロープだけあって幅も広く多くのスキーヤー、ボーダーが楽しんでいた。
集合時間に少し早いのでリフト2本乗り継ぎ楽しむ、ホテルの入口はどちら側だか分からないが斜面下側には大勢の方がいる。
打ち合わせ時間の少し前に到着、間もなく大友さんとも合流し小笠原さんの迎えを待った。
帰りに小笠原さんが、ホテルへスキーを履いたまま行ける道があるので案内すると言い、白田切川に架かる橋の手前を左折し50㍍程の所で車から降ろされた。ブルの踏み跡が在るので滑ってホテルまで行けると言う。キャタピラーの凸凹が少々気になるが面白い。プルーク制動状態で進む、幅はどの位か、自分のスキーは160㎝なので2本並べて計測してみる約2㍍位かな?。途中積雪にお日様があたりその陰陽がきれいだったのでしばし眺めた。ホテル脇で到着が遅いと小笠原さんが待っていてくれていて、その心遣いが非常に嬉しかった。
宿のレストランでの出来事。
今夕は2人だけの食事、テーブルは窓の方にセッテングしてあった、高木美保選手を応援しながら食事したいとテーブルの変更をして頂いた。2人ともテレビ方向に面しての食事でしたが、小笠原さんに「レストランでは食事中テレビはダメ」と言われながらの食事の一幕も。今日も1日中楽しみ、美味しい夕食を頂きました。ごちそうさまです。
18日(金)小雪
帰宅日で、列車の乗車時刻は妙高高原駅13:00発の予定です。
大友さんは、チャンピオンゲレンデで深雪とコブを楽しみたいと出発し小生は返送する荷物整理で時間を過ごす。彼の荷物は着替えとスキー靴は大きなバッグに、スキー板は別のケースへ納めている。
この方式だと、時間ぎりぎりまで楽しめスキー板が濡れていてもケースに入れるだけだからいいのかな?
自分の場合は、長いバックに一切合切入れるので板が濡れていると他の物まで濡れてしまう心配が在る。
送料のことを考えると?(2個で倍になる)
12:30に妙高高原駅に送って頂く予定でしたが、小笠原さんの所要ついでに新幹線駅「上越妙高」まで送って頂いた。
14:00発、はくたか564号東京行きに乗車、車内は7割位の座席が埋まっている。大宮駅に定刻15:27に到着。16:01発、東北新幹線やまびこ67号盛岡行きに乗車、此方は半分程度の座席が使用されていた。
大船渡の最寄り駅、水沢江刺駅に定刻18:23到着しました。出発時の駐車場は車両を止めて置いた部分は雪がなく穴状になっていてドアーの下側ギリギリでしたが、その雪はグチャグチャ状態になっている。
大友さんの運転で大船渡へ向け走行する、路面はほぼ乾燥状態でした。心配した峠にも積雪は無く、19:45無事帰宅、空気が非常に乾燥していているのか鼻がムズムズする。
上越妙高駅にて
小笠原さんに「上越妙高」駅まで送って頂いたので乗車まで時間に余裕があり、待合スペースのパネル展示を眺めて時間を潰す。
パネル説明文には「スキー発祥の地」は、新潟県の高田市と、札幌と発祥の地を巡って論争があったとは知りませんでした。この論争に決着をつけたのが、札幌出身で初代全日本スキー連盟会長稲田昌植氏です。稲田氏は、高田で初めてスキー術が研究され、スキー術を各地へ普及させた点を評価し高田を日本スキー発祥の地であると認めました。1930年(昭和5年)金谷山に「大日本スキー発祥之地」という記念碑が建てられたと記してありました。
このスキーは軍事用から体育向上のため民間に広まり、倶楽部が結成されスキー競技会が開催された。
スキー板は建具師や大工また鉄工所などが試行錯誤しながら作製。一般市民でも買えるスキーも登場し、又「靴屋」や鉄工所でもスキー板の販売を始めたという。
高度経済成長期とレジャーブームが冬の観光としてスキーを楽しむ為、人が集まりこれらに対応する為に多くの雇用を生み出した。妙高に到着直後、自分たちは余りにも積雪の多さに驚いたが、まさに雪を利用した産業に発展したことでしょう。
かって、岩手県の安代町という所は老人の自殺率は日本のトップであったと聞く。山間地ゆえ降雪が多く耕作面積も少ない、食料の穀物生産量も少なかった。衰いた老人は「縠(こく)つぶし」と言われ自ら命を絶ったのです。
1980年(昭和55年)に「安比高原スキー場」が開業し、今では、県内最高の観光地と化し、国内はもちろん外国の方達のお客さんも多く来ております。此方も邪魔者であった雪を利用した産業です。
岩手県とのことを重ね合わして読みました。
参加するにあたって、新型コロナウィルス感染症拡大防止の観点から岩手県でも緊急事態宣言が実施され、あらゆる事への自粛が呼び掛けられているなか、「雪と遊ぶ」会に初めて参加させて頂きました。当初5名の参加予定者でしたが、日程の都合、コロナ感染への心配や急激な体調不良で3名が取りやめ結果2名の参加となりました。
これまではしっかりと圧雪した斜面だけで楽しんでいたが、初めてのスキー場でどんなコース(中級者用)にも対応出来る滑り方と称しての特訓を受けることにし(膝下位までの雪の斜面を滑る)2月5日~6日に安比高原スキー場へ。初日はザイラーコースで基本をみっちりと復習し、2日目非圧雪コース西森ゲレンデを体験しました。2日とも降雪があり気温も低く雪も軽いく、また新しい楽しみ方を見いだしたのでした。
同行できなかった仲間と「雪と遊ぶ」の土産話をしながら、3月5日~6日に、これまた25㎝の新雪の安比高原スキー場でクールダウンとして楽しんだことをお知らせし道中記と致します。
会員外の大友さんも快く受け入れて頂き楽しく過ごすことが出来ました。ありがとう御座いました。