記:横田昭夫
【期 日】2022 年6 月15 日(水)~ 16 日(木)
【参加者】石原達夫、下河邊史郎、山田茂則、横田昭夫 4 名
6 月15 日(水) 終日雨
朝、家を出るときからしとしと降っており、まさしく梅雨空の一日となった。予報では今日一日は降るが、日付の変わる頃から天気は回復するということなので、この予報に期待し列車に乗る。車窓から雨に濡れた景色を眺めていると、田植えの終った水田には苗が綺麗に並び、近くに迫る山々は新緑からもう万緑に変わっている。茅野駅に予定の9 時28 分に着くも雨は変わりなく降り続いており、気温も下がっているようで、夏の服装に加えて薄いウインドブレーカーでは寒さを感じる。東京方面からの石原さん、下河邊さん、山田さんの乗った「あずさ5 号」も予定の10 時6 分に着き全員揃う。雨が降り続いているので人通りのない東西連絡通路上で雨具を着用し、ザックカバーも掛ける。石原さんと下河邊さんはスパッツも着け、雨に対する対策は万全である。茅野駅東口からタクシーに乗り込み渋の湯へ。渋の湯は北八の西側の登山口で、よく登山者を見かけるのだが、冷たい雨の平日でまったく人の姿を見ることはなかった。身支度を整えて出発し、渋川に架かる橋の手前にある「奥蓼科補導所」と看板がある建物の出窓に置いてある登山ポストに計画書を入れる。
高見石小屋へのルートは渋川沿いに幾つかの橋を渡り、また沢の上部では飛び石などの渡渉も2,3 回ある。沢から離れると大きな石が出てきて、石の上り下りに体力を奪われる。八ヶ岳は小泉武栄の「山の自然学」によれば八ヶ岳はすべて火山からなっている。火山の発生順に赤岳、双子峰、編笠山、美濃戸中山、天狗岳、縞枯れ山、茶臼山、丸山、硫黄岳、そして最後に一万年ほど前北八ヶ岳の横岳の噴火である。蓼科山は独立峰で成層火山。この火山の遺跡であろうか大きな石は我々年寄り登山者の登行を妨げる。賽の河原の地蔵を過ぎ、急な斜面を登りきるとシラビソとコメツガの樹林帯に入る。ここから高見石までほとんど高度差はないのだが、樹林帯の道が延々と続き、ガスに包まれた小屋が見えた時はやれやれと言った感じで、小屋には4 時20 分に着く。今日は雨で天候が悪く滑りやすい岩の上を歩くことも多く、疲れも相乗し標準タイムの倍近くを要したが、今回の目的の北八ヶ岳逍遥にはベストマッチングであった。高見石小屋に泊まる登山客は天候のせいもあって、われわれ以外に2・3 名だった。夕食はなかなかおしゃれなメニューで、雑穀米のご飯にエビフライ、鶏肉、新鮮野菜取り合わせ、アサリのクラムチャウダー、ケーキと盛り沢山であり、ランプの小屋で夕食後は何もする事がなく、19 時20 分頃には皆眠りに就いた。
6 月16 日(木)小雨後、曇りから時々晴れ
本日は晴れることを期待していたが、天気の回復は遅くまだ少し天から水がこぼれている模様、それに加えて風が強く小屋から見える木々の枝を揺らしている。外気温は4℃と体感的には寒い感じだ。朝食後仕度を整えて出発する。当初、中山―中山峠―シラビソ小屋―稲子湯の予定であったが天気の回復が遅くすっきりしないことや、昨日来の雨で歩き難いこと等からリーダーの判断で予定を変更し、白駒池入口の駐車場へ降りることとする。途中、「白駒の森」のあたりの樹林帯に繁茂する「カギカモジゴケ」の緑の絨毯は見事であった。案内にはカギカモジゴケは木の幹に半月上に群落をつくるとあり、カモジとは添髪のこととある。
駐車場からタクシーを呼びJR松原湖へ行く。途中タクシーの運転手が気になることを言っていたが松原湖駅に着くと現実のこととなった。このローカル線は昼間の時間帯は全く便がなく待ち時間ばかり長くなるということ。松原湖に着いたのは10 時近かったが時刻表を見ると佐久平行きが8 時49 分の後は11 時12 分なのでおよそ1 時間10 分待ち、反対の小淵沢行が9 時35分の後は13 時16 分なのでおよそ3 時間10 分待ちと大変待たされることになった。これだけ長時間待つのはどこかの空港での乗り換え以来のことだ。ここで散会し石原さん、下河邊さん、山田さんは11 時12 分の列車に乗り、佐久平から北陸新幹線を利用して首都圏へ向かわれた。これからまだ2 時間余りの待ち時間があるので、とにかく昼食を済ませ、後は近くにコンビニも自販機も何もないところなので、どうすることもできず、私はただひたすら列車の来るのを待ち、予定の時刻に来た列車に乗り込み帰路に就いたのだった。





