記:山田茂則
期 日:2022年7月26日(火)~27日(水)
参加者:石原 達夫、高橋 聡、吉永 英明、下河邊 史郎、山田 茂則
7月26日(曇り)
 9時 新宿発( あずさ9号) ⇒(甲府乗り換え)⇒11時50分 富士見駅着⇒(タクシー)⇒12時30分 マナスル山荘本館着→(昼食)→14時 マナスル山荘→14時30 分 入笠山・山頂→15時20分 マナスル山荘戻り(泊)
 出発の早朝、凄い雨音で目が覚めた。現地でこのような強い雨であれば歩くことも気が進まず、また星を見るのはもちろんお花畑や頂上からの360度の眺望は諦めざるを得ないと思いながら新宿に向かった。新宿からの車窓、雨は相変わらず強く降っていたが、笹子トンネルを過ぎたあたりから道は乾いており、富士見駅では曇りであった。
 当初の予定では富士見駅から富士見パノラマリゾートスキー場のゴンドラ山麓駅までタクシーで行き( 約10分) マナスル山荘まで1時間程度歩く予定であったが、天気が今一なのでタクシーで直接マナスル山荘に向かった。アカマツやカラマツの林を抜け湿原を横目で見ながら30分で到着。天気は曇り、丁度昼時のこともあり山荘周辺では大勢の人達が昼食を摂っていた。また山頂方面からも数組の団体が下ってきて人気の山であることをあらためて感じる。
 マナスル山荘と名の付く宿はマナスル山荘本館、マナスル山荘新館及びマナスル山荘天文館と近接しているがオーナーは違うらしい。本館で受付を済ませ我々も昼食タイムとした。本館は食事に力を入れているようで一番人気のビーフシチューは一人前200グラムのホホ肉を二日かけて煮込んだものと看板メニューに書いてあり、巷で評判の一品とのことなのでこれを注文した。
 昼食後雨は降って居ないので、明日行く予定であった入笠山に行ってこようということになり、空身で往復する。頂上はガスっていて残念ながら南アルプスや八ヶ岳の眺望は得られなかった。また道中の花畑も歩いている周辺のみしか観察できず残念であったが、出がけの雨から思えば、頂上まで雨具を着ずに行って帰れただけで良しとしよう。
 風呂に入りバイキングの夕食タイムになったが、メインは塩釜ローストポークで塩に包まれた大きな肉の塊をオーナー兼シェフが見せに来てくれた。これは皆に好評で切り分けてくれるところまで足を運んでお替りをする。夕食後星は出ていないので9時ごろまで雑談で盛り上がったが、その中でマナスル山荘の名前の由来が話題となった。1995年に開業したマナスル山荘の初代のオーナーの言でなく推測の域を脱しないがとのことで現オーナーの話を纏めてみると、
①戦後の復興の国を挙げての一大イベントであったマナスル登山が1952年の偵察に始まった。その後一次隊、二次隊では登頂が果たせなかったが1955年に出発した第三次日本隊が1956年に初登頂を果たした。当時の日本では大変大きな出来事であり ニュースでも大きく取り上げられ国威発揚に大きく寄与した。開業時のオーナーはこの真っ只中に居た。
②入笠山の標高が1955メートルである。
③1995年に開業
これら三つを重ね合わせマナスル山荘と名付けたのではないかとのことのようだ。(10 時就寝)
7月27日( 曇り)
 7時 朝食→8時30分 マナスル山荘発→9時20分 ゴンドラ山頂駅→9時40分 ゴンドラ山
麓駅→(タクシー30分)→小淵沢駅(解散)
 6時に起床し窓を開けるとガスっていて昨日より天気は悪い。朝方まで雨が降っていたようだ。キセキレイが盛んに外の椅子に止まりに来る。7時に洋風の朝食を摂り8時30分にゴンドラ頂上駅に向かう。林道を10分歩き山彦荘前から入笠湿原に入る。天気が良ければお花畑を気持ちよく歩けたと思われるが、今日はガスっていて数メートル周辺しか見ることが出来ない。シモツケソウ、レンゲショウマ、ギボウシ、マツムシソウ等を足元に見ながらゴンドラ頂上駅まで歩きゴンドラで下った。ゴンドラ乗り場からタクシー乗り場まで数百メートル歩き、電車の便が良い小淵沢駅までタクシーで向かったが運転手が前席に3 人乗ると運転に支障があるといけないので、後部座席に4人乗ってくれとのことで大変窮屈な30分であった。小淵沢駅で解散。
今回は天気に恵まれなかったが、湿原の花や頂上からの眺望と星を見に、次は孫でも連れて訪れよう。


