記:高橋 聰
期 日:2022 年9 月15 日~ 17 日
参加者:高橋 聰、下河邊史郎、小笠原辰夫、杉田晴美、竹内晴美 5 名
9 月15 日
 朝9 時に竹内君と飯田橋駅で待ち合わせにしたので、下河邊君は8 時40 分頃僕の家まで自分の車で来て、僕の車に乗り替えて上高地の山研迄行くことになっている。( 僕は山研委員会の委員となっており、主に日本山岳会上高地山岳研修所の水回り等の補修等をしているので、車が上高地迄入れるように登録されている。又4 月開所の時は数年に一度凍結等の為給水配管の毀損事故等あり) 時間となったので荷物を持ち玄関を出ようとしたら、下河邊君より自宅前に着いて下で待っていると電話があると同時に、杉田君が4 階まで階段を上がって来て荷物を持ってくれたので、非常に助かる。すぐに車庫より僕の車を出して下河辺君の車を入れ、飯田橋駅に向かい竹内君をピックアップして西神田より高速道路に乗り上高地に向かったのでした。
本日は道路が平日の為か空いており、中央高速の双葉パーキング迄2 時間程度で着き一休みだ。トイレタイムの後いつも色々な果物を売っている外の売店を見ると特大の粒のマスカットと、売り物にならないような小さな粒のブドウが二房付いていて1.300 円で売っていたので買って山研で食べたのだが、これが想いの他大変美味しかったのでした。13 時過ぎ松本市の唐沢村の蕎麦街道で昼食の蕎麦を食べている時、小笠原君より電話が有り、今待ち合わせ場所の奈川渡手前の風穴の里に着いたので、待っているので事故の無いように早く来てくれとの電話が有り、此処からまだ小一時間は掛かるので暫く待ってねと応対して、急いで??? 行ったのでした。14 頃合流し小笠原君の車はここにおいて15 時頃山研に着き早速到着ビール等を頂き、そのまま延々と21 時頃迄管理人の山田君と共に続き、明日は小笠原君と杉田君は焼岳に登り、西穂小屋迄行く予定なので、お休みとなりました。
9 月16 日
 本日は焼岳に向かう二人の為に5 時に起き昨日造ったお握りだけの朝飯だけでは可哀想なので、みそ汁だけは作りそれを食べた後、高橋の車で焼岳の登り口まで送り、6 時少し前に登り口に着いて、小笠原君と杉田君の二人は焼岳に向けて歩き出したのでした。この報告はこの後の小笠原君の報告書をご覧下さい。
髙橋が山研迄帰ってくると下河辺君と竹内君の二人は既に起きており、ゆっくりと朝食後8時40 分頃山研を出発し、河童橋より取敢えず明神に向けて歩き出しました。明神館迄は河童橋より案内では略3 キロ程度で若い時なら30 分もあれば楽に歩けたのだが、今の僕に取って一時間は掛かるだろうとみていたら、やはりその通り一時間程要してしまった。取敢えず一休みだ。下河辺君は一寸小屋の親爺に挨拶してくると小屋の中に入って行ったのだが、少しすると呼んでいるので入っていき、小屋の主が何か飲みますかサービスしますよというので僕と、下河辺君はコーヒーを頂き、竹内君はアイスクリームを頂いたのでした。下河辺君と明神館とは下河辺君が学生の時剣岳で遭難事故が有り、慰霊碑を剣岳の遭難現場近くに祀って在ったのですが、遠くてなかなか行けないので、明神岳の麓に移設して、毎年慰霊祭をここに泊まって実施して世話になっているようだ。30 分ほど此処で休憩をして徳澤に向かって10 時15 分頃歩き出したのでした。
徳和峠への入り口迄は平らな道なので直ぐに着いたのだったが、明神館より徳澤小屋迄の3.6キロの路がなかなか遠い。確か昔々は登り路など無く、平らな道だったと思っていたのだが、途中何ケ所か急な登り( 今の僕に取っては) が有りなかなか前に進まない。そのうちクマよけの鈴が2ケ処程有り、沢の傍に出たのでやっと着いたかなと思ったのだが、此処から意外とあったのでした。徳澤小屋の周りの樹々は以前と比較すると大きく育ち、前穂の東壁は僕が若かったころは見えたと思ったのだが、全く見る事は出来ない程に樹木が繁茂している。明神からの所要時間は一時間10 分程度か。疲れた—。当初は徳澤より新村橋近辺まで行く予定であったが、ショートカットで、車道を行き直ぐに河原に出ると、明神岳から前穂岳の北尾根から屏風の頭迄がはっきりと見えている。下河辺君はあれが前穂のピークなので、少し下に見える大きなピークが確か4 峰だ。5 峰は手前の山の陰になって見えないが、一番右側のピークが屏風の頭だよと竹内君に説明している。車道専用の道を小一時間程歩き、嘉門治小屋で昼食を摂り、此処よりは車道を歩いていると車の往来も多く危険性があるので、歩道のハイキングコースを歩いて山研迄帰って来たのだが、久し振りに歩いたので疲れた事この上なしだ。焼岳に行ったパーテイは西穂の小屋から帰って来ようと思えば帰ってこられたようだが、当日のキャンセルでは申し訳ないので、西穂小屋に泊まり明日朝早朝に下山して9 時頃には山研に到着すると連絡があり。
9 月17 日
 朝ゆっくりと食事をしていると焼岳組も9 事前には帰着したので、当初予定は田代池方面に散歩する予定だったのだが、これは中止として帰りの支度をして10 時頃山研を離れ、風穴の里で小笠原くんと別れ解散したのでした。
焼岳登山報告

焼岳より穂高
記:小笠原辰夫
期 日:2022 年9 月16 日~ 17 日
パーテイ:杉田晴美・小笠原辰夫 
9/16 高橋さんの車で6 時前に山研を出発し、田代橋より更に奥にある焼岳登山口まで送ってもらう。30 分程のアプローチの短縮になるので非常に助かる。暫くはなだらかな上高地らしい散策道を行くが次第に急登の登山道になる。突然杉田さんが『キャー!』と叫ぶので思わず辺りを見渡すと、大きな猿が直ぐ上から我々の脇を恐れずに降りてくる。やり過ごすと更にもう2 頭が後につづいて降りて来た。襲いかかって来ることは無くほっとする。登山道は更に傾斜がきつくなり梯子の連続となる。昨年は中の湯温泉より焼岳に登ったので、上高地側からも登ってみたかったが、予想以上に大変な行程だ。
およそ2 時間で焼岳小屋に到着し、いよいよ焼岳山頂を目指す。見上げるといかにも活火山らしく、山頂付近は荒々しい溶岩ドームがそそり立っていて、その下は白く火山灰に覆われている。所々から硫黄臭い噴煙が出ていて、植物が一切生えていない不毛な山容を呈している。現在最高峰の南峰(2455 m)は登山禁止となっているため北峰(2393 m)を目指すが、急登の一辺倒でペースがなかなか上がらない。焼岳小屋より2 時間、何とか北峰山頂に立つ(10 時30分)。今日の予定はこれから西穂高山荘まで行くことになっているのでまだ先は長く、15 分程の休憩で山頂を後にする。
一旦焼岳小屋まで戻り西穂高に向かって北に延びている稜線を行くのだが、西穂高山荘まで小ピークが5つ程連なっておりアップダウンの繰り返しで非常に消耗させられた。流石に杉田さんは私より10 歳程若く足が速い。回復力の差を痛感させられる。
北峰を下り始めておよそ5 時間、よれよれになりながら何とかコースタイム通りの15 時30分に西穂高山荘に到着した。時間的に余裕もあるのでこのまま宿泊をキャンセルして上高地の山研まで下山も考えられるが、当日のそれも突然のキャンセルは流石に山小屋に申し訳なく予約した通り泊まることにする。そうと決まれば生ビールで乾杯である。五臓六腑に染み渡る生ビールの泡は格別であった。
9/17 我々の朝食時間は2 交代制の後組で6 時からだ。今日の予定は上高地の山研へ戻るだけなので気は楽であるが、山研で我々の下山を待っているメンバーからは遅くとも午前中には上高地を後にするので、それまでに降りてくるようにと言われているので、のんびり下るわけにはいかない。朝食後6 時半に小屋を出発し、田代橋には8 時10 分に到着した。山研迄戻る途中上高地温泉ホテルに立ち寄り、またまた生ビールで乾杯。これが真に美味な事此の上ない。この2 日間の周回登山の打ち上げを生ビールで簡単にした後、仲間の待つ山研によろめきながらも軽快な足取りで戻ったのであった。

焼岳遠望

焼岳小屋






