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公益社団法人日本山岳会

ユネスコ世界遺産の白川郷探訪と三方岩岳登山

白川郷荻町集落で

記:下河邊史郎

期 日:2022 年10 月5 日~ 7 日

参加者:吉永英明、森武昭、小笠原辰夫、横田昭夫、川村光子、廣島孝子、杉田和美、高橋聰、下河邊史郎、竹内晴美 10 名

 10 月5 日(水) 高山駅に13 時20 分集合。参加メンバーの確認をしたら藤大路氏の姿が見当たらない。携帯に電話をするとなんと自宅にいた。本人はどうやら今回の計画に参加申し込みした事を失念していたようだ。小笠原さんが妙高からいつも仕事で使用しているマイクロバスで参加してくれたので、当初はレンタカーを使用する予定であったが、彼の車に全員乗り込み、藤大路氏のドタキャンのキャンセル等を宿に連絡して、13 時45 分に東海北陸道経由白川郷に向けて出発する。

1日目の宿

 白川郷荻町合掌造り集落に14 時半に到着。今日の宿「大田屋」の前で今回世話役の横田さんが手配してくれていた白川郷集落を案内して頂く方と合流、荻町集落を眼下に一望できる展望台に10 分ほど歩いて移動。展望台からの見晴らしは、曇り空であったが、はるか下に素晴らしい合掌造りの集落全体を見ることが出来た。印象として私の持っている白川郷全域を俯瞰した雪景色のコントラストがある景色と異なり、初秋の景色の中に溶け込んだ合掌造りの建物が穏やかに点在する村落も又一段と趣がある。

 天守閣跡の高台を降りて集落の見学に入り、初めに国重文の和田家を見学。和田家は荻町合掌集落の北部に位置しており、西に面する主屋を中心に前方右手に便所、後方左手に土蔵を構えている。此の家は現在も当主が住まわれており、当主本人が受付をされていた。

 建物は3層になっており、1 階は、住居であり昔からの囲炉裏が設置されている。恒久的な美しさを残す生活用具(漆器等等が)展示されている大広間、仏間、居室等があり、当時の裕福な生活が想像できます。2 階は、蚕の飼育場所であったのか、養蚕の為のいろいろな器具と蚕飼育の歴史が展示されている。和田家は村長の家であったためか、大きくしっかりと作られていた。便所は別棟となっており、NHK のブラタモリでは、便所の中も見られたようです(通常は、非公開)。

 和田家を後にして、県重文の明善寺、明善寺庫裡を見学し集落の中を散策。村内のほとんどの店は16 時を過ぎているので閉店していた。17 時に散策の終了をして案内して戴いた方と別れて、今晩宿泊させて頂く宿である大田屋に向かう。

 大田屋は、念願の合掌造りの宿である。昔は、大広間であったであろう部屋を、幾つかの小部屋に仕切り民宿に改装したようだ。食事処には当時からの大きな囲炉裏があり、そこには炭が沢山くべられていた。夕食、朝食とも品数が多く美味しい食事が出た。特に岩豆腐?が僕は非常に気に入った。岩豆腐は関東では見る事は無く、箸で持ってもしっかりした豆腐で、ホウバ味噌をつけて食べた味は、絶品であった。

白川郷俯瞰

茅葺の屋根だけの家

見学風景

初日の夕食風景

宿での夕食

10 月6 日(木)
 本日の予定は、白山ホワイトロードを行き三方岩岳・瓢箪山(ふくべさん)に足跡を残した後平瀬温泉で宿泊の予定。外を眺めると、曇り空で雲が低い。予定より少し早いが7 時30 分に雨の降らぬことを願いつつ出発。

 三方岩岳は、石川県白山市と岐阜県大野郡白川村にまたがり、両白山地の北部に位置する標高1,376 mの山。白山国立公園内にあり、日本三百名山及び岐阜百名山に選定されている。登山口の三方岩隧道入口手前の駐車場着に8:30 に到着。依然として雲は低く垂れこみ、視界は効かない。出発前に今回の計画立案者横田さんから天候が悪くなったらすぐに引き返しますとの指示が有る。道はよく整備されていて大変歩き易く、我々高齢ハイカーにとっても気楽に歩く
ことが出来る。駐車場の大きさから考えても多くの人が週末やシーズンには、ハイキングで訪れるのであろう。

 1 時間程で三方岩岳の標柱のある山頂に到着。この先にも道はあるようだが、進入禁止の札があるので、その先を偵察に横田さんが行き、20 分程して偵察から戻ってきた。三方岩岳の頂上に行くには、途中崩れているところもあるので今日は、ここまでとすることに。天気が良ければ白山の雄大な山容、近くの山の景色等も見えるはずだが、残念ながら今日は、霧が濃く何も見えない。残念無念だ。今来た道を戻る。道の両側にはナナカマド、うるし、どうだんつつじの紅葉がちらほら、ほんの少しだが秋の気配を楽しむ。駐車場に戻ったのは11 時少し前。このまま今夜の宿、平瀬温泉に行くのでは、早すぎるので白川郷通り、五箇山合掌の里に向かう。途中、ホワイトロードの情報ハウス(標高1200 m)でコーヒータイム。

 五箇山には、相倉集落、菅沼集落と二つの集落があり、白川郷は岐阜県、五箇山は富山県となっているが明治以前は加賀藩前田家の領地で会ったようです。1995年白川郷と合わせて「白川郷・五箇山の合掌造りの集落」として世界遺産に登録されている。13:00 に五箇山相倉合掌造り集落駐車場前のソバ屋にて昼食にそばを皆で食べる。昼食が終わるころには、天候が回復初秋の強い日差しの中、相倉集落を散策。集落には、約100 年~ 350年前の合掌造りが立ち並ぶ。その中の1 件が、昔からの「結」の方式でなく時代に即した重機を使って茅葺の作業をしていた。また、今は何らかの倉庫として使用されているらしい合掌造りの茅葺住宅を見ることが出来たが、まるで三内丸山遺跡の縄文人の小屋に似ており、壁の部分がなく茅葺の屋根だけの小屋。残念ながら、内部は見ることが出来ず。集落を1時間程散策の後、菅沼集落に移動。

 菅沼集落に行くには、駐車場から集落に歩いても行けるが、高齢者に親切なエレベーターが設置されていて、4 階から5 階分程度を下る。相倉集落と同じで合掌造りの屋根の勾配は、60 度となっているのは、雪下ろし、湿った雪の重さに耐えると共に雪を滑り落とすため。当時は、コメは採れず、産業は、養蚕、火薬の原料の塩硝作り、紙漉きが主で、それら産業に適した構造となっているようだ。

 散策を終了後、白川郷を通り過ぎ本日の宿である平瀬温泉の白山荘に向かう。白山荘には、16:00 頃に到着。宿は、合掌造り。2 泊とも合掌造りの宿とは、計画立案者の横田さんに感謝。昨夜の宿は、風呂が家庭風呂と通常の生活と変わらない小さめの風呂であったが、今日は一見岩風呂的で、3人ほどが入れる温泉。合掌造りで温泉とはありがたい。今日の疲れをゆっくりと癒す。

 夕食後は、一部屋に全員集まって10 時近くまで歓談していたのだが、最後は吉永氏の俺はもう寝ているのだ、皆早く各自の部屋に帰って寝ろとの一言で解散する。

10月7日 

 昨夜来の雨が結構強く降っている。茅葺の合掌造りの宿は、雨音が聞こえない。白山荘を8:15に出発。本日の予定は、R156 を南下して保木脇・帰雲城址、御母衣・旧遠山家民族館を見学する予定であったが帰雲城址は雨のため車中から。民族館は、時間が早すぎ開館前、桜の里荘川のJA 道の駅で休憩。それぞれ土産物を購入して荘川IC から高山に向かう。

 最終日は、雨に降られたが大方の計画をこなし、参加者は、大いに満足して予定より少し早いが高山駅に無事に到着。小笠原さんにロングドライブのお礼をして、11:30 高山駅前で解散。世話役の横田さんには有難う御座いました。感謝。感謝。又宜しくお願いします。

三方岩岳登り口

三方岩岳

同好会

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