記:竹内晴美
日 時:令和5 年9 月25 日~ 28 日
参加者:吉永英明、高橋聰、下河邊史郎、小笠原辰夫、森武昭、伊藤禎洋、関口興洋、醍醐順一、竹内晴美 9 名
9 月25 日
広島駅に予定通り12 時02 分に着き、改札を出ると昨日の夜行バスでかなり早い時間に到着し、マイクロバス(10 人乗り) を借りて駅北口で待っていてくれた小笠原さんと関口さんの自家用車に乗りこみ,呉市にある大和ミュージアムに向かう。この大和ミュージアムには当時世界最大と言われた巨大戦艦の「大和」をはじめ、航空母艦の「長門」「赤城」「鳳翔」「陸奥」「葛城」他多くの戦艦や空母の模型が陳列されており、縮小されているのですが、その巨大さに圧倒されてしまいました。午後から音戸大橋( 平清盛が船を通す為に高いい橋にしたという) 形の良いループ橋の素敵な橋を通り、本日の宿である倉橋島のシーサイド桂が浜荘に到着後、喉が渇いたので、私、高橋さん、小笠原さんの3 人で宿の前にある浜辺で到着ビールを楽しんでいると、早々とお風呂を出た人たちも加わり、夕食前の小宴会になってしまいました。
9 月26 日
宿のシーサイド桂が浜を8:30 に出発し火山に車で上がる。ここは山頂の巨石群から眺める360 度の瀬戸内の展望が素晴らしい。下山後早瀬大橋を経由して海上自衛隊・第一術科学校へ。旧海軍兵学校、教育参考館を案内人の説明でめったにお目にかかることは出来ないであろう戦時中の写真や手紙等沢山の資料があり、私がまだこの世で息をしていない時代の事とは言え、大いに勉強になったのでした。午後からは江田島の古鷹山に軽いハイキングです、この山も岩場や鎖場が何か所もあり、かなりつらい思いをしたのですが、良い思い出として私の頭にきっくりと刻み込まれたのでした。その後は宿に直行です。宿は民宿ですが、民宿ならではの瀬戸内海の豪華な船盛のお魚料理満載で、皆様大いにお酒が進んだようでしたが、さすが皆様お酒に潰れるような方は誰もおられませんし、料理も殆ど食べられていました。

9 月27 日
宿の民宿ねんごろなじまを朝食後8 時過ぎに出発し、江田島より車で宇島港に移動して、宇島港よりフエリーで厳島神社が設置おわします宮島に。修学旅行者や観光者であふれるお土産屋さん通りを抜けて、少し早いが昼食を摂り、登り坂となったところで呼吸器疾患の為、酸素瓶を背負って歩いている高橋さんと別行動となり、弥山登山口であるケーブルカーに乗船して山頂を目指したのでした。山頂では外国人客も多くコロナウイルスの大流行時には考えられないことです。私は初めての山で山頂での景色を充分に堪能できたので満足・満足の境地ですが、昨日の山での疲れも出て、下山は他の方々は歩いて降りられていましたが、私は他の方々と別れケーブルで降りることにして皆さんと一時の別行動です。ケーブルを降りて、厳島神社に向かう途中で吉永さんが待っていてくれており、他の方々はもう神社に向かったとの事、皆様本当にお元気だ。
厳島神社は丁度引き潮で鳥居の根元まで潮が引いており、多くの方達が鳥居まで砂浜を歩いておられた。フエリーの乗り場にとっくに着いていなければならない高橋さんの姿が見えない、吉永さんが携帯で連絡し合っていたが、乗り場である建物の横手にあるベンチに座っておられたようで直ぐに現れた。全員揃ったところでちよぅどフエリーの乗船時間となり、今朝車を置いた宇島港へ。宇島港よりは国道2 号線を下り岩国の岩国国際観光ホテルへ。このホテルでは3 室続きの大部屋でしたので、部屋に入ると皆様夫々に寝場所を確保して直ぐ横にある大きなお風呂に。今夜の夕食も盛沢山で大変美味しく、皆さんまたまたお酒が進みます。食後お部屋で関口さんが持参された美味しいお酒を戴き、最後の夜を楽しみました。
9 月28 日
朝食後車は宿の駐車場に置いたまま、城下町であった岩国史跡を訪れる為、目の前にある岩国錦帯橋を渡りロープウエイで岩国城へ。天守閣から城下町や錦帯橋、瀬戸内海の島々が一望できて素晴らしい。その後は吉川家の墓所等を巡り、吉川資料館は休館でしたので、佐々木小次郎像を眺めたり、錦帯橋の上から鵜飼船の様子を見て、宿で待っている高橋さんと合流して、車で来られた伊藤さんや関口さんと別れて、広島駅に向かい途中レンタカーを返してバスで廣島駅迄行き昼食を戴き解散したのでした。4 日間もの間車を運転した戴いた小笠原さん、伊藤さん、幹事の吉永さん本当にお世話になり、有難う御座いました。又宜しくお願いいたします。






























