記:中瀬龍男
期 日:令和5 年10 月28 日~ 31 日
参加者:関口興洋、高橋 聰、森 武昭、吉永英明、伊藤禎裕、小笠原辰夫、山田茂則、斎藤悦子、竹内晴美、中瀬龍男 10 名
10 月28 日
新大阪11:26 山陽新幹線で私と斎藤さんは、小倉入りは初めてである。期待を抱き車中の人となった。土曜日で晴天に恵まれたこともあり、またコロナ明け後初の紅葉季節でもあり列車は混み合い、特に海外からの団体客で満員である。私達が新幹線を利用する時は山陽新幹線を利用することなく、北陸、東海道、東北新幹線を利用する。
いつも自由席しか利用しておらず、海外団体のツアーリーダーと思しき日本人のおばさまが「隣は空いていますか」と打診されたので、なんでリザーブしなかったのか? と感じた。因みに隣に座った外人はポーランドの女性で日本へは3週間のツアーということであった。ポーランドからはドバイ、ハノイのトランジットで成田着、東京、横浜、京都と観光。これから広島に行くと言い、13 時20 広島で下車して行った。大変お疲れの旅である。
14:10 小倉駅新幹線改札出口に集合。当初は北九州空港であったがフライトは座席の確保が出来ないこともあり、また到着後の移動を考慮してJR 小倉駅となったようである。
メンバーの確認後すぐにレンタカーの店舗へ移動。駅の直ぐ北側徒歩3分程度である。レンタルの手続きを済ませ、直ぐに出発。運転は高橋さん、ガイドは関口さん、地元のメンバーが参加していることは大きなメリットで、現地に詳しくツーリストでは行かない場所、さらに時間に縛られることなく臨機応変に動けて便利であり大変有難い。前方に関門橋が見える。九州へは現役時代に何度か来ているが、関門橋を渡るのは初めて。全長1068m 海面より高さ141m 展望は抜群、晴天に恵まれたので橋上からは絶景である。
この関門橋の地下にはトンネルが開通していて国道が通っている( 有料)。またその上部には歩行者専用の道路も完備されていて、対岸の下ノ関に降りる。今夜の宿「海峡ビューしものせき」まで15 分程度で時間に余裕があったので、ホテルの西上にある「火の山公園」の展望台で展望を楽しんでからホテルに向かうことになった。
公園は標高268m 山頂までロープウェイがあるが、マイカー用のドライブウェイもあり10分程度で山頂に到着。山頂からは右手に関門橋、眼下に関門海峡、特に海峡を通行する船舶を眺めていると、話には聞いていたがその潮流の速さのすごさには驚いた。潮流に逆行すると小型船は動いているようには見えない位で時速3 ノット(5.6km) だそうです。大潮の時は10 ノット(18km 余) にもなるそうです。その他記念物で戦艦大和の砲弾もあり、その大きさ、重さにびっくり仰天。特に重さは1740kg、長さは1.95m もありとても人力では装填出来ない代物である。
下山してホテルでゆっくり入浴、待ちに待った「フクのフルコース」食事です。ビールで乾杯、”てっさ”に舌つづみをうち、ひれ酒を味わい全員大満足の夕食で満腹でした。
10 月29 日
朝食6 時45 分。車に乗り込み10 分程度で「関門連絡船」に到着。7 時40 分発の連絡船に乗る。この航路は関門海峡の玄界灘寄りを航行している。関門橋の近くなので潮流は早く、横切るのにも波のしぶきがかかる。船からは潮流の速さを体感することが出来、昨日展望台から眺めた潮の速さが怖いくらいに速く改めて実感した。8時には門司港に到着。門司港船ビル前で九州支部のメンバーと合流。9 時に出発。我々のうち当初は車に乗る希望者もいたようであるが、皆さんが歩いているので全員歩いて登った。
風師山( かざしやま) の少し高い地点の風頭( かざがしら= 岩峰) に槇有恒記念碑のプレートが設置されていて、9 時にはここに献花し式典を行った。此処は抜群の絶景地点であり約30 分程度で碑前祭は終わった。下山は元の登山道に戻り山頂のある三角点( 二等三角点) を確認し、その後NHK の電波塔のある南峰に登る。そのあと山頂駐車場へ戻り、食事会の時間制約があるので車で下山。結構距離があるように感じた。これを再度登れと言われると躊躇すると思う。
食事会の会場は「門司倶楽部」で行われた。
支部長挨拶、乾杯のあと懇談に入り我が「山想倶楽部」も森元会長、吉永会員、2名の女性が参加しており、スピーチを指名され竹内、斎藤各会員が行った。圧巻は竹内会員のスピーチで一升瓶を持ってマイクの前に立ったのは、九州支部の会員も度肝を抜かれたのではと思った。
午後2時頃食事会も終わり夕食まで時間があるので小倉の町に繰り出した。松本清張記念館と小倉城を見学、国内トップクラスの作家だけに執筆した小説の多さに驚く。つづいて小倉城を拝観、再建された城なので往時を忍ぶ物はないが、やはり町のシンボルとなっているのであろう。丁度、ハロウインの日にあたり仮想した若者が町に繰り出していたが、自治体からの抑制もあったのであろう街中は静かなハロウインであった。シャッタークローズの店舗が多く、夕食は小倉の予定であったので関口さんの案内で人気があるという飲食店で夕食を済ませた。日曜日で繁華街なのに静かな飲み屋街だったのは、やはりハロウインでお上からの規制があったのだろうか。

碑前祭りの模様 (クリックすると YouTubeで碑前祭りの模様をご覧になれます)
10 月30 日
朝食7 時 ホテル8 時30 分出発。今日は10 人が乗車出来る大きな車なので普段から慣れておられる小笠原さんに運転して頂いた。
国道9 号線を山口市へ入り県道62 号へ。ここは萩往還道、当時の志士たちはどんな思いで此処を往還したのか想いを馳せる。そして瑠璃光寺を観光。ここの紅葉はメディアにも登場した名所でもある。残念ながら五重塔は現在改装中で鑑賞することは出来なかった。工事の人に尋ねると令和8 年に完成し、屋根は檜皮葺で総工費3 億8 千万円とのことらしい。ここから山の中を少し走り県道62 号、国道262 号を萩市へ。12 時に萩市到着、昼食。
関口さんお勧めの”うどん屋”さんで各自お好みのメニューをオーダー。人気店らしく結構次々とお客が入る。食後は笠山公園へ。ここは伊藤さんのガイドで山頂からの展望と近くに風穴の洞窟があったが危険ということで今は金網で防護柵が張られ入洞禁止になっている。早々に出発し維新の拠点となった「松下村塾」へ。当時の建物はそのままで説明板によると此処に集った志士たちは”青雲の志に燃え長州の民のために戦った”ことを彷彿される。このあと萩城( 指月城) 趾を観光、毛利輝元の居城であり関ケ原の合戦に破れ長門・周防の国に移封された。北は日本海で指月山は天然の防護柵で戦国の武将が山城の築城に腐心したことが伺える。
帰路は秋吉台カルスト台地を経由して下関へ移動し、鍾乳洞は時間がないのでカルスト台地の休憩所で一息いれてホテルまで無事到着。小笠原さんお疲れ様でした。
【information】
松下村塾は、江戸時代末期に、長州萩城下の松本村に存在した私塾である。 吉田松陰が同塾で指導した短い時期の塾生の中から、幕末より明治期の日本を主導した人材を多く輩出したことで知られる。
石碑には「薩州 田上藤七 長州 久坂玄瑞 土州 坂本龍馬」、「薩長士連合密議之處 岸信介書」、「文久二年一月 鈴木勘蔵宿之跡」と刻してある。
この場所は石州街道の沿道にあたり、鈴木勘蔵の旅人の宿があったところである。文久二年(一八六二)正月十四日に土佐の藩士坂本龍馬が、同じ土佐藩の武市半平太(瑞山)の書簡を持って、松下村塾に寄宿していた久坂玄瑞を訪ねて来萩した。たまたま薩摩藩士の田上藤七も、同藩の樺山三円が久坂玄瑞にあてた書簡を持って来宿していたので、久坂を中心にして偶然にも薩長土がここに会したのである。密議の虚実はよく分からないが、このことを根拠に松陰神社維持会が山口県出身の元総理大臣岸信介の書になる碑を建てたのである。
10 月31 日
9 時30 分 今日はゆっくり出発、功山寺へこの寺は高杉新作が挙兵した寺として有名であるとパンフレットに説明されていた。
その山門は立派であった(京都や奈良に有名な山門があるが、それに劣らぬものである)。下関には源平合戦の場所「壇ノ浦」があることは周知のとおり、わずか8歳で入水させられた平清盛の孫の”安徳天皇”を祭っており、壇ノ浦に向いて竜宮造りになっている。また日清戦争の講和条約記念館があり使用した備品等が保存されており、文言とともに閲覧することが出来ます。その他下関には著名人の当時の保存物、記録書等見ることが出来、往時を忍ばせます。
そして下関といえば唐戸市場、観光バスも乗りつける有名街である。昼食は唐戸市場と予定されてあったので、少し早目の時刻に到着は正解でした。市場の裏は関門海峡、新鮮な魚介類の店舗が多く、そのうちの「回転すし」店で昼食。当節は回ってくる好みの品をチョイスするのでなく、すべてテーブル上にある端末を操作して注文するとベルトに乗せられた注文の一品が提供される。食事が終われば、フロア担当者がお皿を手元の端末一発で請求書を個別に出力されるのである。人材不足と言われる昨今、あらゆるところで省力化を目の当たりにし、時代も大きく変わったと実感した。お寿司はネタが大きく新鮮で価格はまあまあ。会計を済ませ店を出ると外の椅子にはお客が並んで順番待ちで、それも平日の真昼間から並んでいるのには、少々びっくりした。
このあとレンタカー返却のため小倉駅に向かう。途中で下関側から関門海峡を歩いて渡る。下関側をエレベータで下降、歩道距離780m、10 分で門司側に到着、エレベータで地上の門司に到着。出口から小倉駅そばのレンタカー店へ行き、車を返却して14 時30 分解散となった。4日間、晴天に恵まれたことが一番の幸運であり、関口さん、伊藤さんのご案内で楽しく無事終えられたことに感謝。またレンタカーを4日間に亘り運転をして頂いた、高橋さん、小笠原さんに改めて感謝を申し上げます。
【 information】
功山寺(こうざんじ)は、山口県下関市長府にある曹洞宗の寺。長府毛利家の菩提寺。山号は金山(きんざん)。中国三十三観音霊場第十九番札所、山陽花の寺二十四か寺第九番。仏殿は、善福院釈迦堂とともに鎌倉時代の禅宗様建築を代表するもので、国宝に指定されている。























