メニュー

公益社団法人日本山岳会

サトケン 都内歴史探訪① 本郷・湯島界隈の文学史跡、歴史的建造物を訪ねて 報告

2017.10.11       日本山岳会「里山歴史研究会」皆川靭一  

10月なのに猛暑が続く異常気象の時期としては、願ってもない散策日和に恵まれた11日(水)の午前10時。集合場所の地下鉄三田線・大江戸線「春日駅」に揃った顔触れは、一人欠員の9名。いつもの重装備を見慣れた目には、大半がリックサックなしで足元のスニーカー姿も、実に新鮮でした。本格的な登山や山岳歩きの経験に乏しい“平地・里山”派の仲川、皆川両名が初めて提案、実現した企画への応援・友情参加の現れと心躍る嬉しい気持ちになりました。

樋口一葉、坪内逍遥、徳田秋声、金田一京助・春彦、夏目漱石、魯迅、石川啄木、宮沢賢治・・・明治時代、都内でも文京区周辺、特に東大キャンパスを中心にした本郷から湯島界隈には、当時のそうそうたる作家・文壇人・芸術家が近所に住まいサロン的な活動が話題を集めていました。それと同時に彼らが住む一帯は「坂」が多く、上り、下り、急こう配ありで、今日でも坂道の“宝庫”と言われているのだそうです。

さて10時半過ぎ勢いよく出発した私たちの第一目標は、代表作「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」を発表、24歳の若さで逝った樋口一葉の終焉の地。春日駅裏をぐるりと回り、交通量の多い白山通りを巣鴨方面へ歩くこと約10分、大きなビルの前に業績が刻まれた立派な「文学碑」とプレートを見付けました。「ここまで、まだそんなに坂道はないね」のつぶやきが、聞えてきました。

長い登山歴を誇る先輩の諸兄姉にも、これからが「坂の宝庫ですよ」と耳打ちしたい気持ちでしたが、実際は・・・。坪内逍遥旧居跡前の急こう配下りの炭団(たどん)坂、菊坂を下った低層地帯には、今でも昔の木造三階建ての館などがあり、まだ生活を営んでいる気配、その一角に一葉や宮沢賢治の旧居跡も。彼女が使った古井戸は今も健在で使用中とか。「近代文学の源流を辿る楽しみがあるな!」と、心の中でつぶやいてみる。

その後は、短いけれど自転車を降りて下る急傾斜の胸突き坂、梨木坂や新坂を上り、下りしながら、例えば一葉が生活費を工面するため、しばしば通ったとされる現存する旧伊勢屋質店、当時の名だたる文士、芸術家らが定宿にしていたとされる菊富士ホテル跡を訪ね、昔から旅館街としても名高い本郷を代表する木造の鳳鳴館本館・別館も見学。本館は登録有形文化財に指定されています。それにしても、どの坂道にも山の手の整然とした道路では味わえない風情や情緒を感じましたが、皆さんの感想はどうなのかな?

参加者全員が坂道を全然苦にすることなく、既に昼食の席を予約してある東大キャンパス内の食堂へ。広大な東大キャンパスは、元は加賀前田家の上屋敷跡で、あの赤門は徳川11代将軍家斉の息女溶姫が前田家にお輿入れした時の建造とか。 

美味しい昼食の後、三四郎池を一回りして東大キャンパスと別れ春日通を歩き、小道の奥に広がる壮大な麟祥院を訪ね、春日局のお墓に参る。春日局とは三代将軍家光の乳母となり、家光が将軍職に就くために献身的な活躍をし、大奥の制度確立にも尽力したことなどから、三千石と春日局の号を賜ったことは有名な話だそうです。

高台に位置する湯島天神の代わりに、森鴎外の名作「雁」の舞台である寂しげな無縁坂を下り、広大な旧三菱財閥の本拠地「旧岩崎邸庭園」を見学。ハスの大きな葉に埋まった不忍池の遊歩道を渡り不忍池弁天堂に参拝、みんな元気に全日程を終了しました。

「皆さんの温かい友情と協力のお蔭ね」―上野駅前の居酒屋での盛大な“振り返り”で口にしたビールの旨さや、全員笑顔の放談が忘れられません。参加した方々にどれだけ都内の史跡探索の楽しさや満足感を与えられたかは分かりませんが、仲川さんとさりげなく無事故の「初陣」を喜び合いました。この貴重な初体験を生かし、二人とも新たな企画提案に挑む決意です。ありがとうございました。

参加者:①皆川②仲川③深田④丸山⑤柴山⑥森⑦植木信久⑧植木淑美⑨平井康司

DSC_0882_.jpg DSC_0889_.jpg DSC_0897_.jpg 

同好会

pagetop