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公益社団法人日本山岳会

里山歴史研究会 №5「湖北の山と十一面観音」報告

里山歴史研究会№5「湖北の山と十一面観音」報告

2017.11.3(金、祝)~5(日)         

①「湖北の山々を歩く」藤下美穂子

訪ねた湖北の山は、いづれも古戦場である。賤ヶ岳から山本山までのロングトレイルも予定通り歩き、観音様にもお詣りでき、心身ともに充実した山行だった。

初日5/3木之本の駅に10名、全員集合した。

コースは木之本駅―坂口バス停9:40-菅山寺周遊―12:55呉枯ノ峰(531.9m)―13:30三ッ頭(482m)―14:20配水センター―15:00木之本駅(歩程は4時間ほど)。

坂口より歩き始める。登り口は急登で息が上がったが、一息つきたいなと思うところにお地蔵さまが安置され、手をあわせるよう導かれている。菅山寺は一山越えてずいぶん下ったところである。阿闍梨の碑もあり、高僧がおられ栄えていたことが偲ばれる。本堂、護摩堂、経堂など残っているが、無住の寺は荒れている。ブナ林のなかにあって池などもあり、読経や参拝者の声が行き交う清涼な地だったろうと思われた。呉枯の峰から木之本まではなだらかと思ったが、歩きづらい急な道だった。秋とは思えぬほど暑かった。木之本の町は古い町屋が残った趣のある町、素敵な和菓子屋さんでは明日のおやつ用に大福をゲットした。

木之本(15:25)から電車で湖西線の永原へ。宿のバスで琵琶湖のほとりを菅浦まで。竹生島が近くに見える。宿「つづらお荘」に着いたが、急遽、そのまま須賀神社まで送っていただく。

白洲正子の「かくれ里」に詳しい記述があるが、須賀神社のお社には「跣」でという村人の信仰に習い、素足でお詣りした。石段は、ひんやりとして気持ち良かった。小さい集落だがお寺も多く、浅井長政の子がこの地に逃れたという伝承もある集落である。淳仁天皇に仕えた人々の子孫と信じ、その誇りと警戒心が他人を寄せ付けなかった村人の暮らしは長く続いていた。宿までの帰路は、琵琶湖の残照を眺めながらの遊歩道だった。変わりゆく湖面。幸せな一日の終わりだった。

宿に帰って美味しい食事とお酒をいただき8時過ぎには就寝。

二日目(5/4) 賤ヶ岳から山本山まで7.1kのロングコース(歩程5時間) 

朝食の頃は雨である。皆、雨具着用で出発。宿の車で近江塩津まで送ってくださった。有り難かった。

余呉駅下車。なだらかなコースをとって山頂を目指す。途中、中川清秀の終焉の碑などもあり、急坂を上ると山頂だった。大きい琵琶湖が目に飛び込んできた。見え隠れしていた余呉湖が可愛いい。山並みの端に山本山が見える。歩けるかしらん?とちょっと引けぎみである。晴れて余呉湖に虹がかかっている。ぐんぐん下る。いくつピークを越えたのだろうか?二つの台風のせいだとかで倒木が多い。下をくぐったり、上を跨いだり足の長さが…。湖にそって古保利古墳群が延々と続く。こんな場所にと不思議な気がするが、地形は今とは違っていたかもしれないと思いなおす。途中、湖が近くに望まれ、防波堤もくっきり見える。素敵な眺めである。反対側は近江平野が見渡せる。やっと山本山が近くなってきた。片山(琵琶湖岸にある)との山道は胸にせまるものがあった。明治から昭和37年トンネルができるまで、この山道を使っていたとのこと。先人の大変な思いは忘れないようにと思う。この道を過ぎ山本山(324m)を目指す。

山頂は広く本丸・二の丸・三の丸など跡が残っている。琵琶湖も見渡せる。皆、思い思いにくつろいでいる。しばらくして下山開始。急坂である。約束の時間にマイクロバスの待つ神社のそばに着いた。

予定通り完歩できたこと感謝である。温泉に入り心地よい汗を流す。

三日目(11/5)最終日である。タクシー3台に分乗し小谷山をめざす。朝早いので、番所跡まで車ではいることが出来て大分短縮された。小谷山は山頂まで山城であり遺跡が残っている、戦国の侍たちは、よくこんなところに と考えてしまうが、天然の要塞でもあったのだろう。小谷山の山頂から山麓近くまで、大勢の方が枝払いなどされていて、おらが山として愛されているのだなと思った。小谷山の目の前には虎御前山があってこちらは信長の陣地だったそうである。山から下りて渡岸寺(どうがんじ)まで歩く。アスファルトの道は足にこたえる。ひたすら歩き植木さんの待つ渡岸寺へ急いだ。この近江平野の民家はどこも立派で瓦がとても綺麗である。湿った重い雪に耐えるために瓦にお金をかける習わしがあると「つづらお荘」で伺った。

十一面観音さまは、いいお顔をしていらっしゃる。

豊公荘 7:45=タクシー=番所跡8:10発―山王丸8:53―小谷山9:45着―山崎丸10:32―清水神社10:48着―渡岸寺12:10着(昼食)―石道寺―鶏足寺―

己高閣、世代閣―木之本駅 17:00 (行動時間約9時間)

木之本17:14発に乗車し米原17:57発で東京へ。米原でお弁当と思ったが売り切れていて残念!琵琶湖を眺めながら、落ち葉を踏みしめながら歩き、観音さま巡りもする素敵な山行でした。                   

②「観音の里を訪ねて」 茂呂よしみ

11月5日、小谷城跡へと向う。道中、地元の人から「観音様に会っていって下さい」と度々声をかけられた。観音様愛?に溢れている。

その後、高月方面に向う。紅葉に彩られて、その寺はあった。

「渡岸寺十一面観音菩薩立像」そのお姿は、軽く腰をひねり、衣の流れも、後ろ姿でさえも美しく、見る者を穏やかに癒しなが  らも威厳に満ち、静かに仏の教えを語りかけてくるようであった。観音様の後ろまで、ぐるりと一周拝観させていただけることに、ただただ有難く感謝した。

感動さめやらぬなか、次の目的地の石道寺(しゃくどうじ)へ川沿いの道を登る。

三体の観音像が、多聞天、持国天に守られて厨子の中に安置されていた。

中心の十一面観音像は、子授け観音として知られ、ふっくらとしたお顔立ち。

かつての極採色が僅かに残り、その唇を朱色に染め、艶やかで親しみやすい印象であった。

次の鶏足寺では、歴史を感じさせる参道に紅葉が散りばめられて美しく、秋の景観を堪能。茶畑の中の里山散歩を楽しみながら、己高閣(ここうかく)、世代閣への道をたどる。こちらは、かつて己高山(こだかみやま)の頂きにあった鶏足寺の十一面観音が安置されている。

観音の里の御像は、遠くは村人の背に負われ、或いは地中に埋められて戦火などを逃れたとか。現代に至たっても、心ある人々に守られていることを痛感した旅であった。 (茂呂よしみ)

参加者:男性 3名、女性 7名 計 10名

  *付記

  「つづらお荘 御献立」 

食前酒  ブルーベリー酒

先 付  小鮎煮       注1)

向 附  鮒の子まぶし 海老 注2)

台 物  近江牛の小鍋    注3)

焼き物  鰆の西京焼き

蒸し物  蟹身の茶わん蒸し

油 物  ふぐの天婦羅

酢の物  氷頭の酢和え    注4)

吸い物  オクラの養生豆腐

ご飯 香の物         注5)

甘 味  笹団子 ワインに葛餅

注1)子鮎でなく、小鮎で琵琶湖の鮎は餌が少ないため成魚でも小さい。

注2)鮒の卵をまぶすという伝統的な郷土料理

注3)味の濃いブリスケット部位。識別番号 1369058589

注4)貴重な鮭の頭の軟骨    

注5)近江米 生産者:大浦の桑原与之吉 

 以 上

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