サトケン「歴史探察ウォーク 小田原から早川」報告
報告者 小河 今朝美
開催日 2018年3月31日(土) 晴れ
参加 男性 3名、女性 6名 計9名
箱根登山鉄道 入生田駅に集合~長興寺~紹太寺~地球博物館(ここからガイドさん同行)~太閤橋~石丁場跡~石垣山一夜城址(ガイドさんはここまで)~ヨロイズカファーム(昼食)~土岩蒲鉾店~JR早川駅にて解散
朝はヒンヤリとしていましたが、天気に恵まれました。
最初に行った長興寺のしだれ桜は、樹齢約340年のエドヒガン桜の変種で太い幹、ぐっと垂れ下がった枝が大きく八方に伸びている様子に圧倒されました。ちょうど見ごろを迎えた桜に「綺麗~」「すご~い」の歓声があがります。
その後、小田原城主だった春日局の息子(稲葉正勝)の菩提寺、「紹太寺」で、稲葉一族の墓や、春日局の供養塔をお参りしました。
線路を渡り、その先の「生命の星 地球博物館」の前でNPO小田原ガイド協会の方が待っていてくださいました。地球博物館の庭には19億万年前に地球の酸素を作ったといわれるシアノバクテリア類の死骸と泥が堆積してできた岩石「ストロマトライト」がありました。教えていただかなければわからない場所でした。そこから説明を受けながら歩き出し、江戸時代には石を運ぶ船が運航していたという早川は、今は浅瀬ですが、当時は川幅が広くて深く、流れも速くて、日本橋まで2、3日で船を使って石を運んだそうです。戦国時代の様子を偲ぶ名前の「太閤橋」を渡りました。
小田原といえば「ミカンの産地」でしたが、その後は「キュウイ」に変わり、今は、仏教で使うシキミ(樒)の産地になっていると伺いました。ちょうどシキミの花が綺麗に咲いていました。シキミの段々畑には、箱根の火山が噴火した時の大きな石が残されている所もありました。その石は、江戸時代に築城の際には、石高に応じて主に外様の各大名に石の数が割り当てられ、その大きな石を切り出し、江戸に運ぶという作業は、月に2個しか納められなかったというほどの過酷な工程が想像できます。市道の橋の下には、「矢穴」の跡が残る石など、石を割る作業工程がよくわかる現場がそのまま保存されていて、参加者一同が感嘆の声をあげました。
途中では、千利休が小田原で開いた茶会のために作った花卉の写真を見ながら、秀吉が気に入らなかった花卉の写真、小田原の茶会の後、まもなく千利休が秀吉より切腹を命じられたことも教えていただきました。
そして、一夜城址に向かいます。豊臣秀吉の北条攻めの際には、石垣山に一夜にして城を築いたという話は、実際は80日間で築城した城で、石垣は穴太衆の野面積み。白い布で白壁のように見せかけ、一夜にして築城したかのように周りの木を伐採して、北条側を慌てさせ、北条の敗北につながり、豊臣秀吉の天下統一はここに完成したということです。80日で築城したと思えないほどの曲輪があり、豊臣秀吉の権力の様がよくわかりました。この茶室には千利休、淀姫、天皇の勅使も茶会に招かれていました。当時は、小高いこの場所から小田原城がよく見えたのでしょうが、今は木が育ち、小田原城は見えていません。少し海が見える景色は大磯丘陵(北アメリカプレート)と箱根火山(フィリピンプレート)の境界線の断崖です。大災害が起こらないようにと祈るばかりです。
集合写真の後は、「ヨロイズカファーム」の庭で昼食をいただきました。コック帽の方が表に出ていらしたのは、パティシエの鎧塚さんご本人でした。嬉しいサプライズでした。
昼食後は、あまり車の通りがない舗装された道をのんびり歩きながら、月に数回しか営業していいない可愛いパン屋さんでお買い物、早川の駅前ではUさんのお薦めの蒲鉾屋で美味しい御揚げや竹輪をお土産に購入しました。
私の住む八王子は小田原の支城の八王子城があったところです。八王子城主の北条氏照は「のろし」を使った合図で知らせ、小田原から早馬を飛ばして、小田原の海産物を運び食べていた漁貝類の多くの残骸や、小田原などの海辺で生えるような木や植物などが今もたくさんあり、小田原とは縁が深かった様子が残されていることを知っていたので、かなり勉強されているガイドさんから個人的に興味深い話をたくさん伺うことができて、ほんとうに楽しいひと時を過ごせました。どなたかが「今日は、本当の里山歴史研究ねぇ」と言っていましたが、まさに「サトケン」らしい散策を堪能できました。 以上