新宿御苑野外集会 報告
2020年11月7日(土)
コロナ禍のなか新宿御苑の東屋で10月の山行報告、上半期の会計報告、今後についてなどの話し合いをし、散策の後散会した。
新宿御苑は、紅葉と菊の香りに包まれ都心とは思えない空間を堪能できた。
参加者 男性4名 女性5名
「新宿御苑今昔」 Mutou T
新宿御苑のもとをたどると、家康が、江戸に入府したころ家臣の内藤清成に与えた土地でしたが、元はもっとずっと広かったらしい。
一説では、家康が内藤清成に、馬で走り回れるだけの土地を与えると言ったので、清成は、東西では四谷~代々木、南北では千駄ヶ谷~大久保に至る広大な土地を手に入れたとか。
たった3万石の小大名の内藤家としては、随分デカイ領地を手に入れたことになります。
以下の話は、佐藤雅美さん(多分)の本に書いてあったことです。
記憶に頼るのは危ないので、調べようとしたのですが調べられません。
半分ウソ(?・・・もっと怪しいかも)程度に読み飛ばしてください。
こんなに広大な土地に、あるときどこかの大名が遊びに来たそうです。
しかし、その大名は馬を走らせているうちに道に迷って一人になり、その内、百姓家を見つけました。中に入ると、百姓の女房がいる。
そして、不埒なことに、この大名はこの女房を手籠めにします。
そこに亭主が帰ってきて、棒か何かで殴り掛かる。
大名は刀を振り回して防戦する。剣術の腕前はヘッポコでも、刀は良いものだったのでしょう。百姓の腕がスパっと落ちてしまった。
そこに家臣がやってきて、百姓は傷の手当てをするために運び出された。
そして、話し合いの結果、百姓を国元で侍として召し抱えることにして一件落着とした・・・筈だったのに、なぜかこの話が江戸中に漏れた。
大名は江戸城に登城する義務があります。
この大名が登城するたびに、江戸城の前で町人が待ち構えていて囃し立てる。
「百姓女の味はどうだ?」とか「やーい、xx大名」などと大変盛り上がったらしい。
これは将軍の耳にも入るし、どうにかしなければということで、領地替えの話も出たようです。この後の話もあるのですが、記憶がもっと怪しいのでやめておきます。
徳川時代は、我々が想像しているよりずっと庶民の力が強かったようです。
この話だって、侍が強ければ弾圧も出来るわけですが、そうはならなかったらしい。
この辺りは内藤新宿と呼ばれ、甲州街道沿いが宿場町になり、たくさんの町屋や旅館ができ、男が遊ぶ悪所もできて随分賑わったようです。
令和の新宿は、当時とは人口が違いますから、賑やかな点は当時をはるかに超えています。
悪所は歌舞伎町を中心に残っているし、得体の知れない外人も見かけるし。。。はるかに猥雑で好きになれません。新宿御苑だけは健康的な場所だという気がします。 以上
東屋でのミーティング
菊花展