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公益社団法人日本山岳会

里山歴史研究会No.53「身延山宿坊探訪とハイキング」報告

里山歴史研究会No.53「身延山宿坊探訪とハイキング」報告

2022年10月12日~13日(水・木)

                                           Moro Y 

参加者6名: 男性1名 女性5名

10月12日 身延山バス停12時集合の予定であったところ、当日早朝に発生した交通の混乱により約2時間遅れて身延山に全員集合。まさに皆さんの的確な判断によるものと胸をなでおろした。

混乱の疲れも見せず早速、菩提梯に挑戦する。

さすがに日頃から登山で鍛えているだけあって287段の石段を見事に登りきる。

本堂拝観ではその広さに驚き、墨と金色で描かれた加山又造制作の龍の天井画に見とれ、その後もほぼ予定通りの行程を終えて山本坊(徳川家康公の側室、お万の方も滞在した宿坊)に到着して休む間もなくザックを置き、直ぐにご住職の法話を拝聴する。途中、お会式と万燈行列の話題となる。

今年は練り歩きもなく例年の70台には及ばないが万燈行列があるとの情報を得、ご住職に車で送って頂き本堂に到着。

確かに例年の賑やかさはなく、参加者は少ないものの提灯のほのかな明かりに導かれ、かえって神聖にさえ感じられる行列であった。

13日は曇、気温も低く他に登山者もなく静かな参道をのんびりと山道を楽しみながら下山した。

大変慌ただしく始まった山旅ではあったけれど、その後は皆様の適確なアドバイスとご協力をいただき無事に終えられたことに心より感謝しています。

私には通いなれたコースではあるものの、いつもとは違って感慨深い山行となった。

ご参加の皆様ありがとうございました。 

参加者感想

「荘厳な空気の中」                                  Maruyama S

身延山久遠寺は日蓮聖人が法華経の根本道場と定め、日蓮宗総本山として信仰されてきた寺だ。 

三門から本堂へ続く287段の石段を登り切れば涅槃に達するという。一段の石の高さに皆悪戦苦闘しながらなんとか登り切った。そして、その先にある本堂を茂呂さんの案内で我々グル-プは独り占めし、じっくり拝観できた。

荘厳さもさることながら、加山又造画伯の天井の雲竜図は圧巻だった。

 二日目の朝は五時起床。まだ、薄暗い朝もやの中から「ドド-ン、ドドド-ン」と太鼓の音が近づき、その音に心が吸い寄せられるように本堂へ。百人からの僧侶の読経は我々を日常から解放し、別世界へと誘ってくれた。自然と頭を垂れ、生かされているありがたさに心から感謝した。     

 朝食後、日蓮がご隠棲の九年の間、風雨厭わず登られた山の奥の院へ。

日蓮聖人は故郷の房州小湊を拝していたというが、雲海の上に南アルプスや鳳凰三山を望むこともできた。帰路は樹齢750年を超える霊樹や苔むした千本杉のある修行の道を歩いた。モミジがほんの少し色づき始めていた。   

「幽玄という表現がピッタリな身延のお山」                       Yoshikawa M

今回も歩いた奥の院思親閣から七面山への道を分け、日蓮上人御草庵跡へ至る道が好きである。

 深山幽谷でありながら道は整備され、途中、感井坊からはつぶさに久遠寺の全景をとらえる。

上人と七面龍女の伝説が残る妙石坊や、上人をはじめ身延山歴代とゆかりの方々の墓が並ぶ御廟所も尋ねることができる。

特に身延山発祥の地である日蓮上人の御草庵跡は緑深い西谷の地にあり、新緑と桜の時期は格別な美しさである。

激しい性格のイメージの日蓮上人だが、実は悩める人々を励ました手紙が多数残っている。私が身延に滞在したこの二日間、そんな日蓮さんが「くよくよするなよ」とずっと囁いてくれた気がした。

「身延山宿坊体験とハイキング」                             Yoshida N

お会式とは何?宿坊とはいったいどんなところ?

いつもと趣向が違う山行を心待ちにしていた。

三門から菩提梯を登って、たどり着いた久遠寺の境内は、赤い五重の塔が印象的で落ち着いた雰囲気だった。偶然にも見かけた修行僧たちが題目を唱えながら歩く姿や、朝のお勤めで多くのお上人さんたちの題目の大合唱は、非日常の光景で、清々しい気持ちにさせてくれた。

夜には、お囃子に合わせて纏や万燈の行列を見ることができた。お会式と呼ばれる、日蓮聖人をしのんで感謝の気持ちを捧げる大切な行事。これは一年に一回この日だけのもの、この特別な日を選んでプランを立ててくれたMさんの心遣いを感じました。

また宿坊山本坊は徳川家康の側室お万の方や光圀公が泊まったことがある徳川家ゆかりのところ。ここでは、お上人様からの日蓮宗にまつわる法話を聞かせていただき、奥様が作った精進料理を味わい宿坊ならではの暖かいおもてなしを受けた。

日蓮聖人が晩年を過ごした聖域「身延山」に身を置き、忘れかけている日本人の心の何かを感じた気がした。そして、期待以上の素晴らしい体験となった。

丁寧な解説や、このような企画を提案してくれたMさんに心より感謝です。     合掌

 「 初めて身延線に乗って、初めて訪れる身延山」                    Hatou M

宿坊に荷物を預け、身延山の山門へと歩く。菩提梯の石段のてっぺんを見ると空しか見えない。

287段は急な階段で一段が高い。息も絶え絶えで登りきると久遠寺。

本堂の天井画の「墨龍」はお釈迦様の教えもよく分からない私でも心打たれるものがあった。

日蓮聖人の御廟所は川の水の音、木々の緑の美しさに包まれていて静寂。季節を変えて又訪れたいと思った。夜の御会式の万灯行列、翌朝の朝勤の体験等、貴重な体験をした。

身延山の頂上からの素晴らしい景色、下山途中の松樹庵から望む久遠寺は、山深い所にあるのがよく分かった。来年は開闢750年になるそうだが、その教えが脈々と受け継がれてきたことは驚きである。よく歩いた2日間だった。そして宿坊の食事のなんて美味しいこと。

「身延山宿坊探訪とハイキング」                              Oka Y

山梨県出身の父親は、兄弟が多く(14人), 従って甲府市を中心に親戚が沢山あった。中でも小学校1年から2年生にかけて、東京の空襲を避けて叔母の家に、兄、姉と3人で疎開でお世話になった。毎日30分、南アルプスを遠くに眺めながら通学した。B29が富士山の上を通り東京に向かうのを眺めては、実家が無事であることを祈っていた。終戦1ヶ月前の7月には、甲府も空襲され、通っていた小学校は焼けてしまい、その後はお寺で授業を受けた(結果的には、幸いにして東京の実家も学校も戦災には遭わず無事だった)。やがて山にとり憑かれ頃には、甲府はいつも素通りしてしまっていたが、大きな山登りが出来なくなった今、お世話になった山梨の山やお寺を代表して、身延山にはお礼を兼ねて一度は行ってみたいと思っていたので、それが実現できて心の荷が一つおりた。折しも、10月13日は日蓮聖人のご命日で前夜には、伝統的な「万燈行列」も見学でき、皆様とはちょっと違った思い出を残せました。Mさん!こんな良いタイミングで、今回の計画を企画・実施していただいたことに感謝いたします。

こちらより写真をご覧ください。No.53minobusan-1

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