今回でGHT6回目の山旅となるメンバーは、重廣恒夫隊長(6回目)、吉井修(6回目)、飯田邦幸(4回目)、中村三佳(2回目)の4名です。
インドエリアでは、ガルワールヒマラヤからラダックの踏査をおこないます。
ガルワールエリアでは、1936年日本人のヒマラヤ登山の端緒を切り開いたナンダコート(6861m)、1976年日本山岳会とインド登山財団の合同登山隊が初縦走をおこなったナンダ・デヴイ東峰(7434m)~主峰(7434m)が聳えています。
また、ラダック踏査では、カンヤツェⅡ(6250m)の登山を予定しています。
GHT6thの行動は、今まで同様に通信が入り次第、皆さまにお届けしたいと思います。
120周年記念事業のGHTはネパール~インド~パキスタンへと日本山岳会の先駆者の足跡を辿る温故知新の山旅ですが、今回のインドを終えれば、来年のパキスタンで最終章を迎えます。
引き続き皆さまのご支援をよろしくお願いいたします。
(留守本部 松田宏也)
[11月28日]
11/12 レー(Leh)から11/25の帰国までの重廣レポートを掲載します。
今回でインドヒマラヤGHT6th踏査報告は終了となります。
ご愛読いただきありがとうございました。
また、皆さま方のGHT隊へのご支援、ご声援に改めて感謝申し上げます。
来年(2025年)の日本山岳会創立120周年の年にはパキスタンの踏査を予定しています。
2020年から開始したGHTもパキスタンの踏査でいよいよ最終ステージを迎えます。
引き続きのご支援を何卒よろしくお願いいたします。
「重廣レポート」
11/12 Leh(車)Chilling(車)Sara~Markha Campsaite(3757m) 約95km 約7時間
レーのホテルを10時に出発。インダス川沿いの舗装道路を走り、ザンスカール川との合流点からはザンスカール川沿いへ。
マルカ谷に入り馬方と合流、荒涼とした平坦な道を3時間歩いてマルカ村キャンプサイトに到着。
11/13 Markha CS~Thachungtse(4230m) 約15km 約8時間
ラダックで一番大きなマルカ村を通り抜けたが、5年前の大雨で村の中心部が流されていた。
8時間歩いてタンチュンツェに到着。夜半、強風でトイレテントが吹き飛ばされた。
11/14 Thachungtse~KangyatseⅡBase Camp(5057m) 約6km 約5時半
B.Cに向けて標高差1000mほどを登る。立ち寄ったHanker村は上・下に分かれた大きな村だった。
夜のBCは気温が-15℃まで下がった。この日、飯田隊員は体調不良でHanker村まで下山、さらに車でレーのホテルに入った。
11/15 KangyatseⅡBase Camp~5429m~BC 約4km 約3時間半
午前中は高所順応を兼ねて5400m付近まで登攀装備類を荷揚げ。カンヤツェⅡ峰(6240m)が眼前にせまる。
明日は深夜1時スタートと決めシュラフに潜り込む。
11/16 BC~ KangyatseⅡ(6240m)~BC 約11km 約17時間
外気温-20℃の中、カンヤツェⅡ登頂に向けてと吉井隊員と重廣が1時過ぎにガイド2名と共に出発。
12時半前に登頂、18時過ぎに無事BCに下山。
晩秋という時期と、外気温-20~-30℃という低温下での長時間行動で重廣は両手が凍傷になった。
下山後の解凍も、再凍結を恐れて行わずそのまま下山することにした。
これまで好調だった中村隊員は、前日の荷揚げの無理がたたったのか高度障害で飯田隊員と同様、この日のうちにレーまで下った。
11/17 KangyatseⅡBase Camp~Hankar下村 約13km 約8時間
いよいよカンヤツェBCを離れる時が来た。背後にはカヤンツェⅠ・Ⅱ峰が神々しく輝いていた。
11/18 Hankar下村(車)~Leh 約106km 約5時間半
迎えの車が途中スタックして2時間遅れ、氷の川を渡る際には冠水し、修理をすることにはなったが、夕方にはホテルに入ることが出来た。
11/19 Leh
重廣は市内の病院で凍傷治療、他の隊員は観光へ。
11/20 Leh(飛行機)Srinagar(1673m) 約135km 約1時間
レーからシュリナガールへ移動。午後からダル湖周辺にある市場を散策。白亜のハズラトバル・モスクがあり女性の衣装などイスラム教を強く感じる。
11/21 Srinagar
重廣は凍傷治療のため市内の病院へ。他の隊員は14世紀に創建されたモスクや旧市街、シバ神が祀られたシャンカラチャルヤ寺院を訪問。
11/22 Srinagar(飛行機)Delhi 233km 約50分
警戒の厳しい市内を通って空港に移動、厳しいセキュリティチェックを受けて空港へ。デリー戻った時はホットした。
11/23 Delhi
オールドデリーのモティ・マハル(タンドリーチキン発祥の店)を1976年以来48年ぶりに訪問し、懐かしい味を堪能。
11/24 Delhi(飛行機)から羽田へフライト 約5800km 約6時間50分
これまでの空港とは違って、国際線
の荷物チェックはあっけないほど簡単で拍子抜け。
11/25 羽田空港(5:20到着)
定刻よりも少し早く羽田空港に到着。約2ケ月間に及ぶ踏査を終了、空港にて解散。
最後になりましたが、皆様方のご支援、ご声援に感謝申し上げます。有難うございました。
上の写真は、「カンヤツェⅡ峰の山頂を目指して。やっと太陽が顔を出した」
下の写真は左から、以下の通りです。
1 11/12 奥からザンスカール川と手前インダス川の合流点。
2 11/12 サラに到着、BC向けて歩き出した。
3 11/12 マルカ村のキャンプサイト。
4 11/13 タチュンツェのキャンプサイト。
5 11/14 この日のBCまでの中間点、ツインレイクの彼方にカンヤツェ峰が見えた。
6 11/15 BCから高度順化の為に、標高5430mを往復した。
7 11/16 7:15、夜が明けた。
8 11/16 頂上が近づいてきた。
9 11/16 カンヤツェⅡ峰、頂上。
10 11/17 朝、BC撤収へ。
11 11/18 氷の川を渡る。
12 11/19 シャンティ ストゥーパよりレーの町を見下ろす。中央山の上はレーパレス。
13 11/20 スリナガール、ハウスボートに物売りがやってきた。
[11月25日]
GHT6th隊が帰国しました。
11/16カンヤツェⅡ峰(6250m)にも登頂し華を添えました。
下の写真は、カンヤツェⅡ峰(6240m)頂上。後方はカンヤツェⅠ峰 (6400m)。
[11月13日]
GHT6th隊より11/4~11/11の踏査状況についてレポートが届きました。
ガンゴトリからニューデリーに戻り、次の踏査地であるダラムサラに向けてフライト。
ここは亡命生活を続けるチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世(89才)の公邸があります。
また、シバ神が祀られた湖のKareri Lakeまでトレッキング。
その後は息つく暇も無く、最後の踏査エリアであるラダックのLehに向かいました。
なお、GHT6thの最初の踏査エリアであるナンダ・デヴイからラダックまでを整理したMAPを掲載しましたので参照ください。
左から、全体MAP、ダラムサラ、LehからKang YatseⅡ峰(6240m)のMAPです。
いよいよ最終ステージを迎えKang Yatseの登頂を目指します。
ダラムサラの踏査状況は、以下の重廣レポートを参照ください。
11/4㈪ Delhi〜Naddi
ニューデリーから飛行機でカンガリ空港に移動。
空港からはチャーター車でダラムサラ郊外のナディのホテルに入りました。
11/5 Naddiレスト
朝方現地ガイドと合流した後秋桜の咲く村を散策。
その後、ダライ・ラマ公邸を訪問。博物館やミュージアムを見学してチベットの歴史と文化にふれました。
11/6 Naddi〜Kareri〜Jammu Kot (2628m) 約40km 約5時間20分
Kareli passトレッキングの尾根ルートを歩きました。登山口から標高差600mを登ったの平坦地にテントを張りました。
歩き出してすぐにガスがかかり、全く景色がありませんでしたが、岩塊の点在するルートでした。
11/7 Jammu Kot〜Kareri Lake〜Lake下キャンプサイト(2900m) 約9km 約4時間半
昨日の取水場となった沢(Riyoty)まで200m下り、そこから徐々に標高を上げていきました。
石段が続く整備された道で、途中インド人のトレッカーとすれ違いました。
以前氷河湖だったと言われるKareli Lake(2947m) は、シバ神が祀られた湖ですが、枯れていて藻が生え綺麗ではありませんでした。
湖のほとりは幕営禁止なので、少し下のキャンプ地にテントを張りました。
11/8 Kareri Lake下キャンプサイト〜Naddi 約5km 約4時間(歩きの部分のみ)
昨日登ってきた道を1時間40分ほど下ったところで川沿いから離れ、石段の続く整備された道を下りました。
茶店が所々にあり、インド人や欧米人が多く訪れる人気のルートだそうです。
3時間45分で下山口に到着しました。その後車でナディの日中は常にガスが出て展望のない山行でしたが、夜には満天の星空が見えました。
11/9 Naddi〜Jammu 約224km 約9時間40分
チャーターで高速道路を走りましたが、予想以上に時間がかかりました。
11/10 Jammu
早くに空港に行きましたが、天候不良で昼過ぎ出発に変更、結局14時過ぎにキャンセルとなり1日が終わりました。
11/11 Jammu〜Leh 約363km 約30分
定刻10時25分出発予定が少し遅れましたが、11時55分に搭乗開始となりほっとしました。
その後ホテルに入り、昼食後現地ガイドと面談、各人の持参装備のチェックを受け明日からの登山の準備が終わりました。
「写真説明」
上の写真は、11/6 カレリレイク・トレッキング1日目キャンプサイト。
下の写真は左から、
1 11/5 ノルブリンカ芸術文化研究所(ダラムサラ近郊)
2 11/5 ノルブリンカにて。タンカ制作他、チベットの伝統芸術・技術を習得、継承する取組みが行われている。
3 11/5 ダライ・ラマ法主公邸。
4 11/5 ナムギャル修道院。
5 11/7 一旦谷に下りて、登っていく。
6 11/7 カレリレイク横の寺院。
7 11/7 カレリレイク。
9 11/8 インドのいくつかの国内トレッカーに会った。写真はデリーからの一行だった。
[10月25日]
GHT6th隊からの10/23~11/3の活動レポートが入ってきました。
山道踏査から一転して車で移動しながらインドの宗教文化を体験、またウッタルカシではネルー登山学校を表敬訪問し交流を深めました。
全員元気で山旅を続けています。
なお、写真のうち6枚は食事です。
グルメの吉井隊員の食レポでお伝えします。
「メインはやはりカレーで何種類も並びます。マサラ、バターマサラとかソースにより種類が増え、朝は豆カレーや野菜入りの薄いカレーが出ます。
聖地では肉はご法度、豆やじゃがいもカレーになります。
カレーはどこでもとても美味しいですが、続くと少し辛くなってきます。モモ(餃子)、チョウメン(焼きそば)はネパールと同じでメニューにあります」
活動の詳細は以下の重廣レポートを参照ください。
「GHT6th報告 10/23~11/3」
「ジョシマートに戻ってからは山道を離れ、ヒンズー教の三大聖地であるバドリナート、ケダルナート、ガンゴトリを車で巡りました。
いずれの地も大勢の人たちがひしめきあっており、信仰心の熱量の大きさを感じました」
10/23㈬ Joshimath~Badrinath~Mana~Badrinath 約52㎞ 約5時間
チャーター車でバドリナートへ移動。
ガルワール最奥のマナ村を散策。
バスケット(背負籠)を担いだポーターが客引きをしていました。
バドリナート寺院では、1時間並んで参拝をしました。
10/24 Badrinath~Pipalkoti 約76㎞ 約3時間
ジョシマートまでの予定を変更してピパルコティまで足を延ばしました。
10/25 Pipalkoti~Guptkashi 約132㎞ 約6時間半
途中、ローカルフードを出す店でチキンカレーと川魚カレーを食べました。
グプタカシに近づくと遠くにチャウカンバⅣ峰(6854m)が見えました。
10/26 Guptkashi~Kedarnath 約39㎞(うち徒歩約19㎞) 約12時間
ヒンドゥー教最大の聖地、ケダルナートへ。
車を降りてからは糞埃と悪臭に閉口しながら登り、到着したのは夜になりました。
徒歩で、馬で、籠で参拝する人の数は1日数千人にのぼると言われています。
この日は寺院の近くのホテルに泊まりましたが、途中のテントに泊まる人や、夜通し歩き続ける人たちも多く、人の波が途切れることがありませんでした。
10/27 Kedarnath
10時からケダルナート寺院を参拝しましたが、既に長蛇の列で本尊を拝むまで5時間半並びました。
これまでの穢れが清められたと信じています。
10/28 Kedarnath~Guptkashi 約46㎞ 約7時間40分
下りは通行の安全性を考えて馬に乗りました。
それでも石畳の道なので、馬が幾度も足を滑らせ緊張する場面がありました。
10/29 Guptkashi~Uttarkashi 約215㎞ 約9時間半
ウッタルカシのネルー登山学校を訪問し校長と面談しました。
休館中のミュージアムも見学させてもらいました。
残念ながら1978年ナンダ・デヴィ日印縦走登山の記録はなく、帰国後報告書を寄贈する約束をしました。
それでも陳列された写真パネルで、当時の関係者である、インド登山財団(IMF)のサリーン会長やインド側隊長のジャグジット・シン大佐の姿を見つけ懐かしく思いました。
10/30 Uttarkashi~Gangotri 約93㎞ 約4時間40分
ガンゴトリ寺院に参拝。11月1日に閉門するため参拝者も少なく静かでした。
10/31 Gangotri~Uttarkashi 約95㎞ 約5時間
ウッタルカシに戻る途中、温泉に入りました。源泉は70℃あるそうです。
11/1 Uttarkashi~Rishikesh 約168㎞ 約4時間半
ヨガの街、リシケシに移動。夕方、ガンジス川河畔で行われた参拝を見学に行きました。
11/2 Rishikesh~Delhi 約241㎞ 約5時間
リシケシからはデリーに向かって南下する高速道路をひた走り、ニューデリーに戻ってきました。
やはりニューデリーは暑いです。
11/3 ニューデリー
後半の準備をしました。
上の写真は、10/24朝、バドリナートからガルワールの女王・ニルカンタ(6596m)
下の写真は左から
1 10/23マナ村の寺院
2 10/23バドリナート寺院
3 10/26ケダルナートへ担がれて登る人も
4 10/27ケダルナート寺院とケダルナート山
5 10/28ケダルナートからの帰りは馬を使った
6 10/29ウッタルカシのネルー登山学校を表敬訪問
7 10/30ガンゴトリ寺院の夕刻の祈りに参加
8 11/1リシケシでも夕刻の祈りに参加
9 11/1リシケシの夕刻の祈りの場
《食事について》
10 10/23バドリナートの食堂でのランチ四人分
11 10/25グプタカシ途中でのランチ
12 10/27ケダルナートの夕食
13 10/31ウッタルカシの夕食
14 11/1ウッタルカシの朝食
15 300ルピーの定食(インドルピーは1.8円)
《追加写真》
16 10/31ウッタルカシに戻る途中で入った温泉
《地図》
17 行程地図
[10月22日]
GHT6th隊から17日~22日の踏査状況がおくられてきました。
前回レポートでは、もともとの計画ルート(ダランシ・パス)は渇水期に入り、水が取れないとのことでコース変更を余儀なくされたとありましたが、KUari Pass (クアリ峠)のコースに変更することになりました。このルートは、ロード・カーゾン卿がトレースした道でクアリ峠はテイルマンやシプトンも通っています。
踏査状況は以下の重廣レポートをご覧ください。
また、踏査ルート変更後のMAPを更新しました。
「10/17~22の報告」
10/17㈭ Joshimath〜Auli〜 Tali Forest Camp 約19km 約7時間
アウリリゾートまで車を使用し、スキー場の側を直登します。
途中、 Padiwar Devatha Temple7を経て草原で昼食を摂りました。
午後に辿りついた展望地からは、ナンダデヴィ〜チャンガバン〜ドゥナギリ〜カメットなど日本人の登った山々がたくさん見え、ヒマラヤ登山の盛んな頃を思い出しました。
辿り着いたキャンプサイトにはコルカタからのトレッカーの36張のテントなど我々を入れて43張のテントが所狭しと張られているのにビックリしました。
夕方少し雨が降りました。
10/18 Tali Forest Camp〜Kuari Pass〜Dhakwani 約8km 約7時間半東ガルワール中部の山を背に南下、Kuari Passからは谷筋の道の急下降となり程なくキャンプサイトに到着しましたが、既に別パーティのテントが張られていたのでさらに下った草の大地がテントサイトとなりました。
途中に出会った10人パーティもコルカタからのトレッカーでした。今日も夕方雨が降りました。
10/19 Dhakwani〜 Pana 約8km 約7時間
今日はひたすら下りのみ、眼下にパナの集落が見下ろせる場所が今日のキャンプサイトとなりました。
150戸ほどの集落ですが、赤い穂を付けた高級なチャパティの粉が取れる穀物があり、広々とした耕作地が拡がっていました。
10/20 Pana〜 Seemkharak 約8km 約6時間
パナ集落に入らずに上端をトラバースして自動車道に入りました。
今日の行程は約3km下って、約3km登る単調な中にも変化のある1日でした。
10/21 Seemkharak〜Ramni P ass〜Ramni今日も石畳の旧道を辿りました。
途中、我々とは反対の行程を歩く欧米人10人ほどのパーティに会いましたが、相変わらず日本人には会いません。
10/22 Ramni〜Joshimath 約109km 約6時間朝方、ショートトレッキングの予定でしたが、チャーター車でジョシマートに向かい午後3時過ぎにホテルに到着。
久しぶりのシャワーと洗濯をしました。
明日からはトレッキングルートを離れ、ヒンズー教の三大聖地巡礼です。
上の写真はナンダ・デヴイ主峰
下の写真は左から
1 10/17キャンプサイトはインド人でいっぱい
2 10/18 右奥からニルギリ・パルパット、マナ・ピーク、カメット
3 10/18 クアリ・パス(3720m)
4 10/19 谷まで下り、登り返す
5 10/19 パナ村はずれのキャンプサイト
6 ハヌマンラングールと見つめ合う
7 10/20 パナ村の段々畑
8 今日も対岸から下り、登り返してきた
9 10/20 シームカルカのキャンプサイト
10 10/21 ローカルガイドからトレイルの説明を受ける中村
11 10/21 ヒマラヤンゴールデンオークの木立の中で初めて欧米のトレッカーにあう
12 10/22 朝、ラムニのキャンプサイト、ここからはジープでジョシマートへ
[10月16日]
GHT6th隊は10/7ムンシャリを出発、ナンダ・デヴイとの感動の対面を果たし10/13ムンシャリに戻ってきました。
ムンシャリに戻りようやく通信が復活です
。
その後は車でロングドライブ(320km)、バゲシュワール経由で次の踏査出発地となるジョシマートに移動、昨日(10/16)はジョシマートで久々の休養です。
ナンダ・デヴイ東面BCまでの重廣レポートは以下のとおりです。
なお、今年は水が少なく、ジョシマートからの踏査は水がとれないとのことで計画変更を余儀なくされているようです。
いずこも地球温暖化による環境変動が押し寄せているのかも?
「重廣レポート:10/7~10/16)」
・10/7㈪ムンシャリ〜ブグディアール 約38km
ムンシャリから自動車でラガリに向かいました。車道は舗装されており快適な道でした。
ラガリからは徒歩となりましたが、すぐに開削部分が崩れた地帯を横断すると未舗装道路にでました。
ブグディアールではI T BP(インド.チベット国境警察隊)のチェックポストがあり、パスポートの提示を求められました。
・10/8ブグディアール〜リルコット 約12km
明け方、岩を砕く発破の音で目が覚めました。
リルコットに向かう道すがら放牧を終えてミラム方面からムンシャリに向かう山羊や羊の大きな群れに何度も会いました。
・10/9リルコット〜ガンガール 約10km
間道を歩いて自動車道に合流しましたか、砕石が敷き詰められた荒れた道に閉口しました。
今日も途中でヤギや羊の大群に出会いました。
オールドビレッジであるガンガールは、石造りの綺麗な村ですが、約10軒のうち現在は1軒しか残っておらず、その他はムンシャリに下ったとのことでした。
・10/10ガンガール〜ナンダデヴィ東ベースキャンプ 約4km
ベースキャンプに向けての行程は、眼前にナンダデヴィを見ながらのはずですが、今日は、残念ながら厚い雲覆われ山の姿は見えませんでした。
本来のナンダデヴィ東ベースキャンプは、モレーン上の4200m付近になるのですが、水がないとのことでその大分手前でテントを張りました。
・10/11ナンダデヴィベースキャンプ〜マルトリ 約7km
夜半から晴れた空の下に、ナンダデヴィがくっきりと見え始めました。朝焼けのナンダデヴィをみながら、48年前の2ケ月に及ぶ苦闘を思い出しました。
その後マルトリ橋まで下り、その後急登に喘ぎながら、マリトリの集落に到着しました。
1936年、日本初のヒマラヤ登頂となったナンダコツト隊もここから頂上に到達したことに感動せずにはいられませんでした。
・10/12マルトリ〜ナハデヴィ 約10km
マルトリを出発する前に、ナンダデヴィ寺院を参拝しました。
10/13ナハデヴィ〜ムンシャリ 約18km
ナハデヴィからブグディアールに下山、再びI T BPでパスポートチェックを受けてひたすら下ります。
下山時はチャーター車両が舗装道路の上端まできてくれたので助かりました。
・10/14㈪ ムンシャリ〜バゲシュワール 約130kmドライブ
・10/15バゲシュワール〜ジヨシマート 約190kmドライブ
自動車部も途中から一部2車線となりましたがそれでも8時間以上かけて、ここも48年振りジヨシマートに到着しました。
余りの変わりように、昔からの面影は見出すことが出来ませんでした。
・10/16ジヨシマート(レスト)
明日からの行程を打ち合わせを行なうが、予定のコースは取水が出来ないとのことで、本来のコースの西側のクアリ パス トレックを17日から22日にかけて歩く事になりました。
写真は、ムンシャリのホテルからのパンチ・チュリ山塊、左がⅡ峰6904m
下の写真は左から、
1 10/7ムンシャリからジープ
2 未舗装の道路を歩く
3 10/7ブクディヤールのキャンプサイト
4 道中、滝がいくつも現れる
5 秋になりミラムからムンシャリに下る山羊の大群
6 10/8リルコットのキャンプサイト
7 10/9子山羊を背負ったおばあさん
8 10/10ガンガール村から登る。過疎化で1軒のみ
9 荷駄隊。馬を11頭雇う
10 ナンダ・デヴイ東面BCからのナンダ・デヴイ東峰
11 左がナンダ・デヴイ東峰7434m、右奥が主峰7816m
重廣隊長の77才のBirthdayを48年ぶり対面のナンダ・デヴイが祝ってくれた。
12 10/12朝マルトリのナンダ・デヴイ寺院に参拝
13 Ⅰ番低いところがロングスタッフコル、東陵を登り東峰~主峰へ。1976年JACの縦走ルート
14 ナンダコット6861mの朝焼け
[10月4日]
10/4、GHT6th隊は鉄道とチャーター車でアルモラのホテルに移動。
5日は舗装された林道をロングドライブでムンシャリに到着。
翌日はナンダ・デヴイ寺院に参拝、道中の安全を祈願しました。
以下は重廣隊長からの現地レポートです。
「10/4,朝の4時半にホテルを出発し、ニューデリー駅6時20分の汽車に乗ってカトゴダム駅に向かいました。ホテルから弁当を持参しましたが、食べた後に朝食が出て腹いっぱいになりました。また、列車が予定より10分も早く終着駅に着いたのにはびっくりしました。カトゴダム駅からはチャーター車に乗り換えてアルモラに向かい約7時間かかってアルモラのホテルに到着しました。
10/5,アルモラからも車での移動でしたが、途中遠くに見えたナンダデビイに48年ぶりに対面し感激しました。
ムンシャリからの道路は細く曲がりくねっていますが、林の中を走り、まるで日本の林道を走っているようでした。
また、全て舗装されており、ネパールの山岳地とはえらい違いです。約8時間のドライブでした。
10/6,午前中はナンダデビイ寺院を参拝、今回の道中の安全を祈願しました。午後は現地ガイドと合流、これからの行程の打ち合わせと日本から持ち込んだテントの貼り方などのレクチャーをしました。明日は行程を1部変更し、リラムの少し先のラガリまて車で行き、7日の宿泊予定地ブグディアール(2600m)に向かいます。
今のところ全員元気です。
明日からはWi-Fiが使えなくなりますが、インドSIMに期待しています。取り急ぎ近況報告させていただきます。]
上の写真は、ムンシャリの町
下の写真は左から、
①10/5ムンシャリへの道中、ナンダ・デヴイ(左)とナンダコート(右)が遠望できた。ナンダ・デヴイ東峰は雲の中
②ブリッジフオールと呼ばれる滝
③下校中の生徒に出会った
④山羊さんが優先の道路です
⑤10/6ムンシャリのナンダ・デヴイ寺院はカラフル!
⑥ムンシャリからのパンチ・チュリ山塊
⑦48年ぶりのナンダ・デヴイに感激
⑧パノラマ、アルモラから30kmにある展望地から
⑨パノラマ、ムンシャリのホテルからパンチ・チュリ山塊とナンダ・デヴイ方面を遠望
⑩パノラマ、ムンシャリの町並み
[10月1日]
10/1インドGHT6th隊は予定通り羽田からフライト、同日夕方にはインディラガンジー空港に到着しデリーのホテルに入りました。10/2~3と荷物整理をこなし、本日(4日)、デリーを電車で出発、Kathgodamからは車でAlmolaへ。翌日(5日)はナンダ・デヴイ東面の踏査スタート地点となるMunsyariに車で向かいます。ここからナンダ・デヴイ東面にあるBase Campを目指します。
写真はインディラガンジー空港に到着したメンバー。