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公益社団法人日本山岳会

ヒマラヤキャンプ■メンバー紹介

ヒマラヤキャンプ安達

もっとも若い安達正貴さん、25歳

安達さんは、高校で山岳部に入部し、登山を始めます。
部活で初めて登った山である武甲山(埼玉県)は思い出深く、「自分の意思をもって」初めて登った山。
卒業後の進路について悩んでいたとき、顧問の先生から、妙高にあるi-nac(国際自然アウトドア専門学校)のことを教えてもらいます。
登山が好きで登山を続ける方法を模索していた時期でもあり、オープンキャンパスに行き、入学を決めます。
選んだのは「山岳プロ学科」。3年間にわたって、登山全般を学び、登山のプロを目指します。
講師には、日本を代表する山岳ガイド、トップクライマー達がおり、恵まれた環境のもと、縦走登山、岩壁、氷雪壁の登攀、沢登り、バックカントリースキー、救助技術を学びました。
無事卒業することで、登山ガイドⅡの資格も取得。
卒業後に、夏と冬の2シーズンをカナダで過ごします。
i-nacで学んだことを自分の血肉とするときです。
(などという意識が本人にあったかは別で、おそらく登りたくて登りたくてカナダに渡ったのだと思います)
友だちとホンダのステーションワゴン(写真)を借りて、車中生活しながら、カナダの岩とアイスを求めて渡り歩きます。
せっかく女の子と仲良くなれそうになっても、男友達とふたりで車中生活していると話した途端……引かれてしまいます(笑)。
けれど、カナダ在住のクライマーの方たちや旅の途次で出会った人たちとクライミングしたり、ご飯食べたりする時間はかけがえのないもの。
いまの安達さんを形づくっているひとつのピースです。とくに、2019年におとずれたバカブー国立公園は最高だったと。
カナダでのクライミング生活は、コロナによって国立公園が閉鎖され、職もなくなり終止符。帰国します。
その後、国内で登っているなかで、ヒマラヤキャンプと出会います。
水平より垂直、登攀を交えた登山が好き。ヒマラヤには、クライマー達の長い歴史が詰まっていて、いつかは挑戦したいと思っていたそうです。
Light and Fast、ドライなクライミングが流行っているかもしれないけれど、アルパインクライマーとして、畏敬と憧れの念をもつ場所であるヒマラヤに登りたい。
そんな思いで今回の登山に参加しています。
好きな山は瑞牆山。ハイカーもクライマーも楽しめる山だから。
ネパールでの写真に前髪をピンでおさえるものがあるけれど、それはヘアドネーションを考えているから。
職業は、登山の道具店スタッフとクライミングインストラクター。
個人的印象は、とても礼儀正しく慎重に言葉を使いながら話すけれど、「自分たちの手で登りたい」ときっぱりはっきり意思表示する人でもありました。
ヒマラヤキャンプは、昨日(10/10)に標高約4100m地点にベースキャンプを設営。
安達さんは、初期の高度順応に苦しみながらも、元気にやっているようです!
写真大:キャラバン中の安達さん、現地に溶け込んでいます photo by Taichi Kagami
写真1:カトマンズでチャイを飲む  写真2:リボルトの作業中

ヒマラヤキャンプ安達ヒマラヤキャンプ安達


加々見太地

二番手は加々見太地さん、彫刻家。

「太地」と書いて「たいち」と読む。
ふたり兄弟の兄は「勇魚(いさな)」。
CW二コルが捕鯨をテーマに書いた小説のタイトルであり、その舞台が和歌山県太地町。
兄は海を悠々と泳ぎまわる鯨のように、弟は地球をどこまでも巡り往くようにと。
その名の通り、旅が好きになりました。
小学校の担任の先生が連れて行ってくれた陣馬山が初めての登山。
けれどこの時は、ハマらなかった。
その後、両親を連れだして登るようになり、芸術大学入学時に山岳部へ。
山岳部が親しくしていた「教えてくれるおじさん」に冬山に連れて行ってもらったのが、深く登山にのめりこんだきっかけ。
山岳部が所有する山小屋が鹿島槍ヶ岳スキー場にあり、いつも見上げている鹿島槍ヶ岳はひときわ思い入れの深い山。
雪がつくと現れるヒマラヤ襞に荘厳なさまを感じ、猫耳型のアイコニックな山容が好き。
冬季に北壁主稜を登り、鹿島槍ヶ岳がもつ懐の深さを知り、さらに好きになりました。
好きな登山のスタイルは、アルパイクライミング。
冬山の自由さと美しさが魅力的。
ヒマラヤキャンプのメンバーを含めた、いい友達、仲間が沢山いるようで、冬はアイスクライミングのロングルートや山スキーに出かけていました。
スケールの大きな山に憧れがあり、ヒマラヤは、日本と地理的環境が異なることや、未知の標高に自分の身を置いたときに、「自身と世界をどのように感覚するか」が楽しみだと話していました。
加々見さんの最近の作品について少し。 高天原にあったオオシラビソの倒木40キロを雲ノ平まで担ぎ上げて彫ったのが「Tabibitoくん」。雲ノ平山荘にあります。
https://kumonodaira.com/artist/gallery_2020.html
知床の森には、アカエゾマツの間伐材で制作した野外彫刻「森の夕」があり、それにヒグマが背擦りしたらしく、熊の毛がついている報せを受け取り、ほっこりしていました。
この夏も1ケ月ほど知床に滞在し(いったい、いつ帰ってくるのだろう?って思った(笑))、「葦の芸術原野祭」に出品。
https://ashigei2022.studio.site/1
滞在中には硫黄山エリアのボルダーへ出かけたり、羅臼岳に登ったりしもしていたようです。
10/23まで開催の「踏み倒すためのアフターケア」には、米子不動の氷瀑「正露丸」を登攀した時の写真をモチーフにインスタレーションした空間を作っています。
写真では伝わらない世界観と空気がありますので、ぜひ会場へ足を運んでみてください!
場所:アキバタマビ21(東京都末広町)

http://www.akibatamabi21.com/exhibition/220729.htm

加々見太地加々見太地加々見太地


後藤

ラストは後藤希介さん。

みんなに「キスケ」って呼ばれています。
2022隊の最年長、33歳。チームのリーダーです。
準備段階から細かいところまで目を配り、チーム全体を考えて行動しています。
キスケさんは、コロナのために直前で中止になった2020年隊のリーダーでもありました(加々見さんもその時からのメンバー)。
ヒマラヤキャンプには現在10数人のメンバーがいて、来シーズン以降のヒマラヤを目指しています。
キスケさんは、今回のふたり以外にも気を配り、出発前の時間がないだろうときに、遠方のあるメンバーを心配し気遣い、訪ねていました。
初めて登った山は、10年ほど前の御在所。中学時代の友人と富士山に登るためのトレーニングだったそうです。
その後、いつかは海外の高峰に登りたいと、社会人山岳会に入ります。クライミングが主体の会であり、ジャンル問わずオールラウンドのクライミングを経験するようになりました。
キスケさん自身も、実力をつけたいと努力します。
難易度に関わらず、情報の少ない山や沢が好き。こういう登山は冒険性が高く、何が起こるかわからない。
自分で考え、ルートの弱点を探し出して登っていく、そういった登山が「僕は好きです」と話していました。
初心者のころに一生懸命計画や装備を考え登った槍ヶ岳も大好き。
山岳会に入ると、冬の北鎌尾根は強い人たちしかいっていなかったので憧れました。
長野県にある大町山岳博物館へ行き、松濤明の手帳を読んで詳しく調べるうちに、北鎌尾根に特別な思いを抱くようになりました。
厳冬期のなかでも、ほかの登山者が入らないタイミングに真っ向から勝負したい、西穂高岳まで縦走したいと、1月中旬に入山。
https://www.ici-sports.com/enjoy_story/292944_1/
→こちら、ぜひお読みください!
ヒマラヤは、憧れというよりも今まで自分がやってきたことが高所でどれだけ通用するか、日本で登り続けてきたことに嘘はないと思っていると。
一緒にご飯を食べると、最初から最後まで「旨い、旨い」と繰り返しながら食べ続ける人。
だから、ベースあたりで「食欲がない」とメッセージくれたときは、あれ~?と思いましたが、いまではすっかり標高にも馴れてきたようです。
人に対してきちんと「ありがとう」が言える立派な人です。これは三人共通ですね。

これで、メンバー紹介は終わります。
今日は上部偵察をし、いまだラッセルが続き苦労しているようです。
出国ゲートをくぐるときに、「3人楽しくね」って言ったら、「それはまったく心配ありません」と言って出発していったので、困難はあっても、力を出して登ることと思います!

後藤 <後藤 <後藤

写真=厳冬期の北鎌尾根独標。今回のキャラバン(photo by Taichi Kagami)。鳳来クライミング。ネパール観光省で登山許可取得のためのブリーフィングを受けているとき。英語での応対になります。頑張れ!下山後のデブリーフィングも待っているよ。

120周年記念事業実行委員会

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