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公益社団法人日本山岳会

[現地報告]ただいま古道調査中!

★★「全国山岳古道調査」の公開は2023年度から★★

▶▶全国山岳古道調査の資料はこちらです

飫肥街道[宮崎支部]

飫肥(おび)街道は飫肥城下と清武城下を結ぶ山仮屋越えの街道をさすが、さらに佐土原城下までの街道を言うこともある。
今回は飫肥を起点として佐土原に至る16里(64km)を対象として調査中である。
この街道は天正~慶長年間に、日向一円に48外城を築いた伊東義祐が本城都於郡城から飫肥城を結ぶ道として開削したものといわれている。
飫肥街道の起点となる飫肥城でコースの概要を確認してスタートした(大きい写真)。
小さい写真は「石地蔵菩薩」を確認中のもの。飫肥藩主が高僧の請を受けて、処刑者の霊を供養するために彫らせたといわれており、作名等はないが江戸時代の作と思われる。

飫肥城

飫肥街道の石地蔵菩薩

鳥海山[秋田支部]

鳥海山古道矢島口は由利高原鉄道の終点矢島駅から五合目秡川に至る道である。
鳥海山信仰にまつわる矢島修験の登拝道として江戸時代には隆盛を極めたが、
戦後の林道整備に伴い次第に廃れ、藪の中に埋もれていた。
現在は一部特定できていない箇所を降雪前に見つけ出して全体を明らかにする活動を進めている。
写真の石碑は古道踏査の刈払い中に見つけられた。
「安政四年」と刻まれている。
ほかの写真は古道を歩いている写真と開山神社。
普段は内部が閉まっているが、今週末のお祭りの準備で開いており、内部には修験者達の落書きがいくつもあった。
修験者たちはここに泊まり朝早くから登るとのことだった。

鳥海山

鳥海山鳥海山鳥海山鳥海山鳥海山

恐山[青森支部]

寛永通宝を拾う——。
恐山には下北半島の個々の集落から集まる多くの道があった。
今回は釜臥山(恐山奥の院)にある観音堂からの古道を歩いてみた。
「不動岩」や「胎内くぐり」など、修験者の足跡が残っていて、途中で、「寛永通宝」を拾った。
山頂からは、陸奥湾と太平洋、そして宇曽利山湖を望むことができ、江戸時代(自衛隊専用道路や頂上のレーダー基地がなかった時代)、釜臥山は修験者や参詣者にとって魅力的な山だったように思われる。
写真は大尽山から撮影した宇曾利山湖と恐山。

宇曾利山湖

寛永通宝宇曽利山湖から釜臥山釜臥山釜臥山釜臥山釜臥山釜臥山釜臥山釜臥山

霧立越[宮崎支部]

霧立越の全行程は、熊本県馬見原から椎葉村尾前まで約30数kmに及ぶが、トレッキングに適した部分は、九州脊梁山地・向坂山(1684m)から扇山(1661m)の稜線を南北に繋ぐ約12kmの尾根伝いの径である。
霧立越は、昭和8年に自動車道が開通するまで熊本県の馬見原と宮崎県椎葉村をつなぎ、人々の移動や馬の背に生活物資を乗せて運ぶ「駄賃付け」の径として利用された。

霧立越え

霧立越え霧立越え霧立越え

[霧立越えについて]

御坂峠[マウンテンカルチャークラブ]

富士山の北、山梨県御坂山塊をむかし3筋の道が越えていた。そのひとつ御坂路は御坂峠(1520m)を越える道で、鎌倉街道とも呼ばれている。
戦国時代には北条氏によって御坂城が築かれ、江戸時代には富士山に登拝する数多くの人々が利用した。近年になって古代の東山道甲斐路が通っていたことが明らかになった。
峠への登山道は、幅が数メートルある古代道路跡らしき道跡と何度も交差し、出会った石仏はどれも崩れ落ちてきたものだった。

御坂路 東山道甲斐路

御坂路 鎌倉古道御坂路 石仏

葛城修験の道2[関西支部]

昨年に引き続き、古道調査を行った。
1.2022年1月22日 神福寺跡第2経塚(参加者12名)
2.2022年2月19日 入江宿第4経塚(参加者10名)
3.2022年3月6日 七越峠経塚山第11経塚(参加者10名)
4.2022年3月27日 神野山第12経塚他(参加者10名)

葛城修験の道 「左 まきのを」と記された神福山の古道の道しるべ

葛城修験の道 横手から八王子峠にむかう古道を行く葛城修験の道 入江宿さくら地蔵第4経塚信解品葛城修験の道 七越峠越えの古道を行く 

横手から八王子峠にむかう古道を行く(写真下左)
入江宿さくら地蔵第4経塚信解品(写真下中)
七越峠越えの古道を行く(写真下右)
「左 まきのを」と記された神福山の古道の道しるべ(写真大)

大山をめぐる道/八菅修験道2[神奈川支部]

残雪の修験の道を歩く

前回に引き続き、古道調査を行いました。
2月23日(水)煤ケ谷~大山三峰~不動尻~広沢寺温泉
2月28日(月)土山峠~辺室山~煤ケ谷~不動滝
3月6日(日)広沢寺温泉~山ノ神~大釜弁財天
3月10日(木)第10番行所および9~11番行所ルート
3月19日(土)八菅24番~28番行所

大山古道

大山古道

■2月3月の大山調査 PDF

鹿野山古道[千葉支部]報道

3月4日(金)付けの「千葉日報」で、千葉支部が行っている鹿野山古道調査の記事が掲載されました。
「鹿野山古道を調査 日本山岳会千葉支部 歩いて魅力掘り起こし」という見出しで、山口文嗣会員をリーダーとした十数名が調査しているようす(君津駅→小糸中島→鹿野山道→神野寺→上総鹿楚山鳥居崎)が記され、「人が通らず、だいぶ荒れている。ハイキングブームでもあるので、忘れられている古道をはっきりさせ、歩きやすくなるといい」という山口リーダーの言葉が掲載されていました。

殿様街道[北海道支部]

地元の方々と歴史の道を歩く

10月23日(土)、北海道支部の山岳古道調査メンバーは、地元、町千軒地域活性化実行委員会が行った殿様街道の散策会に出席し、現地調査および聞き取り調査を行いました。

殿様街道

殿様街道の十字架

■上記を報じた北海道新聞の記事《PDF》

■増毛山道のオピニオン記事(北海道新聞)《PDF》

増毛山道[北海道支部]

錦秋の増毛山地を行く

10月3日(日)、支部山行「増毛山道」を8名のメンバーで歩いて、予定通り調査等を終えることが出来ました。グループを2つに分けて、健脚組(増毛山道本線全行程27km)と年長組(女性2名含む、増毛山道支線を含む16km)で実施致しました。特に、健脚組は朝4時20分の夜明け前の暗い中をスタートして、約11時間の格闘でしたので、その脚力には改めて脱帽致しました。

増毛山道

北海道新聞の記事(2021年10月3日)

六十里越街道[山形支部]

山形城下から日本海側の庄内鶴岡に至る街道で、おもに出羽三山参詣の道として利用されたたいへん険しい山岳道です。
今回は、鶴岡市松根~西川町砂子関の区間を4回に分けて調査し、写真撮影やGPSログの取得などを行いました。

六十里越

六十里越 四ッ谷山の神  六十里越

榛名山をめぐる参拝道[群馬支部]

群馬支部内に古道調査プロジェクト(12人)を組織。赤城班、榛名班に分け、山頂部へ至る6コース前後を選び調査中。
赤城班は第1回調査中。榛名班は第1回調査を終了し、必要に応じ2回目に入っている(全体の調査進捗度60~70%)。
積雪期に差し掛かってきたが、榛名は積雪量も少ないので大きな影響はない見込み。
▼写真は12月15日の調査のようす。

秩父往還贄川宿[埼玉支部]

秩父往還は、中山道熊谷宿(熊谷市)から荒川沿いに秩父盆地を横断して雁坂峠を越えて甲府に至る街道です。
秩父路、甲州路、信玄路、あるいは区間によって熊谷通、川越通、雁坂道などとも呼ばれています。
今回、「雁坂峠越え」及び「十文字峠越え」の共通部分である贄川宿(秩父鉄道三峰口駅)から栃本までの旧道を4回に分けて下見を兼ねた実地調査を実施しました。

▼写真は麻生加番所前でのようす

秩父往還・麻生加番所にて

鹿野山をめぐる道[千葉支部]

聖徳太子開山の鹿野山神野寺は、江戸の昔から山岳信仰の霊場として多くの信仰を集め賑わいました。
神野寺に至る信仰の道を鹿野山参道と呼び、六つの道があったといわれております。
この街道の一部は江戸幕府により公牧(嶺岡牧)と木更津とを結ぶ道としても利用され、嶺岡往還と呼ばれていました。

第1回調査(2021年11月6日)木更津市桜井~君津市中島、第2回調査(11月14日)君津市中島~(鹿野山参道経由)鹿野山神野寺、第3回調査(11月28日)鹿野山神野寺~鳥居崎~君津市田倉山神社~鹿野山神野寺、第4回調査(12月12日)鹿野山周辺の登山道探索

▼福岡の鹿野山参道碑

大山をめぐる道/八菅修験道[神奈川支部]

大山は古くから人々に崇拝され、不動明王を祀る大山寺を中心に修験道が興隆しました。
神奈川支部では、大山と八菅神社を結ぶ八菅行者道の八菅30行所のうち12行所の踏査を実施しました。
また、足柄古道を2回に分けて予備踏査を終了し、箱根旧街道のうち箱根峠西坂(静岡側)の予備調査を第1回を終えました。

写真は八菅神社本殿。「八菅山禅定宿」第1番行所であり宿。ここから八菅ハイキング道が整備されている。

写真《下左》塩川滝に至る道。《下中》「西山を守る会」荻田事務局長の説明を聞く。《下右》華厳山山頂

塩川滝に至る道 「西山を守る会」荻田事務局長の説明 華厳山山頂

飯田街道伊勢神峠[東海支部]

三河の塩を信州へ、信州の産物を三河へと運んだ飯田街道。馬での運搬が盛んだったため中馬街道とも呼びます。
三河と伊那谷を結ぶ伊勢神峠(いせがみとうげ、標高780m)には、遠く伊勢を望む遙拝所が設置され、善光寺参詣の人々もこの峠を越えていきました。

伊勢神峠

東の鯖街道丹波越え[京都・滋賀支部]

海の幸をもたらす幾多の道

「東の鯖街道」は三分割で調査しています。
1. 根来坂峠から針畑桑原間
2. 桑原から久多(丹波越え)
3. 久多から京七口の一つ(荒神口辺り)
丹波越えのルートは、多くの調査がされてきましたが、未だに明確な答えは出ていません。
ひとつには、多くの人が行き来した証、古道独特の顕著なU字形に凹んだ道の形跡が発見されていないのです。
東の鯖街道は有名で書物や分籍も多くありますが、丹波越えの記述は曖昧です。
我々京滋支部がこの調査で解明できるかどうかは定かではありませんが、出来ることなら我々が解明したく思っています。

東の鯖街道

葛城修験の道[関西支部]

第1回調査(2021年7月25日)加太・友ヶ島序品窟、第2回調査(10月9日)大福山第3経塚(孝子高山寺~六十谷)、第3回調査(10月21日)友ヶ島観念窟再調査、第4回調査(10月30日)雲山峰第3経塚(六十谷~六十谷)、第5回調査(11月20日)倉谷山第5経塚(根来寺~神通)、第6回調査(12月11日)志野峠松峠第6経塚中津川第7経塚(神通~粉河)
▼写真は、志野峠松峠中津川の経塚調査で、志野峠でルートを確認しているところ

葛城修験 志野峠松峠中津川の経塚調査

下の写真は第1回 加太・友ヶ島序品窟のようす

友が島

向霧立越[熊本支部]

椎葉村をめぐる交易路

九州脊梁山地(九州山地)の尾根を椎葉村(宮崎県)と肥後を結ぶ2条の山岳古道があります。
熊本県山都町(元の蘇陽町)馬見原から向坂山(1684m)、白岩山(1646m)、扇山(1661m)から椎葉村に至る東の道を「霧立越」。
遠見山(1268m)、三方山(1577m)、高岳(1563m)、国見岳(1739m)、五勇山(1662m)から椎葉村に至る西の道を「向霧立越」といいます。
昭和の初めに国道265号が開通するまでは重要な交易路で、馬荷などが頻繁に往来されていました。

※「むこうきったちごし」「むこうきったちこし」「むこうきったちごえ」「むこうきりたちごえ」などとも呼び、「向切立越え」などとも書く。

第1回調査(9月23,24日)椎葉村萱野登山口~五勇山、第2回調査(10月31日)山都町鮎の瀬~遠見山~久保の息、第3回調査(11月17日)山都町木原谷~汗見~遠見山登山口

▼椎葉村萱野の登山口での渡渉

向霧立越調査①椎葉村萱野~五勇山

宮崎県椎葉村萱野登山口~五勇山PDF
山都町鮎の瀬~久保の息PDF
汗見~遠見山登山口PDF

薩摩街道・高岡筋[宮崎支部]

薩摩街道・高岡筋は、佐土原(宮崎市)から鹿児島市山下町をむすぶおよそ133kmの街道です。
途中、国見山(407m)を越える山中の道は通る人も少なくいまや埋没しようとしています。 

▼道が深くえぐられている(和石から去川関所へ)

薩摩街道高岡筋

宮崎支部報の記事PDF

首里城への道/末吉宮参道[沖縄チーム]

500年続いた琉球王国の道は、王宮・首里城につながる道です。
今回調査を行った末吉宮には熊野三所権現が祀られ、国王がこの道を通って毎年参詣したと伝わります。

▼いまも残る琉球石灰岩の石畳

琉球古道 末吉宮参道

全国山岳古道調査についてはこちら 

120周年記念事業実行委員会

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