高地と遺伝子ー山での悲劇を防ぐためにー
大野 秀樹
エチオピア高原、チベット高原、アンデス高原に住む人たちは、代表的な高地住民です。最近の研究によると、各住民が低地から高地に移り住んだのは、それぞれ今から約5万年、2万3千年、1万年前のことでした。ちなみに、チベット民族を基点とすると、エチオピア民族とは約10万年、アンデス民族とは4.4万年前に共通の祖先を有しています(日本民族は、チベット民族と約2万年前に分岐しました)。高地への順化時間の差が主な要因となっているためか、各民族の高地適応形態が異なっています。
すなわち、一般にエチオピア民族には赤血球増多症、動脈低酸素血症がみられず、一方、チベット民族には低酸素血症のみが、アンデス民族には両者とも認められます。その結果から、エチオピア民族が最も高地順化に成功し、チベット民族が中間に位置し、アンデス民族は、実際にモンゲ病(慢性高山病)の発症が稀ではないように、順化途上といえるでしょう。これら3民族の間に遺伝子配列の著しい多様性がみられ、目下、環境要因の影響とともに精力的に研究がなされています。
このように、遺伝子や分子生物学がさまざまな分野に浸透してきました。登山界も例外ではありません。たとえば、1998年に発表されたMntgomeryらのアンギオテンシン変換酵素遺伝子(ACE)の解析は、登山界に強い衝撃を与えました。つまり、日本人では約4分の1に存在するDD型(詳細は、「山」676号参照)の人は無酸素で8,000m峰に登れず、さらに持久運動能も小さい、というものです。他の遺伝子にも、これに類する発表がいくつかなされはじめました。しかし、それ程心配はいりません。まず、通常の疫学研究と比較して、「高地と遺伝子」研究の対象者数が小さ過ぎます。DD型無酸素登山に関しても、今後、例外がたくさん出てくることが予想されます。現に、DD型の一流持久運動アスリートが数多く存在しています。
平均値(統計学)で比較するのではなく、最終決定は個人差でなされるべきです。しかし、遺伝子情報の有用さが決してなくなるわけではありません。たとえば、高地肺水腫(HAPE)のような重篤な急性高山病の既往者は、ぜひヒト白血球抗原(HLA)の遺伝子検索を受けてください(詳細は、「登山医学」19巻参照)。再発者の100%に特別なタイプがみられるからです。ACEも含めて、自分の遺伝子タイプを知っていれば、山での悲劇を防げる可能性があります。最後に、生活習慣病でも同様ですが、遺伝子がすべてを決めるのではなく、環境要因や各人のモチベーションがさらに重要であることを強調しておきます。