山での心肺蘇生
齋藤 繁
日本山岳会の会員の中には、心肺蘇生の講習会を受講したことがある方も少なくないと思います。心肺蘇生の基本的事項については平地におけるものと山で行うものとで本質的に異なるところはありません。しかし、環境の特殊性により、処置を受ける者の蘇生の可能性が低下すること、処置を行う側への環境による影響が、平地と異なることなどに関しては特別な留意が必要です。標高による酸素分圧の低下が生理機能に影響を与えるのは、標高2000mから2500m以上と考えられるため、それ以下の標高における心肺蘇生は平地と同様と考えて差し支えありません。実際、航空機キャビン内の気圧は標高2000m相当を目安としており、航空機内での心肺蘇生の考え方も基本的に平地と同様です。
一方、酸素分圧の影響が明らかとなる高地での心肺蘇生は、発生の状況が様々で医学的な面から記述された症例報告もあまりありません。また症例報告の記述は、ほとんどの場合、非常に断片的です。これは、事例発生現場から医療機関までの搬送の過程に、医学的評価と考察を行える救助者がいる可能性が低いという現実に原因があると思われます。さら、高所における実施手技の有効性や有害性を科学的に評価する研究はほとんど行われていず、数少ない症例報告や小規模の臨床的研究、あるいは高所での心肺蘇生の経験を持つ少数の専門家の経験のみに基づいて論説がなされているのが実情です。
実際、人里離れた山中等での心肺停止に対して長時間心肺蘇生を実施してもほとんどの場合不成功に終わります。ご高齢の方、疾患をお持ちの方が頻繁に山に登られる本邦では、こうしたケースが今後増加することも予想されます。困難な環境において長時間心肺蘇生手技を継続することは救助者も危険に曝すことになることから、一定の時点で心肺蘇生手技を終了させることは合理的であり倫理的にも受容されます(1)。心肺蘇生中止の判断を平地におけるよりも短時間で行わなくてはならない状況がほとんどであると想定され、当初から心肺蘇生手技を開始しない判断もありえます。例えば、富士山では15分を目安とする告示がされています。特に、登山者の年齢層が高い本邦においては、心肺蘇生を実施することになるたまたま通りかかった登山者も高齢である可能性が高く、心肺蘇生作業が救助者側の健康状態に悪影響を与える可能性は少なくないと考えられます。
文献1:Narahara H, Kimura M, Suto T,et al.Effects of cardiopulmonary resuscitation at high altitudes on the physical condition of untrained and unacclimatized rescuers. Wilderness Environ Med. 2012;23:161-4.