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公益社団法人日本山岳会

登山家の呼吸、忍者の呼吸

群馬大学大学院医学系研究科 齋藤 繁

登山家の呼吸に関するコメントの代表として、1978年に無酸素で標高8848 m の頂に到達したハベラー(Peter Habeler) と メスナー(Reinhold Messner )の “私たちは数歩進む毎にピッケルにもたれかかって、十分な呼吸をしようと口を開けてあえいだ(After every few steps, we huddled over our ice axes, mouths agape struggling for sufficient breath.)”という言葉があります。肺の中の二酸化炭素を一生懸命吐き出さないと酸素を取り込む圧力的余裕が肺胞内に確保できず生存が困難になるという、呼吸生理学的に貴重な体験談として登山医学の教科書に引用されています。

高所に行かなくても、山を歩きながら運動と呼吸の関係を実感する場面は少なくありません。例えば、平らな所でゆっくり歩いている時は、結構な速さまで口をとじたままで歩いていられますが、山の登りでは大して速く歩いていないのに、口を開けて呼吸をしたくなります。これは、単位時間内に呼吸する体積を大きくするために、呼吸の抵抗を減らしたくなる衝動と考えられます。鼻を通して呼吸した方がホコリやばい菌が肺の奥に入りにくく、また、吸い込む空気の加温加湿には有利ですが、呼吸抵抗が大きくなり、呼吸のための筋肉も疲れてきます。それで、口を開けて呼吸してしまうわけです。

呼吸のための筋肉を鍛える方法として、マスクをしてのトレーニングがあります。呼吸筋の鍛錬用に、マスクの脇から空気が流れ込まないように工夫した特殊なマスクが市販されており、呼吸抵抗を何段階かに調整できるものもあるようです。無理のない範囲で、マスクをしての登山にチャレンジすると気道の通りやすさの重要性や呼吸筋の筋力の意義が再確認できるでしょう。

ところで、日本の誇る特殊部隊、忍者軍団は戦国時代の厳しい環境の中で生きるか死ぬかの正に体を張った諜報活動を実践していました。隠密の掟により、その秘技の多くは消滅してしまいましたが、「萬川集海」、「正忍記」、「忍秘伝」などに忍者の秘技の概要が記されています。呼吸法に関する記述としては、「水遁の術」の際の竹筒を通した呼吸法(ガス交換に関与しない死腔が大きくなり、実は効率的な呼吸は困難ですが…)、睡眠中の敵の脇を通って文書を盗み出す際の「無息忍(音を出さない呼吸法)」、重要な敵方の情報を速く届ける際の「二重息吹(長距離走のための呼吸法)」など興味深いものがあります。厳しい登山と同様に、究極の諜報活動では呼吸の制御が重要であったためと考えられます。

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