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公益社団法人日本山岳会

登山家の呼吸、忍者の呼吸(その3):睡眠と呼吸 斉藤 繁 第873号

登山家の呼吸、忍者の呼吸(その3):睡眠と呼吸

群馬大学大学院医学系研究科 齋藤 繁

登山中の呼吸に関する話題を忍術書の記述と関連付けてお話しするシリーズ3は「無息忍」についてです。

山小屋で「いびき」に悩まされた経験をお持ちの方は少なくないでしょう。「いびき」は狭い気道を空気が通る時に周辺の柔らかい組織を震わせることで発生します。首回りの肉付きのよい人、鼻粘膜や咽頭粘膜が炎症やアルコール飲料の影響でむくんでいる時などに発生しやすく、症状がひどい場合には耳鼻咽喉科や口腔外科の手術対象になることもあります。軽症では本人は気づいていないことが多いですが、睡眠時無呼吸(空気の通過障害と呼吸中枢の変調で時々呼吸が止まってしまう病気)を生じると昼間だるい、突然眠ってしまうなどの症状を伴うようになり、ご本人も異常に気づくことがあります。低酸素血症を誘発することから、登山では高山病の重要な危険因子です。

敵の城に潜入し、睡眠中の敵の脇から重要な書付を盗み出したり、あるいは敵方の重要人物を暗殺したりすることを生業とした忍者は睡眠の観察にも余念がありませんでした。忍術の秘伝書「萬川集海」には睡眠の深さを鼾の状態や外見から推し量るためのコツが記述されています。例えば、「安楽なる人の鼾はろくに揃い長短大小なく、辛労の人の鼾はしどろにして行きづまり」などの記載があり、これらの書籍の現代語解説書を出版された中島篤巳氏(医師、剣術家、JAC会員)は、鼾と顔貌の関係、REM睡眠(体の力が完全に抜けているが脳は活動準備に入っている)やnon-REM睡眠(脳が休息する深い眠りの相で、体の緊張度はREM相よりも高い)などの睡眠相が明らかにされる遥か以前からこのような観察を行っていた事実に驚嘆されています(1)。

忍者は敵が狸寝入りではなく、真に深い眠りに入っていることを確認して潜入するわけですが、息がハアハアしていては相手を起こしてしまいます。そこで、音の出ない呼吸法を練習し、それを「無息忍」と名付けました(2、3)。練習法は紙を口にくわえて鼻だけで呼吸するものです。このシリーズの初回に、登山の登りで呼吸需要が高まると、鼻だけの呼吸では呼吸抵抗が大きいので息がしづらくなり、口も開けて呼吸するようになるというお話をしました。忍者は城壁や縄梯子の登攀後も口を開けずに呼吸するように努めたわけです。私たちは防音室の中で、紙を口にくわえて鼻だけで呼吸した場合と口も開けた呼吸で音の大きさを比べました。安静時にはそれぞれ、39〜42 dB、39~44 dBとほとんど差はありませんでしたが、1階から5階まで階段を走って往復した後で測定すると、39~46 dB、42~75 dBとなり、鼻だけで呼吸した方が圧倒的に静かなことがわかりました。しかし、この程度の運動でも鼻だけの呼吸ではとても苦しく感じられました。忍者は鼻の通りがよほど良かったのか、この程度の運動で息が決して上がることのないように厳しい修行を重ねたものと想像します。

<参考文献>

1) 中島篤巳 訳注 「完本 万川集海」 (原本:藤林保武、「万川集海」延喜四年(904年) 国立国会図書館内閣文庫 蔵) 国書刊行会、東京、2015年

2) 黒井宏光 「忍者図鑑」 ベースボールマガジン社、東京、2011年

3) The historical ninjutsu research team. “Hattori Hanzo’s Ninpiden”. Wordclay, Bloomington, 2011.

図の説明:忍者は紙を口に挟んで鼻だけの呼吸法「無息忍」を練習したという。

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