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公益社団法人日本山岳会

第2回講演会報告 「私の山と学問と」 1979年6月

1979年(昭和54) 6月12日(火)
私学会館
(共催 集会委員会)

今西錦司(前会長)
参加者:約100名 報告:山410-1979/8


報告

 科学委員会の第二回の講演会として、去る6月12日の夕方、私学会館で、今西前会長をお招きして表題のようなお話を伺いました。 今西さんは、長期登山計画の実践でたいへんにお忙しく、JAC依頼の仕事はとび入りのため、開会1時間前に上京され、閉会直後に帰洛されました。 小一時間のお話のあとの質疑応答が佳境に入ったところで時間切れになって残念でしたが、100名に近い方々がお集リになり、なごやかなムードの楽しい会でした。 お話の内容はいずれ「山岳」にまとめる予定でおりますが、とりあえず、講演の要点をまとめて、お知らせいたします。

 私は、話は苦手だが、今日はJACの内々の集りだから、京都弁のまま浴着がけ杯一気分でお話したい、というお断りからはじまった。

 「山と学問と」というテーマはあまり考えたことがないが、私にとっては学問より山の方が先であった。一体何故山登りをはじめたかはさだかでないが、結局「生れつき」あるいは私は突然変異で山に行きだしたのだ、と思っている。
生物学への第一歩は三高時代からだが、生物学での有名な方法論争であった機械論か生気論かには興味がなく、私はむしろ全体論(ホーリズム)の立場をとってきた。
山登りをしていて、「山」とは一体何かと問うとき、頂上は山の顔のようなもので、だからやはり下から頂上までたどりつき、それによって山全体の持ち味を知る必要かあると思う。これは私が全体論信者であるからかもしれない。

 機械論は今日の科学一般の基本的方法とされているが、こうした還元主義あるいは分析法では“もの”のオリジンというものは解明できないのではないか。水をH2Oとしてとらえる方法はそれによって水の構造と機能を知ることができても、Hと○とが結びついて何故に水になるかという問題は解らない。
進化論はこのオリジンを解明しなければならないので、機械論ではだめだと考えてきた。

 先々月、梅棹さんたちの、「科学生産の技術」という会に呼ばれて話をした。そのときにに、私の方法論の基本は「直観」だと辻べた。
ここにいう直観とは洞察といってもよい、かなり神秘的な性質のものである。たとえば、薮山で二つの全く同じ状態の道の分岐点に出会ったときは、理性的判断は手が出ないだろう。そのとき直観的判断で、山頂へ通ずる道は右だと判ることがある。とはいえ、直観が常に正しい判断をするとはいえない。 経験で直観の失敗率をさげられるが、それは零になるものではない。 直観とは体全体で受けとめるものだろう。

 今日、人間はあまり理性にたよりすぎていると思う。私が直観を重視する理由の一つは、人類が理性を獲得したのは(言語能力の獲得)はここ十万年来のことといわれている。それ以前には何に頼っていたのか。おそらく直観に頼っていたにちがいない。最近、人間はしゃベりすぎの感がある。言葉の使用におぼれているのではないかと思う。 要するに自然を対象とする場合には、人間もある程度アホにになる必要かあるのでないかといいたい。いいかえれば、己を無にして自然に向う必要があると思う。 私の山登りの経験からもそういう場面があった。

 私の学問の基本理論に「すみわけ」というのがあるが、この「すみわけ」の発見は5年間も鴨川の石をひっくりかえしてカゲロウの幼虫の観察をつづけていたところ、ある日突然、「すみわけ」の発想が湧いた。カゲロウの一匹一匹がちがう事実から「種」(スペシース)とは一体なにかを考えつづけていたときだった。そうしたときヽ「すみわけ」によって種のあり方が理解できるようになった。そして種と個体との関係の表現の仕方について考え抜き、遂に 「種と個体とは二にして一のものである]という言い方になった。
これはあらゆる生物はその祖先からこの約束で存在しているということである。生物の起源は小数でなく、沢山の個体=種から出発した。そして、ヽもう一つ、私の進化論を要約すると、「全ての生物は変るべくして変った」という表現になる。

 私は人類の起源の究明を課題として、日本猿から類人猿の観察へという方法をやってきたが、結局はっきりしなかった。そして「人間の赤坊はどうして立つか」を問う方法に転換した。家内はこの問いに「赤坊は勝手に立つのよ」と答えた。ここに「変るべくして」という表現しかできないという考えになった。これまでの進化論の考え方、たとえばラマルクの要不要説とか、適者生存説などの理解の仕方には無理があると思う。人間は元来功利主義的思考をするものだが、この考えをぎゃくてんしてみなおしてみる必用があると主張したい。

 今西さんは山岳学というものを主張されていたが、今は、あえて山岳学の存在を主張しない、というお話だった。

(科学委員会)

山410 (1979/8月号)

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