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公益社団法人日本山岳会

講演会報告 「木曽御岳の噴火」 1979年11月

1979年(昭和54) 11月12日   

式正英(お茶の水大)
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報告

 昨年10月(1979年)は荒々しい自然現象がおきては、慌しく過ぎた。先ず上旬の7日頃、台風18号が西日本を通過し多量の雨をもたらした。それから2週間とたたぬ内に台風19号が本州の東寄りを足早に通り過ぎた。特に19日の雨風の物凄さは、東京では暫く忘れていた台風の脅威を思い起こすのに充分な程であった。それから9日目の28日、この日は10月の最後の日曜日であったが、「朝の6時50分、木曽御岳が突然の豪音と共に噴火した」というニュースが伝わって、皆が耳を疑った。

 灰色の噴煙は1000m上空まで噴きあがり、火山灰は東に飛び散って軽井沢から前橋にまでおよんだ。初めの内は噴火の規模と継続性についての予測がつかないままに、大地変につながるのではないかと底なしの不安も広がった。しかし2日目には灰色の噴煙は白煙に代り、3日目には噴煙も沈静の方向に向かい、2週間後には再噴火の気配は殆んど窺えない状態となった。噴火の規模はさほど烈しいものではなく、悲劇的な被害が生ずる結果にならなかったのは幸いであったが、御岳噴火のもたらしたショックとその意義にはすこぶる大きい物がある。

 御岳山には噴火の記録が全く無く、噴火予知の監視体制からはずされていたノーマークの火山であった。火山地形の特徴を持ちながら噴火記録のないものは死火山と定義されるものだが、4年ほど前に気象庁と火山噴火予知連絡会の人々が、御岳を活火山へとリストアップした。
この度の噴火の主火口になった地獄谷頂部の赤地獄が、唯一の噴気孔として常時硫黄臭のある水蒸気を噴き続けていたのが活火山に昇格できた主な理由である。活火山と認定しておいたのは、せめてものお手柄だけれども、噴火については「よもやあるまい」と思っていたのが、火山予知関係者の本音であろう。

御岳の頂稜部には一の池から五の池まで、南から北へとほぼ一線上にならぶ噴火口趾がみられるが、それが出来た時代については明確ではない。剣が峰溶岩を生じた一の池火口と継子岳の四の池火口がこれらの中で相対的に新しいものとされて来た。これまで御岳の火山噴出物層から採取された有機物について、放射性炭素による年代測定が行われ、最も新しくて一万年またはそれ以前という結果が出されている。この数字から「一万年の眠りから突然目覚め怒る御岳山」といった驚きが伝わったのである。

 噴火には強烈で破壊的な爆発から、比較的静かな溶岩流出など、様々なタイプと規模がある。この度の噴火は水蒸気爆発が主体であり、地下のマグマが新たに上昇してきた証拠になる、マグマに由来する物質は噴出物から検出されていない。火山灰や火山礫はすべて既存の山体がこわされて出来た物質と今のところは判定されている。その堆積量も火口周辺の山頂付近では最も厚い所で70cm、東麓の村々で数mm、軽井沢の峯の茶屋付近で痕跡程度である。

 水燕気爆発となると、10月に入ってからの豪雨が引き金になったとも考えられよう。 最近の阿蘇山の爆発も豪雨の後であった。 この場合は豪雨の影響で土砂が火口を塞ぎ、浸透した雨水が地下の熱源にふれ蒸気圧が極端にあがって爆発へつながった。箱根山の温泉の湧出量と降水の間にも密接な関係が知られている。これらのメカニズムは御岳噴火の場合も吟味に値する。

 熔岩流出や多量の噴出物を伴わなかった今回程度の噴火が、過去1万年間なかったかどうかについては既に疑問が投げかけられている。日本の火山で古文書に記録のある噴火で、6世紀をさかのぼるものはない。記録そのものが地方によって著しい差異もある。それにしても今から約1500年以前の噴火記録については全く空白なのである。
先史時代の遺跡を蔽う火山噴出物の例はあるのだが、今回山麓に降った火山灰の量程度では痕跡となっては残るまい。地獄谷頂部の火山趾は新鮮な点がもともと指摘されていた位だから、今回の程度の噴火は、記録のない期間に数回あったとする方が自然である。 
 
磐梯山の1888年の噴火の場合は、千年の沈静の後に、前日の軽い地震を前兆としただけの猛烈な水蒸気爆発であった。
御岳噴火の場合も殆んど前兆らしいものはなかったが、山頂から南に10キロの山麓の王滝村付近の、地下数km付近に震源をもつ群発地震が、昨年とその2年前に観測され、噴火後の11月にもおきている。噴火現象と周辺の地震とを直結して関連づけることは、どの場合にも通用することではないが、地下の何らかの異変を、この極地的地震が伝えていることには変りはない。

  豪雨の刺激だけが噴火につながる筈はなく、地下の熱エネルギーの分布に変化があった筈である。新しいマグマの上昇の証拠もないとなると、古いマグマが徐々に放熱していることに原因があることになる。御岳火山は高さ1500-2000mの山地の上に、重なった火山体であり、その地点は基盤の古生層岩石と石英斑岩の接する地質境界にあたっている。今回の噴火は南微東にならぶ十箇ばかりの小火口の列が示すように割れ目噴火であった。噴火前後の2枚のランドサット衛星映像を比較すると、噴火後は南北割れ目から派生し、これに直交して東に延びる割れ目が二条新たに観られた。 このような割れ目の方向性は、基盤の飛騨山地が降起しようとする造山運動に伴って生ずる断層線の卓越方向に平行している。 飛騨山地上に載る御岳乗鞍火山帯の諸火山の活動は、今回の噴火活動を含めて飛騨山地が生きている証拠に他ならない。

 アルピニズムよりは信仰登山の対象として古くから親しまれて来た御岳について深田久弥は 「日本百名山」の中で、不思議にも次の様な暗示的な言葉を書いている。 「この山は・・・大部分がアンカットの尨大な書物のようなものである。・・・どのぺ-ジを切っても、他のどの本にも書いてないことが見付かるだろう。そんな山である。」

         (科学委員会)

山416-1980/2

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