1983年(昭和58)11月25日(金)
山岳会ルーム
岡山俊雄(明治大)
参加者:13名 報告:山466(中村純二)
報告
―第19回科学研究委員会講演会―
「接峰面の研究と登山の思い出」
日時 昭和58年11月25日(金)午後6時半~9時
場所 日本山岳会ルーム
岡山俊雄氏は昭和56年度に「日本の山地地形の研究」により、第18回秩父宮記念学術賞を受賞された地理学者であり、同時に大正初期に藤島敏男氏らとともに上越や秩父の山を歩かれた古い会員でもある。
この日は明治大学での研究生活を通じ完成された手書きの80万分の1日本列島接峰面図(等高線は100メートル間隔)など持参され、フォッサマグナを境として、列島の弧に沿って走る二群の山地地形や、それに直交する山地の境目や地溝帯の幾つかをスライドも利用して説明された。
接峰面とは新しい火山を除く山山の頂を通過するゆるやかに波打つ曲面のことでドイツのアルブレヒト≒ヘンクの命名になる。これは谷を流れる水や氷雪による侵蝕が始まる以前の、また新しい火山が噴出する前の地形の原型を示すもので、これをみるとわが国では北上山地や阿武隅山地が定高性をもっていることや、南北アルプスも弧状の山地地形の延長上に位することなど、地形の大局をつかむことができる。そしてこのような山地地形は、現代のプレートテクトニクスからの結論とも一致し、さらに海溝もこれに平行して走っていることが明らかとなった。
日本海地震の震源地も実はこのような断層の一つの延長線上に位していて、図らずも接峰面の研究が海溝の位置を予言したような形となった。これからみると、遠い将来、伊豆半島、八丈島、小笠原を結ぶ火山帯が隆起して一大半島となる可能性も考えられる。
この日は米寿を過ぎてなお、お元気な会員番号284番の伴野清会員も出席され、大正初期の山の思い出話にも花が咲いた。そして学校山岳部創立当時の話や、木暮理太郎、武田久吉氏らの山行、あるいは槍、穂高初縦走の話なども出て興は尽きなかった。
出席者 伴野清、岡山俊雄、安江安宣、児玉茂、中村あや、松丸秀夫、高遠宏、高橋詢、小西奎二、斎藤桂、梅野淑子、千葉重美、中村純二
(中村純二)
山 466(1984/4月号)