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公益社団法人日本山岳会

気象観測報告会 「ナムチェバルワとマッキンリー」 1993年10月

◆気象観測報告会「ナムチェバルワとマッキンリー」
1993年(平成5) 10月16日 

山岳会ルーム

奥山 巌「BCの天気とその特徴」
飯田 肇「天気予測」
大蔵喜福「マッキンリーの気象観測」
参加者  報告:山583-1993/12(奥山巖)


報告

 10月16日(土)午後1時半から日本山岳会ルームにて、1992年9~10月にかけて行われ、10月30日、無事登頂に成功したナムチャバルワおよびマッキンリーの気象に関する報告会が開催された.

 まず奥山巌から`9月15日~11月5日までのBCの天気とその特徴を天気図を用いて解析した報告があった。 また登山期間が遅くて強風に悩まされ失敗した1991年と、今回の1992年の天気の違いも述べられた。

 結論は91年は10月1~15日にかけてモンスーンのぶり返しはあったが(雪崩遭難はその最後の悪天の直後であった)、それ以降は比較的天気はよかった。しかし92年は9~10月にかけて、モンスーンが終わったと思ったらまたぶり返し、いつ終わったのかもはっきりしなかった。いわば92年は季節の歩みが遅く、10月でもまだ夏の名残りが残っている状態だった。
また91年と92年の大きな違いは上層風の強さであった。91年を300hpa(ヘクトパスカル)の風で見ると、連日50ノット(25m/S)以上で最大110ノット。今回は10月22~26日のみはやや強かったが(最大75ノット)、他は極めて弱かった。

 90~92年の3年間を比べてみると、毎年ヒマラヤ方面の気象状況は大きく追っており、年のくせが大きい。
このことから前の年がこうだったから今年もこうだろうとは、とてもいえない。

 続いてBCにいる登山隊へ毎日の天気予測を出す立場の飯田肇隊員の報告があった。まず飯田氏はBC、C3に設置した気象測器の観測結果を報告した。次に、今回は特別に軌道気象衛星「ノア」(静止気象衛星)「ひまわり」の画像では、ヒマラヤは西端すぎてよく見えない)の受画装置も借用、BCに設置。1日4回受画したがそれが有効だったこと、また最初登頂予定だった10月中旬頃が連日悪天のため、次はいつ登頂できるかの長期予測に苦労した。その予測根拠は日本気象協会経由の気象庁予想天気図である。10月中旬以降は協会予測担当者のコメントを含めて毎日12~13枚もの資料をFAXで送ってもらった(日本気象協会には大変お世話になりました)。

また今回の天気の特徴として、普通の日変化(夜~朝は晴れているが、午後曇って夕方にわか雨)とは違って、日中晴れているが夜になると降水がある、夜間降水型がよく起こった。このため昼間は晴れていても、山の上のほうは前の夜かなりの積雪があって、いつ雪崩るかも知れないので行動できないことがあった。(天気図解析の結果、この型は上層前線帯停滞の場合と下層湿潤の場合の2つの原囚がありそうである)。

 最後に、大蔵喜福氏のマッキンリーの気象観測についての報告があった。
91年はデブリ峠へ設置した気象測器が強風と氷結のため支柱が倒壊、記録が前半しか取れなかった。92年は支柱の固定を頑丈に行った。しかし今回は支柱は大丈夫だったが、支柱につけたセンサーが飛ばされていた。

 風の記録によると、92年は9月12日午前9時~翌13日午前8時までに、平均20メートル以上の風か吹きその間断続ではあるが30メートル以上があり、また40メートル以上も5回記録していた。なお瞬間最大風速は45メートルであった。最大値は機器の構造上確実な値ではないので、さらに強い60メートルくらいの烈風も吹いたかもしれない。とにかくセンサーが止まった13日午前9時以後、かなりの烈風が吹いたことが予想される。なお気温は残っていた一つのセンサーの記録では、外気最低気温は零下51度、補正すると零下55度くらいであった(90年観測での最低は零下58.3度)

           (奥山 巌)

山583 (1993/12月号)

委員会

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