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公益社団法人日本山岳会

山登りに科学のこころを

-科学研究委員会の発足にあたって-

中村純二

日本山岳会の調査研究委員会の一分野として、今回表記の委員会が発足することになった。

 自然界は実に豊かな情報を持っており、またそれらの間には様々な法則が見られる。 このため私たちが山に出かける場合、その気になりさえすれば、いくらでも新しい事実や摂理を見出すことができる。 日本山岳会が博物同志会の延長として結成されたのも、科学と自然の間のこのような密接な関係のためであり、秩父宮記念学術賞が毎年山岳に関する科学的成果に対して贈られているのも、そのあらわれの一つであろう。

 しかし、日進月歩の科学の立場から言えば、単に遠征隊が未踏の地に出かけ、そこの石ころを拾って来る程度では、とても科学的な仕事をしたとはいえない。 十分な準備と覚悟をもって実行された往年のヘディンによる砂漠の探検や、ハイエルダールによる航海などは科学的成果が得られたと評価できようが、現時点において本格的な野外調査や観測を行なおうとすれば、それは、それぞれ専門の大学や研究所の仕事にならざるを得ない。 それにもかかわらず、科学委員会を山岳会の中に作る理由はどこにあるのだろうか。

 理由の第一は、登山に直接関係のある調査研究は、やはり登山者自身でやって行く以外方法がないという事実である。 雪氷学的な雪崩の研究はあっても、如何に雪崩の危険を予知し、合理的に行動するかという問題になると、当事者が気象予報や急稜な地形あるいは仲間の個人的状況まで考慮に入れた上で、総合的な判断を下さざるを得ない。 しかもこれら総合判断の中に多分に共通性が見られるとすれば、それは一種の山岳科学に他ならず、今後の遠征隊のためにも、これらの成果をぜひ集積し伝えて行くべきであろう。 これに類した活動は既に高所登山、医療、遭難対策、自然保護など各種調査研究委員会においても行なわれてきたが、私たちはより広い総合的な見地から、装備の改良、高層気象と長期予報との関係、あるいは博物的諸項目までとりあげ、山岳科学の特徴である安全登山の問題と取り組んで行きたいと考えている。

 理由の第二は、山行に対する充実感の問題である。 そこに山があリ、未踏のルートがあるから私たちは限りない情熱をもって山に出かけるのであって、科学的調査などやっている余裕などないというのも一つの考え方であるが、折角苦労して世界各地の秘境の数々に出かけ、言わば宝の山に入り込みながら、何の収穫もなく帰ってくるのでは如何にも勿体ない。 このような場合、隊員の誰かが気象に興味を持ち、あるいは地形や高山植物の簡単な知識を持っていて、何か意味のある観測なり観察なりを行なうとしたら、それは登山者にとって科学的な仕事というよりも、山行に対する充実感が味えるという点で、より意味があるのではなかろうか。 植村直己氏は今回北極海並びにグリーンランドの単独橇旅行を行なうにあたり、氷晶のレプリカを採集する義務を自らに課し、それを果して来られた。

 これらの試料は現在名古屋大学で解折中であるが、氏自身の告白によれば、このような義務は、行動中重荷というよりはむしろ精神的支えとなり、そのため白熊に襲われたような際にも旅行を続ける原動力が得られたということである。樹木や動物、水文等の趣味を科学的に掘り下げることは、自然観察の歓びを増すだけでなく、隊員あるいは隊自身の志気を向上させ、その精神の昂揚が、ひいては登山の安全につながる可能性さえあるのである。

 理由の第三は、真理を追究する歓びである。趣味としての博物学的興味をもう一歩掘り下げて、新種を発見したり、新しい現象を見つけたりすることが、人の心に如何に純粋な喜びをもたらしてくれるものか、言葉ではあらわせない程である。とかく外国では、日本の登山隊はただ山を汚すだけ、遭難を起こすだけといった風評が立っているようだが、科学的意欲に燃える登山者が外国に出かけて、現地における自然保護活動や、農林業に対するサジェスションなど行なうことになれば、これらの評価はたちまち反転するばかりでなく、登山者自身の満足感も増大して、一層山への意欲をかり立てることになるだろう。 このような成果も、私たちの心から望んでいる点である。

 ただし現在、当委員会は発足したばかりであって、とても会員からの科学的疑問に答えたり、遠征隊の要望に応じて適切な調査項目を提示したりする程の能力はない。差し当り啓蒙を目的としたわかりやすい講演会を開いたり、自然観察を目的とした山行を計画したり、登山装備の創意工夫についての討論会を開いたりすることから活動を始めたい。 そして、やがて会員諸兄姉の科学的成果に関するシンポジウムを開いたり、山岳科学ともいえる新しい科学の分野を開発して行くことができればと考えている。

 当委員会の運営について、既に集会委員会や婦人・青年懇談会などから協力の申し出をいただいているが、今回の発足を契機として会員の皆様からもいろいろ貴重な意見をいただきたいと思う。 そしてこのような会員各位の関心の高まりに支えられて、科学委員会の活動が今後、より充実した合理的な登山の実現に、少しでも寄与する所あればと、委員一同心から願っている次第である。

山407(1979/5月号)

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