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公益社団法人日本山岳会

研修山行報告 2024年3月 「嵐山史跡の博物館・菅谷館~大蔵館跡」

◆研修山行 「嵐山史跡博物館・菅谷館~大蔵館跡」

実施日: 2024年3月30日(土)

場 所: 埼玉県立嵐山史跡の博物館・菅谷館~ 鎌形八幡神社~ 班溪寺~ 大蔵館跡~ 旧鎌倉街道

目的の地域: 武蔵嵐山駅から出発し埼玉県立嵐山史跡の博物館で武蔵武士について学び、菅谷館で中世の城郭跡を探訪します。鎌形八幡神社は坂上田村麻呂が宇佐八幡宮を祀ったとの伝説を残し、木曽義仲の産湯清水があります。班溪寺は木曽義仲の長男・清水冠者源義高の生母である山吹姫の創建と伝えられています。大蔵館跡は鎌倉街道に接し、源為義の次男である源義賢の居城で、伝義賢の墓が近くにありあす。向徳寺は鎌倉時代の板石塔婆があり、鎌倉街道を辿って武蔵嵐山駅に戻ります。

参加者: 科学委員会の委員 8 名(平野、石田要、福岡、稲垣、町澤、大澤、木曽、松本敏)であった。

案 内: 松本科学委員会委員長

嵐山史跡の博物館・菅谷館~大蔵館跡

令和 5 年度の科学委員会・研修山行は、令和 6 年 3 月 30 日(土)、9:40~15;00、埼玉県立嵐山史跡の博物館・菅谷館~鎌形八幡神社~班溪寺~大蔵館跡~ 旧鎌倉街道のコースで開催された。参加者は科学委員会の委員 8 名であった。

令和 6 年 3 月は全国的に予想外の気温の低さで天候に恵まれず、桜の開花も例年よりも 1週間前後遅く、気象庁は東京都の桜(ソメイヨシノ)の開花を 3 月 29 日と発表したばかりであった。しかし、研修山行当日は、久しぶりに好天に恵まれ、ポカポカ陽気中、東武東上線・武蔵嵐山駅に 9 時 40 分に集合した。武蔵嵐山駅では改修工事が進行中で、今後は見違えるような駅前になると想像される。大きな嵐山町観光マップでこれから歩く埼玉県立嵐山史跡の博物館、菅谷館、鎌形八幡神社、大蔵館跡、旧鎌倉街道などの位置を確認する。この周辺の比企の山々、槻川や都幾川などはどの様にしてできたのか?など相変わらず話題に事欠かない状況であった。

埼玉県立嵐山史跡の博物館では、鎌倉時代初期に菅谷館の主であった鎧兜姿の畠山重忠公の等身大の人形に出迎えられ、国指定遺跡である比企城館群、板石塔婆群、大蔵館跡・平沢寺跡から出土した遺物類、男衾三郎絵詞に関するビデオなどを観賞し、菅谷館周辺の武蔵武士の活躍の歴史、信仰、文化、生活などを学ぶことができた。

その後、隣接する広大な菅谷館跡の郭・土塁・空堀などを巡り、樹木の害虫対策として伐採された木々の多さに驚き、僅かに花を開いたヤマザクラやオオシマザクラに癒されながら、廓の土塁の上に建っている畠山重忠公像などを見学した。

菅谷館跡から二瀬橋を渡り都幾川沿いの土手に植えられた長大な桜堤を鎌形八幡神社に向って進む。桜並木の中ほどで「嵐山町さくらまつり」が開催され、出店などが並んでいたが、大部分の桜(ソメイヨシノ)は残念ながら硬い蕾のままであった。

八幡橋を渡ると鎌形八幡神社の杜で、見事な彫刻で飾られた社殿や「木曾義仲産湯の清水」などを見学した。隣接する都幾川沿いの「歴史の里公園」で休憩となる。

班溪寺には朝日将軍として知られる木曽(源)義仲の顕彰碑があり、義仲の長男・清水冠者源義高の菩提を弔うために母である妙虎大姉(山吹姫)が班溪寺を建立したと記されている。その後、広大な畑や田の中を通り、木曽義仲の父である源義賢(源義朝の弟)の居館であった大蔵館跡、館跡に建てられた大蔵神社、稲荷神社、日吉神社を見学した。帰路は大蔵館跡の東側を通る旧鎌倉街道を下って都幾川を学校橋で渡り、武蔵嵐山駅に戻った。

季節が春から一気に真夏に突入したような気候のなか、畠山重忠や源義賢、その子の木曽(源)義仲、更にその子の清水冠者源義高と源氏三代の足跡をたどる研修山行は、鎌倉(武蔵)武士の典型的な生き様を実感できた山行であった。

 2024.03.31 松本敏夫記

大蔵館跡に

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