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公益社団法人日本山岳会

アーカイブ映画『カンチェンジュンガ縦走(1984年)』の上映とトーク会

当委員会で所蔵するアーカイブフィルム作品の中の「カンチェンジュンガ縦走(1984年)」を、去る2月19日にルームで45 分間上映した。

日本テレビにより制作されたこの作品は、日本山岳会80周年記念事業の一環として行なわれた31年前のヒマラヤ遠征の記録である。 解説を隊のチームリーダーとして活躍された重廣恒夫氏にお願いした。司会進行は、荒井真二資料映像委員長が務めた。出席者は、解説者のパワーポイントを使った分かりやすいプレゼンテーションで、数々のエピソードに聞き入った。 この時代のヒマラヤの高峰登山は、初登頂が次々と達成され、縦走登山が主流になっていた。すなわち極地法からアルパインスタイルへの移行期で、高所登山は両方のミックスも取り入れられた。

日本山岳会が1976年に、世界初のナンダ・デヴィ主峰(7816m)と東峰の縦走を成功させた実績により、そのときからの隊員たちの参加や経験が、カンチェンジュンガ(主峰8598m)の峰々の縦走に心強い原動力になるだろうと思った。計画は南峰、中央峰、主峰を3チームでそれぞれ登頂し、縦走隊のサポートのための荷上げを行なう計画を立てた。したがって、人数や物資も大規模になり、資金調達は困難を極め、ハンググライダー飛行の計画を加えることにより、読売グループからの後援で無事準備が整った。

登山はベースキャンプまでの長いキャラバンの末、若手を中心とした登攀隊員23名、ハイポーター35名、学術や報道隊員を含めると総勢77名の大所帯を、緻密な鹿野勝彦隊長が統括した。重廣チームリーダーは、前進基地に陣取り、ルート工作や各隊のハイポーターの配備、荷上げ計画の調整を行なった。

7800m地点からのハンググライダー飛行は世界で初めて。プロスキーヤーの只野直孝隊員が19分間飛び、無事成功させた。縦走隊2名(和田城志・三谷統一郎隊員)は、行く手の難関と戦いながら8500mライン3峰を世界初縦走した。頂上からのビデオカメラ撮影は、報道隊員に代わり南峰から中央峰を縦走した重廣隊員が行なった。極寒のなか、ビデオテープが凍らないように寝袋の中で抱いて寝た。

橋本龍太郎総隊長は、自身の忙しい日程にもかかわらずヘリコプターでBCへ飛び、隊員を励ました。また、報道隊員の岩下莞爾ディレクターと中村進カメラマンは、日本山岳会が1988年に行なったチョモランマ/サガルマータ日本・中国・ネパール三国友好登山で、頂上8848mから360度パノラマ実況中継を成功させたが、そこへ行く前の前哨戦になった

今回は、テレビクルーとして参加していた。多くの優れたドキュメンタリー作品を制作した岩下名ディレクターは、次のような言葉を後輩たちに残している。

あるがままに撮ろう。あるがままに語ろう。在るものはあると言おう。無いものはないと言おう。無いものは在ると言ってはいけない。在るものを無いと言ってはいけない。もう一度あるがままに伝えよう 。

映画会の会場には、懐かしい小原俊隊員と、中央峰に登頂した大谷亮隊員も出席していた。上映終了後、参加者と重廣氏と語らう時間もあり有意義な時間であった。【詳細報告は『山岳』1985年「カンチェンジュンガ縦走」と会報『山』2006年8月号(№735号)「日本山岳会におけるヒマラヤ登山連鎖の軌跡(1)」を参照】(溝口洋三)

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