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公益社団法人日本山岳会

会長挨拶

  古野 淳(Furuno, Kiyoshi )

   (公益社団法人 日本山岳会 会長)

1905年(明治38年)創立の公益社団法人日本山岳会 (“The Japanese Alpine Club” 以下略して「JAC」)は日本最古の山岳会です。世界で最も歴史ある英国山岳会 (“The Alpine Club”) に遅れること49年、小島烏水(こじまうすい)等7人の発起人によって「山岳會」が発足しました。明治の自然を愛する文化人たちが多くの賛同者を募り日本山岳会の活動が始まりました。そして英国山岳会の “The Alpine Journal” に倣い、1906年(明治39年)に機関雑誌「山岳」を発行。「山岳第一年第一号」には「山岳會設立の趣旨書」が書かれ、世の中にアピールされました。創立から115年を経ても当時の理想とアルピニズムは脈々と受け継がれ、「山岳」の発行は113号(2018年)を数えます。

出版事業はJACの大きな柱のひとつで、「山岳」の他、会報「山」 の定期刊行物が発行されています。(登山ハンドブック「山日記」(1930-1989)は、登山の多様化とともに歴史的役割を終え、現在は山と渓谷社「山の便利帳」が担っています。)英文ジャーナルの「Japanese Alpine News」(2001-2015)は中村保名誉会員編集の ”Asian Alpine E News” WEB版へと移行。国際的評価の高い国内唯一の英文定期刊行物です。その他たいへん多くの書籍がJACまたは山岳図書専門社より出版されています。JACの出版事業は、山岳文化の研究と山岳情報を脈々と発信し続けてきた国民的事業を担っていることを自負いたします。

戦争の学徒動員で山岳部の学生たちもたくさん犠牲になりました。虎ノ門にあった事務所も焼失し、多くの蔵書も失いました。戦後混乱の中、松方三郎、槇有恒、今西錦司らが中心となりヒマラヤ委員会が発足。1956年(昭和31年)、世界に14座しかない8,000メートル峰のひとつ、ネパール・マナスル峰(8,163m)の初登頂に成功しました。地球上の空白部分を埋める「パイオニアワーク」は戦後復興のシンボルとして日本人の希望を体現させた国家的事業でもありました。その後に続く数々の海外遠征は、高度に進化していった世界のアルピニズムに果敢に挑戦した歴史でもあります。

JACは貴重な山岳図書を保有・管理する図書室をを有しています。文献だけでなく、絵画やフィルム、文化的価値の高い物品など、貴重な資料は日本の財産ともいえます。しかしながらJACの一番の財産は、本部および全国33支部で活動する4,770名の会員と215名の準会員です。山にかかわるさまざまな分野で活躍する会員同士が自由な雰囲気のなかで登山を楽しみ、交流し、山岳事業活動や山岳文化、自然保護活動を楽しんでいます。本部は全体の運営を担っていますが、その他、それぞれの目的に沿った事業や文化活動を担当する委員会26の同好会があります。

YOUTH CLUBは学生部・青年部・ワンダーフォーゲル部の3部で構成され、次世代のJACを担う人材を育成しております。国内登山はもとより海外の高峰を若い力だけで達成ができるように物心ともにサポートしています。

秩父宮記念山岳賞は、登山部門と学術部門とに分かれ、世界的に評価される難度の高い登山や、国内外の山岳文化研究、山の科学技術研究等の業績に対して個人または団体を表彰し、年次晩餐会で発表します。山岳活動支援としては、海外登山助成制度雪山天気予報が公益事業として、会員以外の登山者たちにも活用されています。

上高地山岳研究所(以下略して「山研」)は、中部山岳国立公園特別保護地区に位置し、厳しい保護規制の中で、ミニ水力発電や気象観測を行い、自然探査や登山活動に活用されています。初代「神河内山荘」は現在と同じ場所に1961年(昭和36年)、案内人組合の小屋を譲り受け改修して使用しました。2代目「山研」は1972年(昭和47年)建設、1993年(平成5年)に3代目が建設され現在に至ります。

JACは自然保護運動の先駆けであり、創立当初より活動を行ってきました。小島烏水が1913年(大正2年)に書いた「上高地風景保護論」で上高地の森林伐採に抗議。これが最初の自然保護運動と思われます。また、南方熊楠がJAC会員の柳田国男にあてた「神社合祀令」による鎮守の森や山林の乱伐を糾弾する「祖国山川森林の荒廃」の書簡を送り「山岳」に掲載。権力との闘争を続け、1918年(大正7年)にこの法令は廃止となりました。「尾瀬ヶ原水力発電ダム計画」が発表されると、尾瀬の植物に詳しい武田久吉(アーネスト・サトウの次男)他多くのJAC会員が自然破壊の抗議活動に参加し1949年(昭和24年)「尾瀬保存期成同盟」が発足。翌年、開発計画は中止となりました。このとき国会等に提出した請願文にはじめて「自然保護」という考え方が活字となりました。そして1951年(昭和26年)「日本自然保護協会」が発足し、武田久吉は初代理事となりました。西穂高~上高地ロープウェー建設、上高地スカイライン道路計画、鳥海山スキー場開発計画等から自然を守った活動は、JACの精神そのもので、1964年(昭和39年)JAC自然保護委員会が発足し、全国集会、「木の芽草の芽」の発行、現地視察山行、自然観察会、講演会などを実施しています。

JACの活動は、創立以来すべてボランティア精神で成り立っており、その山岳活動の業績が公益事業として社会的に評価され、2012年(平成24年)に公益社団法人日本山岳会となりました。会の運営は、会費、入会金寄附でほとんどを賄っています。115年間、積み上げてきた山岳文化の財産は膨大なものですが、その創立以来の精神を学んで、現代の登山環境に合わせながら少しずつ変化させ、新しい時代の登山文化創造と充実したクラブライフの環境づくりに努力して参ります。2025年(令和7年)には創立120周年を迎えます。すべての会員にとって魅力あるコンテンツを全国の仲間と共に協力して山岳文化の一大作品を作り上げていきたいと思います。

皆様のご支援をよろしくお願いいたします。

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