2022.7.3 吉ケ平荘前に集合し越後支部会員他23名で八十里越を踏査しました。
番屋乗越にて
八十里越は、治承4年(1,180年)高倉宮(たかくらのみや)衣(もち)仁王(ひとおう)が会津から越後に逃れたとの伝説に始まる、旧下田村吉ヶ平(現三条市)から福島県南会津郡入叶津を結ぶ街道です。
古道(江戸時代に使用し、幕末長岡藩一行が越えた旧八十里越)、中道(明治14年~27年)、新道(明治28年)と変遷し、現在は新道(一部古道)が残っています。
八十里越は六十里越と並んで、古くから越後と会津を結ぶ生活の道であり、歴史の道でした。八十里越の名称は、道が難を極め、一里を平地の十里に例えたとされており、峠越えの道がどれ程険しかったが伺えます。越後からは塩・魚類等を、会津からは繊維原料・人足等、また文化交流の道として明治末期まで往来してきました。総計距離は32km、休憩を含まず約10時間の行程でした。
途中で道刈の5名*2組の10名の方とすれ違い、大難儀な仕事を目撃しました。途中倒木の中のスズメバチに襲われ1名が刺されましたが、同行した看護士の適切な処置で切り抜けました。行動記録は八十里越をご覧ください。
井口 光利記