越後支部とは
越後支部とは、1946年(昭和21年)に高頭仁兵衛翁を顧問に迎え、藤島玄(1904~1988)初代支部長らにより設立された。
明治の近代登山の黎明期に、日本山岳会創設メンバーであり二代会長となった高頭仁兵衛翁の存在は大きい。毎年7月25日に弥彦山大平園地で、高頭翁の遺徳を偲び登山文化の継承を誓って「高頭祭」が盛大に開催されている。令和5年度で66回となる歴史のある碑前祭である。続いて、弥彦山で行われる「たいまつ登山祭」も雨乞い神事を参考にしたもので、弥彦灯篭祭りと協賛し幻想的で勇壮なセレモニーとなっている。山の文化として大切に引き継ぎたいと思う。
藤島初代支部長以来、越後支部では「越後の山々」に対する想いが熱い。支部機関紙『越後山岳』は、最新版第14号(令和4年10月発行)の特集は「越後の山の先人」だった。この『越後山岳』は、ほぼ5年周期の発行だが、創刊以来「越後と隣接する地域の山岳研究」を基本とする姿勢にもあらわれている。『越後山岳』第6号(昭和44年9月発行)「越後の国境踏査報告書」は、全長687㎞の国境踏査とその記録であり、越後支部の力量を示した偉業であった。あらためて、誇るべき先輩の歴史にまなびたいと思う。ちなみに、その伝統を継承して第15号は「越後の山岳古道と峠」(仮称)特集を構想し、すでに古道調査を開始している。
歴史を重視し、魅力ある越後支部に向けて様々な取り組みと企画を検討している。組織的には高齢化が進行している中で、役員の若返り、YOUTH委員会と連携したクラブ行事への参加促進、リーダー養成。山行は、山行委員会、スノートレッキング・アルパインスキー・フォトスケッチ同好会、古道調査プロジェクトなどによる企画増。公益事業として、弥彦山周辺のフランスギクや妙高・笹ヶ峰周辺のオオハンゴウソウ除去など自然保護活動の強化。高頭仁兵衛翁の母校・深沢小学校の弥彦山登山支援、郷土の偉人講演会。公募登山の再開(平日トレッキング)、自然観察会、山岳講演会、山岳写真展、山岳古道案内なども検討している。
あなたも一緒に「越後」流の山登りを楽しみませんか。
支部長 後藤正弘