越後支部とは
越後支部とは、1946年(昭和21年)に高頭仁兵衛翁を顧問に迎え、藤島玄(1904~1988)初代支部長らにより設立されました。現在越後支部会員は170余名で構成されており、海外の山々へ挑戦する探検的登山、本格的なアルピニズムや積雪期登山を求める上級者登山、健康や精神的リフレッシュするための里山歩き、高山植物や四季折々の山野草などを楽しむ自然観察山行など、自然を愛し山を楽しむ広範囲な人材が、各々の趣味趣向のもとで登山や自然保護の支部活動を実施しています。
越後の地理的特徴は、県北村上地域から県西糸魚川まで日本海に面した海沿い約300kmの海岸線、山形県~福島県~群馬県~長野県~富山県との県境の山沿い約350kmの山脈があり、さらに佐渡島の海岸線と山脈を加えれば、総延長1、000kmにも及びます。冬の真っ白な銀世界と一瞬の晴天、春の雪解け芽吹きと眩い新緑、夏の残雪下で一斉開花する色鮮やかな高山植物、秋に映える紅・黄・緑葉の三段色彩景など、大自然が織りなす四季情景が豊かな山々です。
『日本百名山』の著者深田久弥氏は、越後の山々を何度も訪れて越後の岳人との付き合った印象について、越後の山で育った岳人達の気質を「越後衆の鈍と根」と称しました。この意味は、途方もない事を思いつく力と本気になってやり抜く力の心意気を持っていると、越後の山ヤたちの諦めない粘り強さを評価しました。越後の山々の地理的特徴から、藪を漕ぎ分け、沢をへつり、雪山をラッセルする醍醐味に登山の原点を見出して来ました。そして日本山岳会の精神である「未知なる山への挑戦と探検的な登山」実践しながら、大自然に融和と協調しながら持続的な活動を続けております。
支部機関紙『越後山岳』や情報誌『越後支部報』の発行、登山に関するセミナーや講演会を企画し、公募登山を含めた登山啓蒙などで社会的な貢献を多岐に進めて来ております。
支部長挨拶 桐生恒治
越後支部は、公益法人化を契機に支部事業の多角化を実践して来ました。公益事業では、年間数回の公募登山で初心者の登山体験引率、2016年に制定された国民の祝日全国「山の日」記念の事前事業で、日本の近代登山を担った高頭仁兵衛翁の功績をしのぶ高頭祭を弥彦山大平園地で主催、その後清掃登山や弥彦山たいまつ登山への協力を行っています。更に8月11日の記念日に糸魚川ジオパーク子ども登山教室を開催し、将来を担う子供たちに「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」気持を育む啓蒙登山も実施しています。共益事業では、支部会員山行や平日トレッキング、スノートレッキングやフォト・スケッチの同好会計画を含め、会員同士の繋がりと交流を大切にして、自由で平等な雰囲気で社交的なクラブライフを楽しむことを目指しています。
毎年7月25日の高頭祭と弥彦山たいまつ登山祭は、日本山岳会重鎮を迎えて盛大に行う伝統行事です。5月第4土・日の支部総会と親睦山行は、上・中・下越と会津地域の持ち回りで実施、12月第2土に記念講演会や支部年次晩餐会等を継続的に開催しています。このような越後支部の良き伝統を継続し、発展させてゆく「温故知新」をモットーにした活動を進めていますが、今後は「温故創新」とする新時代に向けてワクワク感のある登山や行事などを支部活動に取り入れたいと思っています。
日本の登山人口は、800万人~1,000万人と言われていますが、山岳会やサークルに所属している人数は1%程です。単独登山の良さもありますが、多くの仲間とチームワークを組む登山は、夢も広がり人生の盟友と出会う事が出来ます。
日本山岳会越後支部は、いろいろな登山価値観を持った山仲間がおり、新しいメンバーとの出会いがあります。組織の継続的活動には、いつの時代でも常に新陳代謝が必要で、越後支部の次世代を担う若手会員の勧誘・加入・育成のため、YOUTH委員会の実力会員が若手会員の登山計画や技術指導の相談に乗るシステムを構築しております。また、日本山岳会本部YOUTH Clubからも協力と支援を受けており、地元の山々の軽登山から日本全国の名山へ、岩登りや沢登り、雪山へとステップアップし、さらには海外登山への挑戦も可能です。
山を志向する仲間として、日本山岳会のクラブライフを楽しむ仲間として、一緒に活動する仲間として迎えたいと思いますので、ぜひ越後支部の門をたたいて下さい。