日本山岳会では、2025年の創立120周年記念事業として山岳古道調査全国から120選んで調査することとなった。越後支部ではその調査に参加するとともに、全国版に選考されない古道についても支部80周年記念として調査することとした。
今回調査した「桜峠」は、新潟・山形の県境に位置し、隣接した米沢街道十三峠・「大里峠」のような目立った歴史的背景は少ない。
峠が開かれた年代も不明であるが、峠を結ぶ山形県小国町玉川集落と新潟県関川村金丸集落の歴史は古く、昔から産業や生活道路として昭和の後半頃まで利用されていた。住民の話によると、戊辰戦争時官軍が通ったとの言い伝えがある。
また、桜峠の名称は全国各地にありいずれもヤマザクラの名所となっているが、今回調査した峠では頂上付近に数本目にした程度であった。
このような背景から峠踏査の興味ポイントを地形・地質に精通した地元関川村山の会会員の稲葉充氏に解説をお願いした。
参加者からは春の薫風も相まって今までにない山旅の形で峠踏査を楽しんだとのお声をいただいている。
5月20日(土)事前に峠の出口である山形県小国町玉川集落に車をデポし、参加者12名は10時に関川村道の駅に集合し乗り合わせて出発した。好天に恵まれ幸先の良い出足となる。峠入口の旧金丸小学校で稲葉氏から周辺の地形・地質について一通り説明を受けた後林道から峠を目指して出発。
旧金丸小学校校舎 稲葉氏の地形/地質解説
手入れの行き届いた用水路脇を進み、小さい沢を数か所渡渉してピンポイントで解説を受けながら峠に12時55分着。
藪をかき分け、熊の爪痕を見ながらの踏査でした。
桜峠の「山」の標石 峠手前の一里塚?
良く整備された鉄塔下で昼食をとり13時50分出発。山道からすぐに林道が現れ玉川集落に14時20分到着した。
関川村までの帰り道に金丸の荒川渓谷にある「さざれ石」を見学し、圧倒的規模のさざれ石を眼前にして参加された皆様は感激の様相であった。
点検に余念の無い平田大六氏。
峠入口の金丸集落は縄文中期の石器・土器が多数出土し、4~5千年前から人々が定住していた。慶長2年(1597年)越後国絵図にみられ、近世はじめ村上藩領、幕府領、会津藩領と変遷し、明治18年(1885年)米沢街道改修に伴い、道路が集落を通過するようになって活況を呈した。山形側の玉川集落は国境警備の村として、また米沢街道の難所大里峠の「峠の村」として越後との交通、物資の輸送上重要な宿場町として栄えた。
今回の桜峠踏査にあたり、事前に車をデポや乗り合わせ、軌跡、写真など参加された皆様からいろいろとご支援いただいた。また、地元精通者の稲葉充さん夫婦には下見、藪刈り、資料作り、解説など全面的にご協力いただいた。感謝申し上げたい。
渡邊 忠次 記