越後支部80周年記念事業山岳古道調査
清水峠(1448m)を歩きました‼
〇期日 令和5年9月23日(土)
〇参加者 CL松井潤次、SL小野塚明彦、井口光利、井口礼子 4名
〇地図 国土地理院1/25000 巻機山・茂倉岳
中越地区では調査対象とした「清水峠」を歩いた。上越国境に位置する清水峠は標高1000m以上で県内では森林限界を越える稀な峠である。越後と江戸を最短で結ぶ峠道、清水越えは上杉謙信の関東出陣の軍用路として、また交易の道として幾度も切り開かれた国境越えの道であった。大規模に開削された工事として、明治18年に開通した清水街道は国道8号線(現291号線)として大きな期待を背負っていたが、相次ぐ雪害で1年足らずで通行休止となってしまった。その後、兎平経由で清水街道に合流する井坪坂ルートが個人経営で開通したが、信越線が開通後、衰退していった。昭和に国道291号線に認定されたが、清水越えは幻の区間である。現在、清水峠へのルートは十五里尾根コースと井坪坂コースの2本が登山道として歩くことができる。今回、2本のルートで周回することとした。
国道291号線を清水集落へ向かい、バス停を過ぎてさらに進むと涸沢川分岐に工事用ゲートが設置され、その先一般車両は通行止めとなる。ここが現在、峠への登山口となり路肩に4~5台が駐車可能である。早朝6時に集合したが、すでに釣り人が入渓するところであった。4名揃ったところで、6時30分に曇り空の中出発。登川右岸に付けられた舗装道路を歩きだす。途中の湧水で喉を潤し、1時間ほどで追分に着く。以前はここまで車で入れたが残念だ。
前方の十五里尾根上には鉄塔が見える。右側の道路を進み砂防ダムを一つ越え登川の橋を渡ると丸ノ沢出合だ。大源太山と七ッ小屋山の鞍部に突き上げる丸ノ沢は最も古い峠道といわれるが、砂防堰堤が二基建設され全く痕跡はみられない。出合からは大源太山東面が圧巻なのであるが視界不良で望めなかった。丸ノ沢を右に見て謙信尾根ともいわれる十五里尾根に取り付く。所々ロープが付けられた急登から始まるが、つづら折りのブナ林の中を登ると、1時間ほどで最初の鉄塔に合流する。雨模様となり視界は数十メートルになってしまった。巡視路として刈り払われた道を順調に高度を上げ傾斜も緩くなって5番目の鉄塔を過ぎると低灌木と笹原となり、視界も一気に開けるところであるが、降雨とガスで展望が効かない。
峠とほぼ同じ高さまで登ると分岐となって登川本谷側の斜面をトラバースするが、ガレた箇所もあり足場も悪く通過に40分を要し国境稜線に辿り着いた。
三角屋根の大きなJR送電線監視小屋が視界に入る。10時40分清水峠に到着。谷川連峰をはじめとする展望は全く効かず残念である。峠にある白崩避難小屋に入って昼食とする。
小さな鳥居と祠に礼拝して11時20分下山開始。勾配の緩い旧国道の広い道を下ると1400m付近で井坪坂ルートとの分岐となる。分岐点に案内板があるが朽ちていて全文は読み取れない。少し分け入ってみたが、藪化していて先は見えなかった。分岐から左に折れジグザグに井坪坂を下るが足元は良く歩き易い。
水量のある登川本谷を飛び石伝いに渡渉し、釜滝がみられるナル水沢を渡り本谷の右岸を行くと兎平だ。宿泊茶屋が3軒あったらしいが痕跡はない。ここから送電線と並行に15分ほど下ると檜倉沢の大堰堤におりる。沢を渡り対岸の舗装道路を歩いてゲートに14時50分に到着した。
天候に恵まれず、街道の遺構や道跡も見ることができなかった。厳しい自然条件のなかでも当時、往来した人々の苦労を偲ぶことができた。
(コースタイム)
清水ゲート6:30 → 7:30追分 → 7:50十五里尾根取り付き → 8:20ブナ大木 → 8:50一番目鉄塔 → 9:50五番目鉄塔 → 10:10分岐トラバース → 10:40清水峠11:20 → 11:50井坪坂分岐 →13:10兎平 → 13:30檜倉沢堰堤 → 14:20追分 → 14:50清水ゲート 約8時間
松井 記