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公益社団法人日本山岳会

六左衛門道を歩く‼

六左衛門道を歩く‼
独力で23年かけて拓いた謎多き湯道

鉢山と杉山(2023年10月22日撮影)

小谷馬道開鑿者・早川製炭業始祖 六左衛門翁碑

 糸魚川市砂場の園田六左衛門翁(1812年-1891年)は、幕末から明治に生きた人である。六左衛門翁は、村人たちに「小谷温泉への湯道を拓けば、湯治や炭焼きの利便が図られる」と熱心に協力を求めたが、困難な事業だけに賛成は得られなかった。
 止むを得ず独力により牛一頭を連れ、農閑期や暇を見つけては地道に道を拓き、とうとう23年の歳月をかけて完成させた。その後、湯道や炭焼き道として利用が多くなり地域産業の発展に寄与したという。
 昔、六左衛門翁を嘲笑していた村人も、没後21年を経た大正11年(1922年)生家から近くの道上に「小谷馬道開鑿者・早川製炭業始祖 六左衛門翁碑」を建立してその遺徳を讃えている。平成6年(1994年)六左衛門翁の末裔・園田寅政氏宅から「六左衛門翁建碑」の式辞が見つかった。そこには開鑿の労苦や自然豊かな早川谷の賛辞、翁への感謝と賛辞が述べられている。

六左衛門道入口

10月15日(日)午前5時30分上早川農村公園に参加者5名が集合、あいにくの雨模様で天気をみながら調査を開始する。
砂場の「六左衛門翁碑」を見学していると、偶然に堀口栄作氏(砂場区長)にお会いして、六左衛門翁の生家跡に案内してもらった。ススキなどの草が生い茂り荒れ果てていた。善正寺跡に車を駐車して「道標」を目指す。
広田の田圃近くに大岩があり、この前に車が数台停められる駐車スペースがある。大山林道ハイキングではここを利用することが多い。

「右ハゆみち 左ハやまみち」の標柱

 通称この辺りを「山口」と呼ぶ。ここから5分ほど林道を歩くと大山用水の右上に「右ハゆみち、左ハやまみち」の石の道標がある。きれいに周辺が草刈りされていた。古道はここから烏帽子岳と前烏帽子岳の鞍部に抜けていたが、炭焼きが衰退した昭和40年代頃から手入れに入らなくなった。
吉尾平まで大山林道を歩いて六左衛門道に入る。悪路だった林道も整備され普通車でも走行可能となっていた。吉尾平に近づくと、昼闇山や鉢山、阿弥陀山、烏帽子岳が曇天のなかに見えてくる。吉尾平水芭蕉公園は、春にミズバショウやザゼンソウが美しい湿地帯だが、紅葉前でまだ鮮やかさをなかった。

赤矢印は杉山の位置、左の山は鉢山  左 阿弥陀山、右 烏帽子岳

六左衛門アブキ

 ほどなく六左衛門道入口となり、ブナの尾根を登り、牛と寝起きしたと伝えられる「六左衛門アブキ」に到着する。古道はここから烏帽子岳と前烏帽子岳鞍部につながっていたという。数本の沢を渡り分岐へでて今回はここで終了とした。杉山までは、あと1時間10分ほどである。

 ブナ林               山道は続く

 翌週の10月22日(日)前日に降雪があったが、奥の杉山まで再度調査を行った。

奥の杉山から阿弥陀山と前烏帽子岳(右の小さい山) (2023年10月22日撮影)

【参考タイム】
砂場・善正寺跡―(1時間)―道標―(1時間30分)―吉尾平―(10分)―六左衛門道入口―(1時間30分)―分岐―(30分)―吉尾平―(2時間30分)―砂場・善正寺跡

【建碑式辞】

報告 後藤正弘

支部

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