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公益社団法人日本山岳会

越後支部80周年記念事業・山岳古道調査『石峠旧街道』

越後支部80周年記念事業・山岳古道調査
『石峠旧街道』

○期 日:令和7年6月19日(木)
○参加者:CL 井口光利・SL 松井潤次・諏訪惠一・宮崎幸司・渡辺 茂・
和田 守・井口礼子 
計7名
○地 図:国土地理院地図 1/25,000「栃堀」「穴沢」
○コースタイム
石峠街道貫木(つなぎ)口9:25⇒旧国道交差9:40⇒高圧線鉄塔管理道入口9:50
市町村界尾根10:30⇒石峠城址10:35~10:45⇒大石11:00~11:45⇒水場11:50
⇒ため池12:00⇒松尾口12:15 (歩行時間2時間30分 歩行距離3.2km)

貫木口

 昨年6月13日石峠旧街道を長岡市(旧栃尾市)松尾口より入山し、石峠城址迄登ったが、その先魚沼市側は藪で通行不可の為、ここから往路を引き返した。その後、魚沼市の皆さんが藪を刈払いし、全線通行可能になったとの情報を得、資料を集め、今回改めて全線踏査を計画した。
 地形図には石峠を越える街道は①明治維新前の旧街道(古道) ②現国道290号の真上を通る峠越えの旧国道 ③石峠トンネル開通(1992年)による現国道290号の3本がある。
 明治維新前の旧街道(古道)は、旧守門村高倉(現魚沼市)から旧栃尾市に通ずる重要な街道であった。いつの時代に開かれたかは判明できないが、会津と長岡を結ぶ重要な路線であったことから古い歴史を持っていると言われている。また伝説も多くあり、『石峠』と呼ぶ要因となった大きな石が峠の頂上付近にあり、その大きなくぼみは、麓の栗山沢地区に源義経主従が奥州に逃れるため、石峠を通った際、弁慶が足跡を付けたと伝わっている。また中世戦国期から近世初期にかけて堀之内の下倉城と栃尾城を結ぶ線として軍事上の要路でもあった。
 6月19日8時50分『とちお道の駅』に集合し、下山口の松尾集落の登山口に車2台を残置し、今回の登山口である国道290号石峠トンネルの先にあるスノーシェード手前左にある、『石峠街道貫木口』と書かれた標柱のある広場に車を止め、踏査を開始した。
 所々崩落の後があるが15分程で旧国道にでる。そこを横断し旧街道に入る。旧街道は幅員2m程で一部ぬかるみがあるが、落葉が堆積し歩きやすい。

無残な標柱

 今朝方通ったであろう熊の足跡がはっきりの残っており、持参の笛や防犯ブザーを鳴らしながら進む。新しく建てられた案内標柱のほとんどが熊の攻撃対象となり、見るも無残になっていた。
 周囲はブナの二次林だが直射日光を遮り、樹間からの涼風が、汗ばんだ肌に心地よい。対岸には、右から権現堂山、魚沼三山、荒沢岳、檜岳、毛猛山、鬼が面山、浅草岳、守門山塊と、山座同定に夢中になる場面も。

旧街道 ①

旧街道 ②

旧街道 ③

毛猛山塊

石峠城址

 出発しておおよそ1時間、長岡市と魚沼市の境界の痩せ尾根に到着。ここからが新しく切り開かれたところだ。
 左にトラバース気味に回り込むと石峠城址だ。文献によれば周囲に遺構が確認できると記載されているが、素人にはよくわからない。

 ここから,長岡市(旧栃尾市)側に下山開始。10分程で大石(標高511m)着。視界が開け、大石の周りはきれいに刈払われ、またブナの大木の下は心地よい風が吹き抜けており、北には桑代山・栃堀薬師・守門岳。西には長岡東山連峰の南蛮山・鋸山から鬼倉山・五百山そして大平山への稜線が目の前に広がる。ここで昼食とした。

大 石 ①

大 石 ②

  大石からは旧街道は重機で道幅を拡げてあるが急傾斜で赤土がむき出しの為、雨上がりは滑りそうだ。
下ってすぐ『長寿の泉』と記された標柱があり、左に10m程の所に湧き水がある。少し下ると、ジュンサイが生えているため池があり、これを用水としている棚田が始まる。そのまま農道を下ると車を残置しておいた松尾口である。

松尾口

 これで石峠旧街道踏査は完了したが、時間があるので、300m程下ったところに建つ、 松尾城址の標柱から松尾城址に登り、国道290号の通る栗山沢集落に下った。

松尾城址入口

(井口 光利記)

支部

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