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公益社団法人日本山岳会

2024.9.26 山城クラブ④「観音寺城」(+「安土城」)

2024.9.26(木)天候:晴れ

参加者:森田・濱野・曽我

コースタイム:7:00HHF駐車場⇒9:15~10:00安土城考古博物館⇒10:40楽市楽座駐車場⇒観音正寺⇒12:00~12:30繖山(きぬがさやま)山頂433m(昼食)⇒伝本丸跡⇒伝平井丸⇒伝池田丸⇒大石垣⇒伝御屋形⇒13:50楽市楽座⇒14:15安土城駐車場⇒天守台跡(安土山198m)摠見寺三重塔・二王門⇒15:30安土城駐車場⇒17:00HHF駐車場

総高低差:546m、歩行距離6.4㎞

感想:朝夕やや涼しくなったとはいえ、相変わらず残暑が続いている。今日も一日晴れの予報で、真夏の低山ハイクスタイルで出かけた。まずは現地の情報を得ようと安土城考古博物館へ向かう。さすがに夏休みが終わり、平日なので入館者はいない。観音寺城も含めたこの地方の歴史博物館には縄文土器から近世までの発掘物が並ぶ。安土城と観音寺城の大きなジオラマまで展示されている。ほかに来館者がいないので、親切な館員の方が観音寺城までの案内図、駐車場などを教示してくれた。

観音寺城は近江守護。佐々木六角氏の居城で東山道を眼下に見下ろす位置にあります。もともとあった聖徳太師を祀る観音寺(現在は観音正寺)にこもって戦うことが多く、のちに石垣で補強して自らの居城としたといわれています。この山は繖(きぬがさ)山と呼ばれ、寺はその中腹にあります。寺を取り囲むように石垣で囲まれた〇〇丸と呼ばれる砦兼屋敷があったようで、その中心に本丸の跡があります。狭い山頂には三等三角点がありますが、城跡はありません。築城は1336年(建武3年)と古く南北朝時代とされています。戦国時代の初期、1528年ごろから石垣作りが行われており、古い段階での石垣(野面積み)の城といわれ、山中のあちこちで石段と石垣を見ることができます。1568年織田信長の上洛の時に抵抗して落城しています。

登城は楽市楽座の始まりともされている石寺集落の楽市楽座という商店の有料駐車場からスタートします。おそらく観音寺の門前町であった石寺集落からまっすぐ伸びる広い舗装道を行き、日吉神社を右に見て少し進むと観音(正)寺の参詣道の長い石段が始まります。途中には里程を示す石碑があり、十二丁が寺の入り口で平坦地となります。寺に参詣し、車道を西に進み、布施淡路丸跡の手前を北に折れて繖山の尾根を上り山頂を目指します。尾根の分岐から少し下ってまた登ると狭い山頂で三等三角点がありました。それほど見晴らしはよくはないが東西方向は谷間で少し開けていて下の集落が見えます。木陰で軽い昼食時には涼しい風がありました。分岐まで戻って急坂を下ると水平道となり、本丸跡へ向かいます。水平道からけっこう広く長い石段を登ると本丸跡で、裏側は石垣に囲まれた出口がありここから桑実寺境内の標示がありました。石段を戻り平井丸・落合丸・池田丸の石垣を見ながら少し下って大石垣を見学し、追手道をくだって御屋形跡を経て参詣道へ戻ります。

安土城は言わずと知れた織田信長の城です。発掘された広い大手道の石段は天皇の行幸を想定したとか。標高198mの山頂に建てられた天守跡には整然と礎石が並び、天守閣からの眺めはさぞかしと思われました。信長が自らの菩提寺として移設したといわれる摠見寺二王門からの石段も含め、安土城の石段はいずれも段差が大きく、昔の人はこのような段差をものともしなかったのかと感心しきりでした。

その後数日、夜間に大腿部臀部の筋痛に見舞われた。【森田記】

日吉神社参道

観音正寺寺からの展望

繖山三角点観音寺城本丸跡平井丸跡大石垣

安土城天守跡信長公本廟摠見寺二王門

支部

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