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公益社団法人日本山岳会

2025.4.24 山城クラブ「佐和山城」(+彦根城)

2025.4.24(木)天候:晴れ

参加者:濱野、曾我、森田

タイムレコード:9:00HHF駐車場⇒北陸道経由⇒10:30~45彦根市清凉寺(井伊直政以下井伊家代々のを墓所)前の駐車場⇒10:55弁財天⇒11:15弁天山⇒11:40~50佐和山城本丸跡⇒法華丸経由⇒12:20古沢町国道8号線付近へ下山⇒山麓の住宅街、土塁跡の石垣、清凉寺境内へ立ち寄り⇒12:40駐車場⇒13:00彦根城外駐車場⇒彦根城見学⇒15:00彦根城外駐車場⇒16:30HHF駐車場

佐和山城は関ケ原の合戦で敗れた石田三成の居城として名高い城である。城のある佐和山は標高232.9mで、東山道・北國街道(現国道8号)を見下ろす交通の要衝に位置する。この城の歴史は古く鎌倉時代初期、近江源氏佐々木氏が佐和山の麓に居を構えたのが始まりとされている。その後、この地の覇権をめぐって六角氏、京極氏が争い、戦国時代になると浅井氏も加わって争奪戦が繰り広げられた。最後に織田信長が覇権を確立し、この城を配下の丹羽長秀に与え、次いで豊臣秀吉の時代には堀秀正、堀尾吉晴、最後に石田三成に与えて交通の要衝を守らせた。その三成が関ケ原で敗れ、徳川家康の重臣、井伊直政が佐和山城と近江一国を与えられた。直政の死後、嫡男の直継の時、彦根山に彦根城が完成して佐和山城は破城され、放置された(以上、滋賀県HPより)。

感想:2025年最初の山城は滋賀県へ遠征した。心配された天候はおおむね晴れたが、暑くもなく、適度のハイキング日和となった。

駐車場のある場所は井伊家の菩提寺清凉寺の門前で、まだ駐車している車はなかった。清凉寺横の龍潭寺から登る「かもう坂往還」が近道であるが、北側の弁財天のある参道から弁天山を目指した。長い石段を登ると、弁天様を祀る大洞弁財天長寿院で、立派な山門の両側には仁王像ならぬ白いキツネ像が鎮座している。彦根城の東北にあり、井伊直興が鬼門を守るために建立したそうで、弁財天堂は国の重要文化財である。さらに石段を登って宇賀神を祀る神社(奥の院)横から登山道が始まる。かなりの急こう配を登りきると弁天山196mである。少し下って登り返し、龍潭寺からの往還の交差(切通)を横切って西の丸(塩櫓)、さらに登って本丸跡、佐和山山頂232.9mに達した。山頂には佐和山城址の石柱があり、かなりの平坦地が広がる。かつて天守閣がそびえていたと思われる。琵琶湖方面が開けており、はるかかなた(2㎞西)に彦根城が見える。石柱の前で記念撮影し、三角点を確認してから下山開始し、法華丸方向になだらかな尾根を下ると国道8号付近に出た。8号に向かわず山麓の住宅地を通り、途中少し登って、土塁の石垣と思しき長い石垣の横を歩き、さらに平坦地の住宅街を過ぎると清凉寺前になる。清凉寺の境内をのぞき、立派な山門や大きな本堂、庫裏を眺めて駐車場へ戻った。

さらに彦根城へと車で向かう。城のすぐ近くの市立図書館前の広い駐車場へ駐車して城の大手門から入場料1000円也を払って、天守閣に登り、西の丸三重櫓、さらに玄宮園庭園を見学して帰途に就いた。空腹を抱え、途中のサービスエリアで遅い昼食をしてHHF駐車場へ帰った。

大洞弁財天山門、両側にキツネ    大洞弁財天本堂

                                                                                西の丸(塩櫓、 硝煙櫓とも) 

 

    本丸への急坂には階段が      佐和山城址の石柱前で     

 国宝彦根城天守閣

【森田記・撮影】

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