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公益社団法人日本山岳会

ヒンズークシ中部コー・イ・モンディ峰登頂60周年記念の集い

ヒンズークシ中部コー・イ・モンディ峰登頂60周年記念の集い

日 時 7月3日(木曜日)  17時30分~

会 場 ホルトホール大分403号室 (フィルム上映)

    記念撮影して会場移動

懇親会 19時00分~

会 場 カフェレストラ ホルトガーデン

 

加藤前支部長の挨拶

   

(フィルム上映)

大分駅にて出発見送り梅木さん親子

(フィルム上映)

1965年7月3日午後1時10分

コーイモンディ山頂にて

左 江藤隊員(大分合同新聞社旗)、右 西副隊長(大分県旗)

(フィルム上映)

帰国して大分空港に揃う6人

懇親会 安東支部長挨拶

にぎわう会場

参加者 記念撮影 

加藤さんが持つのは、山頂に立てたピッケル(大分県知事木下郁サイン入り)とペナント

垂れ幕の字は木山広喜さん

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昭和40年5月大分から6人の登山隊がアフガニスタンヒンズークシ山脈に登頂のため出発した。丁度60年前の事である。その60年を記念する集会をこの隊が目標としたコーイモンディ峰登頂7月3日にあわせて皆様に呼びかけたところ45名の会員が集まり記念集会となった。

当時を振り返ると大分のような地方都市から海外遠征隊を送り出す事自体が一大イベントであった。その遠征を見事に成し遂げたのは何だったのか、成功の要因は何だったのか、なんといっても“人”に恵まれていたからであろう。日本山岳会 大分支部は昭和35年8月に発足したばかりで海外遠征隊を送り出す事が一つの使命ととらえられていた一面があった。大分ヒマラヤ委員会を立ち上げ共同代表を加藤数功、野口秋人の2名が負い、隊員を選出、隊長 矢野真、副隊長 西諒、梅木秀徳、姫野和記、加藤英彦、江藤幸夫 以上6名 熟練者3名、若手3名というバランスのとれた構成であった。それにも増して、この構成されたメンバーが何がなんでも海外へ行こうと大きな目標に向かってつき進んだ結果であった。要はやりとげるという気持ちが成功へとつながったのである。出発までに様々な問題が生じたがそれらもすべてクリアして成し遂げていったのは何だったのか、未知への冒険なのか期待なのか。つき進んで行った結果がうまく成功へと導いたと思われる。

この遠征隊のメンバーの一人梅木秀徳さんが報道するという気持ちで当時の最新映の8mmカメラ(シングルエイト)を自ら用意してそのフィルムが今でも残っている。これを20年前にDVDとして映像を残したため今回も皆様に60年前の映像をお見せすることが出来た。

山頂での登頂シーンが見事カラーでみられ、はためく国旗、県旗、遠征隊ペナントそして大分合同新聞旗と写し出され感動の一瞬である。                

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(報告 加藤英彦)

支部

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