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公益社団法人日本山岳会

2025.04.10
神奈川支部

第二回 岡野金次郎碑前祭のお知らせ

公益社団法人 日本山岳会神奈川支部

 岡野金次郎は1902年に小島烏水(後の日本山岳会初代会長)とともに槍ヶ岳に登頂し、この快挙は日本における近代登山の幕開けと呼ばれています。また日本山岳会の設立に際しても多大な功績のある恩人です。晩年は平塚市で過ごし、歿後の1961年に平塚市議会の議決を経て、湘南平に顕彰碑が建てられました。

 岡野金次郎生誕150周年にあたる昨年5月25日に第一回岡野金次郎碑前祭を開催いたしました。今年からは開催日を5月の第二土曜日として実施いたします。

1 日 時

   2025年5月10日(土)午後2時30分~3時40分 

   (雨天中止、小雨決行)

2 会 場

     平塚市 湘南平(高麗山公園) 岡野金次郎顕彰碑 前

3 式次第(予定) ・・敬称略

  • あいさつ

   ア 主催者あいさつ

   イ 来賓あいさつ

     平塚市長、日本山岳会会長 

  • 献 花 (平塚市長、岡野氏ご子孫)

    あいさつ  岡野金次郎氏ご子孫          岡野    眞 

  • 岡野金次郎について

    「孤高に生きた登山家-岡野金次郎評伝-」共著者   鈴木  遥 

    あいさつ  小島烏水氏ご子孫           相良  嘉洋

  • フルート演奏(参加者合唱)       フルート奏者 高橋 あかね 

4 会場までの交通

   路線バス利用 往路 平塚駅北口発(3番乗り場)13:13-湘南平着13:36

          復路 湘南平発16:45-平塚駅北口着17:08

5 後 援

   平塚市、平塚市教育委員会、平塚市観光協会、神奈川県山岳連盟、神奈川新聞社

(問い合わせ先) 中島 良行

         電話   090-7739-5634

                       Email : a.toukoku@gmail.com

近代登山の先駆者 岡野金次郎         

        『孤高に生きた登山家 岡野金次郎評伝』共著者 鈴木  遥

 岡野金次郎は1874(明治7)年4月15日に横浜市で生まれた。17歳の春に丹沢山塊の麓にある秦野市内の祖母宅に遊びに行き、近所の猟師を案内人に尊仏山(塔ノ岳)に登頂したのが初めての本格的な登山体験となった。これは趣味登山で丹沢山塊に登った史上初の記録となっている。

 日清戦争の火蓋が切られた1894(明治27)年、20歳の岡野は徴兵検査で小島烏水(本名小島久太)と出会い、不合格同士で意気投合する。翌年に岡野が小島を誘って尊仏山に一緒に登ったのが二人での登山家デビューとなる。健脚な岡野と文才があり発信力のある小島の名コンビが誕生した。

 小島との交友を深める一方で、十代から英語を学んでいた岡野は1897(明治30)年、23歳の時に日本郵船が運航する日本初の大型船土佐丸に乗船する。横浜港から欧州航路の各寄港地を巡って、かねてからの夢だった世界周遊を果たした。

 帰国後、横浜のスタンダード石油会社に就職する。山好きな米国人支配人ハッパ―の協力で毎年夏に長期休暇を取得して、本格的な登山に挑戦するようになった。1902(明治35)年、28歳の岡野と小島は二人で日本人登山家として初めて槍ヶ岳に挑み、登頂を果たす。この出来事は日本登山史において「日本近代登山の幕開け」と評されている。

 下山後、岡野は会社で支配人のハッパ―が借りていた洋書『日本アルプスの登山と探検』に槍ヶ岳の写真があることに気づき、著者のウォルター・ウェストンが自分たちより先に槍ヶ岳に登っていたことを知る。さらにその人物が宣教師として来日中で横浜にいることを知った岡野は、一人でウェストン邸まで会いに行き、そこから小島烏水も交えた三人での交流が始まった。

 ウェストンが二人にアルパイン・クラブ(山岳会)の日本での設立を勧めたことがきっかけで、1905(明治38)年に日本初の山岳会(現日本山岳会)が設立される。のちに「日本近代登山の父」と呼ばれるウェストンだが、その登山活動を当時から評価し、英語で対等に山の話ができる日本人は、この時代に岡野金次郎しかいなかった。しかしウェストンを見出し山岳会設立の立役者となった岡野金次郎は、最終的に山岳会の発起人には加わらず、山岳会と距離を置き、自ら登山記録を発表しなかったことで、登山界で埋もれた存在になっていく。

 その後も岡野は趣味登山の先駆者として、この時代にして誰よりも早くから、誰よりも長い期間、全国の山々へ精力的に足を延ばし続けた。そして1958(昭和33)年2月14日の夜に、日課の散歩中に交通事故で亡くなった。83歳だった。

 彼の登山家としての先駆的な生き方は、死後に時間をかけて徐々に評価を高めていくことになった。1961(昭和36)年には市の文化事業として、彼が晩年に過ごした平塚市の湘南平に「岡野金次郎記念碑」が建立された。生誕150周年にあたる2024年5月には「第1回岡野金次郎碑前祭」が開催され、岡野金次郎や小島烏水のご子孫をはじめ、山岳関係者ら100名以上が全国から集まった。この場所からは、彼が生前愛した伊豆や箱根の山々、富士山、塔ノ岳が一望できる。

【参考文献】『孤高に生きた登山家 岡野金次郎評伝』(山と溪谷社)2024年

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