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公益社団法人日本山岳会

2024.11.15

第六十五回「奥秩父の父」をたたえる木暮祭の記録 (令和6年10月19-20日) [山梨支部]

 第六十五回「奥秩父の父」をたたえる木暮祭が十月十九日、二十日、木暮碑委員会により開催された。五年ごとの開催年は大々的な記念祭だ。本年は共催した山梨県山岳連盟の総合研修会後、前夜祭へと続く流れだった。

 十九日十七時、みずがき山リーゼンヒュッテ講堂にて、山梨県北杜市上村英司市長が、木暮理太郎と、自身が初めて登った金峰山について語られた。続いて日本山岳会山梨支部矢崎茂男理事が「木暮理太郎と大島亮吉」と題して講演。「木暮理太郎と大島亮吉、宮沢賢治は山を通じてつながっている。とくに奥秩父」という言葉が、会場に余韻を残した。

 十八時半、食堂にて前夜祭が始まった。主催者挨拶として山梨岳連小宮山稔会長、山梨支部古屋寿隆支部長が、ご参加の皆様へ謝辞を述べた。来賓のご挨拶を日本山岳会橋本しをり会長、理太郎生誕の地、群馬県太田市の「木暮理太郎翁の足跡を語り継ぐ会」浅海崇夫事務局長より頂戴した。続いて来賓のご紹介は、本部柳田泰則山行委員、栃木県在住の足跡を語り継ぐ会仙石富英会員のお二方。そして、山梨支部北原孝浩前支部長の乾杯の発声から宴席が始まった。歌や挨拶で盛り上がる中、最後は橋本会長と山梨支部東条理事の「岳人の歌」の合唱にて前夜祭を締め括った。

 二十日、朝八時より記念登山は甲斐百山に選定されている「魔子の山」へ。途中稜線からは、十二歳の木暮理太郎に「紙鳶の糸を巻くことさえ忘れて怪しくも山に魅入られ(中略)愛する外に仕方なかった(『山の憶ひ出』)」と言わしめるほどの山、金峰山が見えた。

 十四時より、金山平にて第六十五回木暮祭碑前祭を執り行った。山梨岳連舟久保元孝副会長、白鳳会清水利彦会長、浅海崇夫事務局長が献酒を、山梨支部平松清子理事が献花を行った。増富ラジウム峡観光協会小森良直事務局長ほかの主催者挨拶に続いて、前夜祭同様二名の方々から来賓挨拶をいただいた。

「愛した山々へ登るにつれ、国内外の自然の探求に力を注いだ木暮先生の精神を引き継ぎたい」。橋本会長の言葉は、背筋の伸びる思いがした。また、浅海事務局長が紹介された木暮理太郎年譜は「いつまでたっても未定稿」なのだそう。その理由が印象的だった。続いて、献杯の発声を山梨支部磯野澄也副会長がおこない、全員で杯をささげた。

 式典の後、「明治期、金峰山に登った人たちと紀行文」と題した内藤順造氏(山梨岳連顧問・山梨支部顧問)による講話は、皆で秋の柔らかい落ち葉の上に腰を下ろして聞き、静かに理太郎翁を偲んだ。最後に、山梨岳連望月啓治理事長の言葉で閉会し、碑を囲んで記念写真を撮った。

十五時より恒例の「ほうとう食う会」。これは地元観光協会によるおふるまいだ。大鍋のきのこほうとうは美味で、どこか懐かしかった。

 日本山岳会第三代会長木暮理太郎翁の偉大な功績を、引き続き顕彰していくことが山梨支部の大事な役目の一つだ。これからもこの山岳祭をしっかりと引き継いでいきたい。

ご参加ご協力していただいた皆様に感謝申し上げ、またお会いできることを期待したい。

                                           (山梨支部理事 石澤貴子)

                                                          以上

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