調査日 : 令和6年11月10日(日)
調査者 : 佐久間雅義古道プロジェクトチームリーダー、
遠藤家之心正和越後支部顧問、藤井与嗣明会員(報告;佐渡市在住)、
会員外・江口豊朗(佐渡市在住ガイド)、藍原重雄(佐渡市在住) 計 5名
関越上にて 左から藤井、遠藤、佐久間、江口
関越は大佐渡山系の北部にあって、外海府の関集落と両津湾沿い馬首集落並びに北松ヶ崎集落を結ぶルートであった。また、このルートには多くの石仏や石塔があって、馬首越と標示された石塔もがあるが、北松ヶ崎集落からの林道が開設されたことから、今は廃道となっている。 関集落へは相川から海岸線沿いのルートがありますが、昭和9年に戸中集落と南片辺集落間の隧道が開通、また外海府の関集落へは、禿(はげ)の高(たか)越や大倉走(はし)りが外海府の難所と言われ、県道佐渡一周線の整備による禿の高トンネル(昭和35年)や大倉トンネル(平成3年)が開通。また、平成4年に集落内に、関トンネル完成から外海府へのアクセスが図られてきました。 佐渡の峠は、刀根(とね)と呼ぶ主稜線の奥山を越えることから、単純に越と言い「関越」のように峠を必要とした集落の名を用いているものが多い。 関越は他の「越路」と同じように「交易(物々交換)や生活必需品購入」ならびにルートの石仏や石塔にみられるように、信仰としても利用されてきた。
令和6年11月9日(土)15時05分着カーフェリーで来島の佐久間さん、遠藤さんと佐渡勢3名が両津埠頭で合流。
同夜宿泊の関集落民宿・川口荘の迎えの車で、両津湾に沿って北上、鷲崎、大野亀や海府大橋、岩谷口の磨崖仏をみて、17時過ぎ川口荘着。同夜は魚料理や地酒をいただく、翌日(10日)は朝8時川口荘発、車で関川に沿って林道から作業道を登り、標高500㍍附近の車終点「字・滝頭」8時30分着。
ストレッチの後、杉林の分収造林地を抜けると下ノ道、最初の石塔あり、高さ60センチ㍍、幅18センチ㍍、厚さ(奥行)15センチ㍍、順礼の文字が読める。後日の確認から、縦に「右山道 関村」 、「梵字 順礼道 施主中村源□門」 、「□馬首□」と確認できる。ルートは雑木主体となって、トレイルはしっかりしており地形図の634㍍標高点の北より東側へ廻り込むと、アテビ(ヒノキアスナロ)の純林で、やがて細い尾根筋は緩やかな登行となり、630メートル付近を登り僅かに下ると、第2の石塔となる。これは最初の石塔と同じく、縦に「梵字 順礼道 施主中村源□門」と彫られてある。
この石塔から5分余りで登りの左手奥が「関ノ大杉」となる。この大杉は胸丈の周囲12㍍、5~6㍍上部は昔日(せきじつ)に伐採されたのであろうナナカマドなども、伐採された箇所から繁茂している。
関ノ大杉からは798㍍標高点の北側から東側へ廻り込んで、小さな沢沿いを登りつめると、杉の枯れ株の前に3体の石仏あり、「フランギの観音」へ10時着。「フランギとは腐らない木」との説から、周辺には樹齢400~500年の古木があることから、これらの老杉を言うものであろうか。
「フランギの観音」の2体は大日如来と考えたい。石仏に向かって右手側は宝冠に、瓔珞(ようらく)、環釧(かんせん)、天衣は風化が激しく確認しにくい。智拳印を結んでいることから、金剛界大日如来である。また左の石仏も風化が激しく、胎蔵界の大日如来と考えたい、大日如来は菩薩の姿からきているが、いずれも風化が激しい。小さい石仏は「聖観音」左手に蓮華を持つ。
フランギの観音」から10分余りで、金剛杉となる。「金剛杉」は現・新潟市西蒲区出身写真家天野尚さん(1954~2015)による平成20年7月7日~9日北海道洞爺湖サミット(先進主要国首脳会議)に掲示され、霧におおわれた写真が注目をあつめた。また、周囲には鬼杉等もあって登山者の恰好の撮影ポイントとなっている。
作業道から新潟大学管理道路へ、ここに関ノ仁王杉あり、ザックをおいて管理道路を橅ガ平山(地形図名・山毛欅ガ平山)への登り口附近「連結杉」や「王様の小径」の大王杉、JR杉、タコ杉等を見る。
大王杉(左) JR杉(上) タコ杉(下)
佐渡の山は外海府からの湿気を含んだ風が、刀根(主稜線)へ運ばれ冷やされることで霧が発生、空中湿度が高く杉の生育に適していると言える。 昔は利用価値のない奇木、変木が伐採されず残されたことが、今はトレッキング等の観光資源となっている。また、麓集落から近い山林は焚き木、製炭等生活に必要な山であり、遠い刀根の作業条件の悪い山々が幕府へ寄付されたものである。 また、関ノ仁王杉へ戻り中食の後新潟大学管理道路を「関越」へ、ここで参加者の記念撮影。この関越に「地蔵菩薩」あり。
チシマザサの急な下りから「ザル坂清水」を経て追分」へ13時30分着。そこは「関越」と「大倉越」の分岐点、昔日の人にとって交易で一緒に国仲や両津へ海産物等を運ぶにおいて、落ち合うこともあったでしょうから、そこは「落合」となり、帰りはこの分岐点は「追分」となる。この追分の大倉越向かって凡そ200㍍に「上の平湿原」あり、この湿原は平成元年に「新潟県自然環境保全地域」に指定されている。
ルートはもとの追分に戻り、上の平を下降、途中小沢を渡ると梯子付の小さな登り、後は比較的平坦なルートに風化した不動明王像がある。病い等多くの祈願をかなえるとされ、麓より遠い山に祀られてあることが多いようだ。やがて埋設された水路の管理道路から、作業道を経て昔日のルート、馬首集落と北松ケ崎集落との分岐に「馬頭観音」があり、北松ケ崎集落から林道が開設されると、馬首集落からのルートが廃道となった。なお、関越と大倉越への分岐となる「追分」の大日如来と、この馬頭観音は大倉越が放牧地への畜生道であった。
やがて北松ケ崎林道終点に迎えの車が来ており、両津埠頭へ向かうことができた14時30分。また石塔1・2以外の石仏等に記載された文字或いは伝説等は『越後山岳14号』を参照いただきたい。この山行に民宿川口荘、関集落区長中間栄司様、新潟大学演習林、一般社団法人・佐渡観光交流機構より、多大なご協力をいただ来ました。 感謝! 記録:藤井与嗣明 写真:遠藤家之進正和